H123.八甲田山秋田駒3日間バス旅行

1.動 機 
 会社を1999年正式退職してからは、海外旅行や国内ドライブなど満喫、その間にも近くの山に「夫婦二人の山歩き」をしていた。前報では次は宮城蔵王登山と予告していましたが、その前に八甲田バス旅行がありました。

2.データ
a)山域:八甲田山(田茂萢岳、赤倉岳、大岳)
b)登山日:2000年7月21日〜23日
c)行程:
7月21日(金) 自宅〜計算センタ前BS21:15=日立駅前=高萩IC=常磐道・磐越道・東北道車中泊566km=
7月22日(土) =黒石IC=8:30八甲田ロープウエー山麓駅9:00=9:10山頂公園駅〜田茂萢岳〜赤倉岳〜井戸岳〜大岳〜上毛無岱〜下毛無岱〜酸ヶ湯温泉=黒石IC〜盛岡IC=田沢湖町駒ヶ岳観光ホテル(泊)
7月23日(日) ホテル発7:35=8:20角館観光(石黒家〜しだれ桜並木〜横町橋〜桧木内川岸)10:20=11:00田沢湖・辰子姫11:30=11:45昼食12:30=13:40盛岡IC=前澤SA=16:35国見SA =日立中央IC=国道6号沿い=20:10森山BS〜ラーメン屋〜自宅
(パラグライダー発進場から)

3.山行記録
7月21日(金) 出発
 この日は非常勤講師をしていたいわきの大学の期末試験の日だったが、日立に震度5の大地震が発生して通勤に使っていた常磐線が不通、やむなくマイカーでいわき市まで高速を走って、大学で10時50分から1時間試験の監督をして答案を回収し枚数を確認、学食で昼食をとって日立に引き返し、15時10分に帰宅した。バスツアーの準備をし、夕食をとってから近くのバス停・計算センタ前に出たが、バスは20分遅れ21時15分に到着、この後何ヶ所かで参加者を乗せて、総勢45名での賑やかな東北バス旅になった。高萩ICで常磐道に乗って、翌朝起こされるまで車中で眠り込んでいた。

7月22日(土) 八甲田
 東北道の黒石ICで高速を下り、一般道を1時間走って8時30分に八甲田ロープウエー山麓駅に到着し、一休みして始発のロープウエーに乗った。大きなロープウエーは45人全員乗り込んでも、乗客の半分ぐらいだった。
(八甲田ロープウエー山麓駅)
 ゴンドラの中から周りの景色を楽しみながら10分で山頂公園駅1310mに到着、駅前には大きな山頂公園案内図が立っていた。公園内を一周して山頂駅に戻るコースはひょうたん型をしているので「ゴードライン」と呼ばれるとのこと。
(山頂公園案内図)
 ゴードラインを歩いていくと広い湿地帯になり、中にはあちこちに沼や池が見えていた。案内書にあった沼の写真です。ゴードラインの説明文が付いています。
(山頂公園のゴ―ドラインの案内写真)
 ゴードラインは高山植物の宝庫でもあるとのこと、キンコウカに黄色い花が湿原一帯に咲き誇っている様を私が撮った写真です。少しピントボケ。
(キンコウカ))
 何処の山をどこから撮ったのかわかりませんが、アルバムの山頂公園のところにはってある写真です。ゴードラインにはいくつも展望台があるようなので、そのどこかか?
(山頂公園にて)
 ゴードラインを過ぎるとハイキング道らしくなり、せっせと歩いて赤倉岳山頂1548mに登りついた。山頂での写真は何枚か残っているが、展望はあまり良くなかったようで、周りの状況が写っているのはこれだけ、後ろに田茂倉岳と麓の沼地が写っているように見える。
(赤倉岳山頂)
 この写真には「井戸岳から大岳」と注釈が付いている。地理院地図を見ると井戸岳は大きな火口を持っているようなので、火口越しに大岳を撮ったものと思われる。雲の中に山頂を隠しているのが八甲田大岳1585m、手前の火口の雪渓の上にある外輪山が井戸岳山頂1550m。
(井戸岳からの大岳は雲の中)
 井戸岳の火口の回りを歩いて、斜面を下っていくと大岳ヒュッテという山小屋があった。大岳・仙人岱、井戸岳・赤倉岳、毛無岱の分岐点になっていた。
(大岳ヒュッテ)
 八甲田の主峰なので大岳迄登ってみた。やはり大岳山頂は霧の中、標識の「八甲田大岳山頂、標高1584.6m」の文字もはっきりとは読み切れない。この後、10月に登り直した時はお天気が良くて、その時の写真では標識をハッキリと見ることができます。(H07C 東北登山行脚9日間(3)
(大岳山頂)
 大岳山頂から大岳ヒュッテに引き返し、毛無岱に向かって整備された山道を下って行った。始め現れた湿原のは上毛無岱、木道でなだらかに下っていくと湿原が切れ、その先に下毛無岱の湿原が見えてきた。二つの湿原の間には高度差50m位の急斜面があり、下毛無岱全体が俯瞰できた。沼群も見えている。
 (下毛無岱)
 下毛無岱の木道を過ぎて山道を酸ヶ湯温泉まで下って一休み。ここまで、ハクサンシャクナゲやコバイケイソウ、ワタスゲ、ネバリノギラン、ウメバチソウなど数えきれないほどの花の名前を書いてあるが、写真は1枚も残っていない。どうしたことか。団体で木道を行列を作って歩くハイクだったので立ち止まることができず、写真を撮ることができなかったのかも。
 酸ヶ湯温泉では名物の千人風呂に入って、色々な浴槽で疲れを吹き飛ばした。和子は混浴の千人風呂を嫌って女子湯に入った。
 酸ヶ湯温泉を出てバスに乗り、高速で黒石ICから盛岡ICまで南下、駒ヶ岳麓の駒ヶ岳観光ホテルに入って宿泊した。

