I812 ヨーロッパアルプス横断ハイク14日間(2)
2.シャモニ1日目(ラックブラン)8月18日(水) 長い空の旅の疲れを慮って、今日は軽いハイキングが予定されている。ベテラン3名だけはモンブラン登頂を目指して早めに出発し3日間別行動だ。 残り19名は8時の定期バスでレプラまで移動し、
バス停のそばの教会をドリューの鋭鋒をバックにした絵葉書のような眺めに感嘆し、みんなでシャッタを押しあい、全員の記念写真も撮った。
下駅まで10分歩き、ロープウエーを乗り継いで一気にアンデックス展望台まで登った。モンブラン山群の眺めが素晴らしい。生憎モンブランの頂上だけは雲がかかっているが、針峰群や数々の氷河が目の前に迫っている。
しばらく展望を楽しんで写真を撮ってから、白い湖ラックブランに向かって歩き始めた。モンブラン山群の真っ白い山々の姿と雄大な氷河を、いつも目の前にしながら歩く登山道は疲れを忘れさせてくれ、登山道の周りにはたくさんの花が咲き乱れていて目を楽しませてくれる。
キク科の花、ツメクサのような花、リンドウ、魔女の爪という物騒な名前の花など綺麗な花がいっぱい咲いていてシャッターを切るのに忙しかった。
2時間ほどゆっくり歩いて11時にラックブランに着いた。静かなたたずまいの湖の畔にはレストランもあり、多くの人が集まっていた。少し波立っていたが、湖面に映る白いモンブランの姿をカメラに収め、山手の高みでドリューなど針峰群の山波を楽しみながら弁当を食べた。弁当は土地の弁当屋で作ってもらったおにぎり弁当である。少々高くついたが、やはり山登りにはおにぎりがいい。
1時間休んで12時にロープウエーの中間駅プレジュールに向かって歩き始めた時、山頂の雲も消えてモンブランが姿をあらわした。ラッキー!
可愛い花々や、折り良く飛んでいたハングライダーの写真を撮りながらゆっくり歩き、
14時30分ロープウエーでシャモニに下り、
モンブランを指差す二人の登山家の銅像の前で写真を撮ってホテルに帰った。この登山家の像についてNETで調べると、面白い記述があった。 https://www.france-ex.com/ 「シャモニ・・・あの日まではこの町も山間の小さな村にすぎなかった。あの日、あの時2人の英雄がモンブランの登頂に成功する日までは・・・。」 登山に成功した2人は、特に登山家でもなんでもない猟師のジャック・バルマ、そして医師のミッシェル・パカールであった。何故、このでこぼこコンビが登頂を試みたのか・・・ まず、モンブラン登頂に人々があこがれたのは、1760年にスイスの博物学者のソシュールが、氷河を観察するためにモンブラン頂上への登頂ルートを探すために懸賞金をかけたのがきっかけである。当時の迷信で、人間は高い山の上では眠ることができないという間違ったいい伝えがあったために、モンブランは呪われた山とされていた。 しかし、いつの時代にも迷信を信じない男たちはいて、そんな男たちの一人だったのが、猟師のジャック・バルマ。彼の目的は報酬の金。彼は金欲しさに命をかけた冒険家であった。一方、医師のミッシェル・パカールはモンブラン山頂の気圧が測りたかった。ただそのためだけに登ることを試みたかっこいい学者の一面を持った医師である。 この二人は各々別々のグループでモンブランに挑み、惨敗している。 ただこの二人の力が合わさった時、奇跡は起こる。迷信を打ち破り、モンブラン登中で一泊することにより頂上まで辿り着いたのだ。しかし、登山中帽子を落としたパカールは、帰る時には雪の反射光によりほとんど失明状態にあり、バルマが手を引き、なんとか下山したそうだ。この傷が、彼らの旅路の過酷さを物語っている。 かくして静かだった山村はアルピニストやスキーヤーで年中賑わうようになった。この町の正式名称は‘‘シャモニ・モンブラン‘‘。そう我らがおなじみのお菓子にもそのネーミングは用いられるようにまでなったのだ。そして、英雄たちの偉業をまつる像がこの町に作られたのだが・・・。その像にも語られるべき物語がある・・・。
登山家の指差す方向にはモンブラン。
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