S54.丹沢縦走
1.動 機 62会の5月例会が丹沢縦走と決まった。秦野駅からタクシで富士見山荘に入り、塔ノ岳から丹沢山まで登り、みやま山荘泊、次の日、丹沢山から出発し蛭ケ岳、檜洞丸と登って西丹沢に下り中川温泉泊、という1泊2日の縦走計画だ。一昨年、同じコースを計画して個人的に出かけたが、悪天候で蛭ケ岳から東野の方に下りて残念な思いをしたので、檜洞丸から西丹沢は初めてだった。 2.データ a)山域:塔ノ岳(1491m)、丹沢山(1567m)、蛭ケ岳(1673m)、檜洞丸(1601m) b)登山日:2005/05/16(月)〜18(火)晴 c)コースタイム: 5月16日:大甕 5:38 ++++ 7:24 日暮里 7:30 ++++ 7:55 新宿 8:03 ++++ 9:20秦野9:35 = 10:05富士見山荘10:20 ---- 11:30 二の塔(昼食)12:00 ---- 12:15三ノ塔12:20 ---- 12:50烏尾山12:55 ---- 13:20行者ケ岳 ---- 15:05塔ノ岳15:15 ---- 16:20丹沢山(みやま山荘泊) 5月17日:丹沢山5:40 ---- 6:35 不動ノ峰 6:40 ---- 7:50蛭ケ岳8:00 ---- 9:15 臼ケ岳9:35 ---- 9:55神ノ川乗越(水場)10:20 ---- 11:50檜洞丸12:35 ---- 13:50展望園地 ---- 14:25ゴーラ沢出合14:35 ---- 15:20西丹沢自然教室15:30 = 16:00ハイツ中川泊 5月18日:ハイツ中川10:00 = 10:35 JR松田 ++++ 10:45新松田10:57 ++++ 12:10 新宿 12:15 ++++ 12:40上野13:00 ++++ 14:21大甕 d)同行者:下山夫妻、小林弘夫妻、大矢夫妻、小林啓、小佐野、西村、和子 e)地形図:1/25000 「大山」、「中川」 3.記 録 5月16日: 大甕駅で上野行き一番電車に乗ると、月曜日のこととて車内は単身赴任者でほぼ満席だった。多賀で乗った啓ちゃんに大矢夫妻の前の二人並びの席を譲ってもらった。日暮里で下りて、勝田水戸で乗った下山夫妻、小林弘昌夫妻と合流して山手線で新宿に向かった。小田急線急行に乗って秦野に着いて、待っていた西村さん小佐野さんと合流して11名が全員揃った。一名朝寝坊で欠席。 タクシに分乗して富士見山荘(700m)まで登っていった。運転手の小林喜美子さんはおしゃべり上手なドライバで、ルートの説明や水場、花の時期、さては旦那さんが毎日ビールを担いでボッカをやっている話など、富士見小屋に着くまで話が尽きなかった。 膝にサポータを着けたり身支度を整え、集合写真を撮って10時20分に歩き始めた。いつもの通りしんがりを歩く。カメラをうっかり自宅に置いてきたので、写真を撮っては早足で追いつかなければということがなく、一定テンポで歩くので楽ではあるが、少々物足りなかった。この山行記の写真は下山先生のものを使わせていただいた。 林道から登山道に入り、さらに登ってガレバにでると、後に大きく大山が見え始め、秦野の町の向こうに相模湾が広がり、江ノ島も小さく見えていた。小休止を繰り返して1時間登って二ノ塔(1140m)に着いた。富士山が雪を残して見えており、嬉しくなって富士をバックに写真を撮ってもらう。展望を楽しみながら弁当を広げた。 三ノ塔からの下りはガレバや岩場もあって緊張してきた。それでもシロヤシオが咲いていて、その向こうに富士山が見えたりすると、シャッタを押したくてむずむずした。塔ノ岳まで岩場もあったが、烏尾山(1136m)、行者ケ岳(1209m)、書策小屋(1460m)、新大日(1460m)、木の又大日(1460m)と大体30分ごとに展望のいい休憩場所があり快適だった。白いシロヤシオと紫のミツバツツジが並んで咲いていたり、特に行者ケ岳の先の岩場の下りでは、コイワカガミが岩に貼り付いたように群落を作って咲いていたのは嬉しかった。 楽しみながらゆっくり歩いたので、塔ノ岳山頂(1491m)に着いたのは3時を過ぎた。丹沢山頂のみやま山荘に早めに宿泊手続きをしようと、啓ちゃんがみんなの宿泊代を集めて先発急行してくれた。お蔭様で他のグループに先駆けて夕食も朝食も一番で取ることができた。富士山の右に南アルプスの白い峰々も見えていて、ゆっくりと山名同定をしたかったが、残ったみんなも早々に出発した。 ここから丹沢山までに日高と竜ノ馬場と称する二つのピークを越えた。処々で丸太階段はあるが大きな上り下りはなく、笹原では展望が開けた。丹沢山から蛭ケ岳の稜線や真っ裸の富士山を眺め、咲き残りのミネザクラを楽しみながら1時間歩いて、丹沢山(1567m)に4時20分に到着した。