k12 筑波山縦走
1.動 機 房総の山歩きを載せると予告しましたが、写真集を見るとその前に水戸アルパインの筑波山山行がありました。今回の筑波山山行は、バスに乗って東方のつつじが丘登山口まで走り、女体山、男体山を越えて筑紫湖畔まで縦走コースだった。水戸アルパインクラブは会員にもなって随分お世話になった登山クラブですが、山行記に書くのはこれが初めての山行のようです。 2.データ b)撮影日:2002年1月20日 我家6:40=7:20見川運動公園7:35(バス)=8:06石岡千代田IC=裏筑波スカイライン=8:53(バス)つつじが丘運動公園9:00---弁慶茶屋---弁慶七戻り---9:45出船入船10:00---10:27女体山10:40---11:00御幸ヶ原---11:20男体山(昼食)12:00---自然研究路---林道交差---13:00椎尾山薬王院13:10---つくし調整池(バス)=国道50号=(バス)見川運動公園=我家
3.山行記録
我家から車で6時40分出発、7時20分水戸の見川運動公園の駐車場着、やって来たバスに乗った。今回の山行は水戸アルパインクラブの計画で同行者27名が乗って7時35分発車、水戸ICから石岡千代田ICまで常磐自動車道に乗って、つつじが丘登山口に着いたのは8時50分だった。 メンバーが歩いていく後ろから撮った写真、前に立ちはだかっているのがつつじケ丘高原で、左に頭を出しているのは筑波山の女体山と男体山でしょう。
出船入船から30分近く登って10時27分女体山の山頂に登り着いた。「日本百名山 筑波山 標高877mの石柱が立っていて証拠写真。
男体山山頂に11時20分に登りつき12時まで昼食休憩。立身石本体の写真は残っていないが「立身石の伝説」を書いた看板が残っていて、この辺りで昼食をとったとある。 立身石の伝説 1.親鸞聖人がここに苦しむ蛾鬼を救ったといわれる伝説の場所です。 2 筑波郡谷井田村上平柳(現在の伊奈村)に生まれた間宮林蔵は、13歳のころここで出世を祈り、測量、算数の大家となって樺太探検をしました。
◆筑波山中腹にある静かなお寺の椎尾山薬王院(しいおさんやくおういん)は1200年の歴史があり、県指定文化財天然記念物であるスダジイ(椎の木)の巨木群生地でもあります。 ◆境内には名大工桜井一門の手による三重塔(県指定文化財)や仁王門(市指定文化財)などが建造され、古来より病気平癒の霊場で知られています。 ◆境内にある重さ約1トンの大きな梵鐘はどなたでも打つことができます。この梵鐘は真壁町の伝統ある小田部鋳造で造られたものです。 ◆境内には樹齢300年〜500年といわれるスダジイなどが群生し「椎尾山薬王院の樹叢(じゅそう)」として県の天然記念物に指定されています。 ◆例年12月に入ってからが紅葉の見頃となっています。
少し先には不動滝があった。この時は二本の鉄パイプから水が流れ出していて名所と云われる風情なし。
霞ヶ浦用水やつくし湖について調べると、 水資源機構の霞ヶ浦用水施設は、霞ヶ浦の水を運ぶために様々な役割を持つ施設により構成され、全長53qにも及びます。 (これは、常磐線の土浦〜水戸までの距離と同じです。) ○南椎尾調整池(つくし湖) 南椎尾調整池は、霞ヶ浦から見ると筑波山の反対側(桜川市(旧真壁町))にあり(すなわち、筑波山の真下を通るトンネルが掘られているということ)、霞ヶ浦用水施設のほぼ真ん中に当たります。 つくし湖調整池は筑波トンネルから水を受けとり、下流のパイプラインに水を流すタンクとして使われています。 なぜ、ここにタンクが必要なのか?というと、霞ヶ浦から送られた水が南椎尾調整池に到着するには2〜3時間かかります。 この水の遅れ(時間差)をリセットするために調整池が存在します。たとえば、調整池の下流で急に水が必要となった時、 調整池に溜めた水を下流に流して対応します。 逆に急に水が不要となった時、筑波トンネルから流れてくる水の一部を調整池に溜めて下流には必要な量を送ります。
次は先日1月13日日立紅寒桜を見に行った時の花園の写真を報告します。 |
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