7月23日(日) 角館散策と田沢湖
 今日は朝風呂に入ってから朝食をとっていると、添乗員さんから「雨だけなら予定通り駒ヶ岳に登りますが、今日は雷注意報が出ています。山登りは中止にして角館散策でお許しいただきたい---」と。今回はお天気に見放されている。
(田沢湖-盛岡IC周辺)

 7時半にホテルを出て、バスで角舘に移動して2時間の自由行動。しだれ桜並木の緑が綺麗だった。サクラの花が咲く頃にまた来てみたいと思った。
(角館のしだれ桜並木)
 石黒家が一般解放されているいうので入ってみた。石黒家は、東北の小京都と云われる角館の象徴になっている武家屋敷の一つ。入口も茅葺屋根の四つ足門で、歴史と品格が感じられた。
    角館の 武家屋敷「石黒家」: 武家の生活様式を残す約二百年前の建物を中心に、江戸時代以降の伝統的日本文化を後世に伝える施設として公開し、末裔家族も一緒になってお客様へのサービスに努めております。
(石黒家の四つ足門)
 石黒家の中に入ると、係の人が母屋の中まで案内してくれて、武具甲冑類、「解体新書」などの古文書など珍しいものを見せてもらった。母屋の中から眺めた古樹がなど立つ庭園が綺麗だったのが印象に残っている。
(石黒家母屋の中)
 日記には、この他に横町橋と桧木内川岸も歩いたとあるが、どうしたことか写真は残っていない。角館での自由行動時間が終わって、バスで田沢湖へ。
 日本一の深度を持ち、冬も凍らないという田沢湖、辰子姫のブロンズ像のの前で記念写真。
      たつこ像
    永遠の若さと美貌を願い、湖神となったと伝えられる、伝説の美少女たつこ姫のブロンズ像です。その姿は澄んだ青い湖水を背にして清楚です。水深423.4メートルと日本一を誇る田沢湖の岸近くにあります。
    製作:舟越保武 昭和43年4月12日除幕

      たつこ姫伝説
    田沢湖が田沢潟と呼ばれていた頃、院内にまれにみる美しい娘、辰子がいた。辰子はその美しさと若さを永久に保ちたいものと、密かに大蔵観音に百日百夜の願いをかけた。満願の夜に「北に湧く泉の水を飲めば願いがかなうであろう」とお告げがあった。
    辰子は、わらびを摘むと言ってひとりで家を出て、院内岳を越え、深い森の道をたどって行くと、苔蒸す岩の間に清い泉があった。喜び、手にすくい飲むと何故かますます喉が渇き、ついに腹ばいになり泉が枯れるほど飲み続けた。
    時が過ぎ、気がつくと辰子は大きな龍になっていた。龍になった辰子は、田沢潟の主となって湖底深くに沈んでいった。

    一方、辰子の母は娘の帰りを案じ、田沢潟のほとりに着き、娘が龍になったのを知って悲しみ、松明にした木の尻(薪)を投げ捨てると、それが魚になって泳いでいった。後に国鱒と呼ばれ、田沢湖にしか生息しなかった木の尻鱒という(田澤鳩留尊佛菩薩縁起より)
    さて、十和田湖を南祖坊に追われ、男鹿半島に八郎潟をつくり主となった八郎太郎は、毎年秋の彼岸の頃、田沢湖に恋人の辰子を訪ねて冬を過ごすため、主のいない八郎潟は凍りつき、2人の龍神が住む田沢湖は冬の間も凍らない湖として知られている。(三湖物語より)
(田沢湖@辰子姫像)

     田沢湖は、周囲約20キロメートルのほぼ円形の湖です。水深423.4メートル、日本一の深さを誇っています。神秘的な雰囲気をたたえた湖は、四季折々に表情豊かで、訪れる人々を楽しませてくれます。
    湖畔には歴史ある名所・旧跡のほか、レジャースポットも充実しており、ドライブやサイクリング、遊覧船などさまざまな楽しみ方があります。
(田沢湖Aウオータスポーツ)
 次は宮城蔵王登山です。



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