丹沢山近くでは一匹の鹿がいたが、我々が通っても気にすることもなく笹の葉をせっせと食べていた。一面の笹は、植栽保護のため柵で囲ったところの笹に比べてずいぶんと寸足らずだった。これだけの笹の葉を食い尽くす鹿の食欲は凄いなあと実感した。 丹沢山の山頂は木立に囲まれて展望はあまりよくない。一等三角点の大きな石柱があり、「日本百名山丹澤山」の横書きの立派な木製名板が立ち、富士山方向だけ木立が空いていた。夕焼けのように色づいた雲に囲まれた富士山が美しかった。 みやま山荘は小ぶりな小屋だが、改築されたばかりで綺麗な山小屋だった。トイレもバイオ式になっており清潔で気持ちよかった。食事も山小屋としては質量ともに十分。宿泊客も20人ほどで、布団は一人一枚ずつ占拠してもまだ10人分ぐらい残っていた。夕食後、大矢さんボッカのウイスキーで話に花を咲かせ、8時過ぎに寝についた。時々、目が覚めたときも、どこからもいびきは聞こえてこず、すべてにおいて申し分のない山小屋の一夜でありました。 5月16日: 丹沢山から眺めると、大した高低差があるようには見えなかったが、実際歩いてみると、不動ノ峰への登り返しは結構なものだった。 不動ノ峰(1614m)は、丹沢山中では蛭ケ岳に次ぐ高さを持つ。山頂付近では枝先を思い切り伸ばしたブナの大木の立ち枯れが目立ち、酸性雨の被害か鹿の食害か知らないが痛々しい感じだった。不動ノ峰からは若葉のブナが多く、新鮮な黄緑色が気持ちを和らげてくれた。次のピーク(鬼ケ岩ノ頭1608m)からは長い岩場の下りになっており、岩の角や鎖に掴まりながら慎重に下った。鎖場を下ってブナの林を登り返すと、蛭ケ岳山荘の裏庭で山荘の犬が一匹迎えてくれた。行儀のいい犬だったが、犬が苦手な和子は警戒して立ち止まってしまった。 蛭ケ岳からガレた急坂を大きく下り、登り返して東面が絶壁の臼ケ岳(1460m)で休憩。 絶壁上からは、歩いてきた塔ノ岳−不動ノ峰−蛭ケ岳のパノラマが見上げるように展開していてすばらしい。急な斜面を下ると神ノ川乗越。ここの水場でを補給する予定だったので、下山さん、西村さんと水場を探しに谷筋を下りていった。5分ばかり下りたら涸れ沢にでた。涸れ沢を下っていったら、伏流水が地表に湧き出しているところがあり、飲んでみるとなかなか良い。預かった分を含めてペットボトル4gを満タンにして涸れ沢を登り返したら、西村さんと下山先生は、崖から染み出てポタポタ落ちる雫を気長に捕集していた。 乗越まで戻って、今日は珍しく元気のない小佐野さんと啓ちゃんと一緒に、みんなから遅れてゆっくり歩いた。小さなピークを越えるとやせ尾根が崩壊した所に出る。鉄の梯子を下ってまた上り返す高巻きならぬ下巻きをして金山谷乗越。 熊笹のしげる急な長い斜面を頑張ると、トウゲブキの群落があった。続いてコバイケイソウの大群落の中を登ると青い屋根の小さな青ケ岳山荘が見えてきた。先発隊はこの前のテーブルで待っていたが、さらに5分登って檜洞丸の山頂(1600m)で昼食にした。ここには多くのグループが休憩中で、数台あるテーブルは満杯だった。檜洞丸まで日帰りで登ってくる人が結構多いようで、ここからの下りでも多くの人と出会った。 みやま山荘で作ってくれた酢飯寿司の弁当をゆっくり頂いて下山につく。ここから西丹沢まで高度差1000m、みんな気合を入れての出発だ。山頂すぐから木道が始まった。コバイケイソウなどの植生保護のためか、崩れやすい登山道保護のためか、木道は石棚山稜分岐を過ぎてツツジ新道の急坂に入っても延々と続いた。ツツジ新道はまさしく名の通りツツジのトンネルが続く登山道だった。ツツジ目当てらしき登山者が登ってくるが、上の方のシロヤシオはまだつぼみだった。一週間先だったら満開で見事だったろうが、欲を言えばきりがない。それでも1300mぐらいまで下ると、白く咲いたシロヤシオの花を見ることができた。富士山が霞んでしまったので、展望園地も素通りし、長かった急坂をこなしてやっとの思いでゴーラ沢にでた。ここからはハイキング道、冷たい流れの脇で小休止。 歩きやすい道を歩いて車道に近づくと、聞き覚えのある声が聞こえた。弘昌さん夫妻が出迎えてくれていたのだ。いつもながらの心使いに恐れ入り、一人一人に手渡していただいたオレンジを早速むいてほおばる。うまかった! 10分ほど西丹沢自然教室まで歩いて、宿舎のバスの出迎えを待った。宿舎のハイツ中川は公共の宿で安いお宿だが清潔な温泉宿だ。お風呂に浸って元気を戻し、まずはビールで乾杯!品数多い夕食をいただいて、さらに弘昌さんが宅急便で送っていた宮之浦岳土産の焼酎で、苦しくも楽しかった縦走の思い出に話は尽きなかった。 5月17日: |