S93.百万本の曼珠沙華と日和田山

1.動 機
(巾着田の曼珠沙華の赤い絨毯)
風邪気味になり連日家の中で鬱々としているとき、新聞に百万本の曼珠沙華の花が満開との記事を見て、無性に見に行きたくなった。日和田山と曼珠沙華は年初めに作った年間計画にも入れていたので、綺麗な空気を吸えば風邪も飛んでいくかもと実行することにした。埼玉県日高市の高麗まで電車で出かけて、巾着田の満開の曼珠沙華を見物し、直ぐ近くの日和田山、物見山、ユガテから東吾野駅へと10kmの奥武蔵遊歩道をハイキングしてきた。巾着田の周りの高麗川堤防沿いに一面に咲いた曼珠沙華の絨毯は期待以上に見事なものだった。

2.データ
a)山域:日和田山(305m)、高指山(330m)、物見山(375m)、ユガテ(290m)
b)登山日:2005/09/28(水)曇一時晴
c)コースタイム: 
9月28日: 大甕駅5:38 = 7:27日暮里駅7:35 = 7:55池袋駅8:11 = 9:06飯能駅9:07 = 9:14高麗駅9:30 ---- 9:40巾着田(昼食)11:20 ---- 12:00金乃毘羅神社12:10 ---- 12:20日和田山 ---- 12:40高指山12:45 ---- 13:10物見山13:20 ----13:45北向地蔵14:00 ---- 14:30ユガテ14:35 ---- 15:20東吾野駅15:42 = 15:58飯能駅16:00 = 16:58池袋駅17:10 = 17:30上野駅18:00= 19:21大甕駅  
d)同行者:和子
e)地形図:1/25000 「飯能(北西)」

3.記 録 
ジパングクラブの割引切符を買って、大甕駅から朝一番のフレッシュ日立6号に乗る。月曜日ではないので空いている。ゆっくり朝食を取って、日暮里で乗り換えて池袋駅に向かい、折からのラッシュアワーで押し寄せる人波に圧倒されながら慣れない構内をさまよって、やっと西部池袋線のプラットホームに辿り着いた。次々に着く電車が全部超満員で、ドア際の人がおしつけられてみんなガラス窓に歪んだ顔を押し付けているさまには驚かされ、こんなところに住まなくて良かったなとつくづく話し合う。
ラッシュを敬遠してか、この時間に秩父へ向かう電車はまだ空いていた。飯能駅で乗り換えて高麗駅に9時過ぎに下りた。駅前には曼珠沙華祭りの横断幕や真っ赤な将軍標が2本立っており、多くのテントからは早くも美味しそうな匂いが流れてきていた。使ったトイレも綺麗で、清潔に掃除されていて気持ちよかった。
駅から既に「奥武蔵自然遊歩道」が始まっており、巾着田へに指標をたよりに、途中に、高札場跡や水天の碑を眺めながら鹿台橋の手前から河川敷に下り、堰魚道を見送ったところで仮設の橋を渡って巾着田に入った。堤防の法面には早くも曼珠沙華が咲いている。それも並みの本数ではない。堤防の花は公園入口までずうっと続いていて、入場料を払う前にもう曼珠沙華を十分に堪能した感じがした。
河川敷の仮設の道を200mほど歩いたところに堤防へ上がる入口があり、入場券を売っている。堤防に上がると目の前に真っ赤な絨毯がどこまでも続いている。余りに広くて写真を撮るにも、どこに焦点を合わせていいか迷う。赤い花ばかり、遠景、近景、アップといろいろ写真を撮って堤防沿いを歩いていくと、稀には白い花もあり、そんなところにはカメラを構えた人がたむろしている。
(白い曼珠沙華も新鮮だった)
(コスモスの向こうに日和田山)

堤防沿いに咲いた曼珠沙華の間を500mばかり歩いたところが巾着田の先端で展望台があった。曼珠沙華の群落はニセアカシヤの木立の間に広がっているので、展望台からは望めない。目立つのは目の前に広がる広大な駐車場、半分以上埋まっているが、続々と車が入ってきている。巾着田の中に大きなコスモス畑が見えたので、引き返しながら寄道した。曼珠沙華の密集した絨毯を見た後なので、少し寂しげに見えたが、色とりどりの花が咲いていてこちらも綺麗だった。花の向こうには、これから歩く日和田山からの稜線が見えていた。
入口まで引き返して、もう一度群落地に入って、先ほど歩かなかったコースを辿りながら赤い花の名残を惜しんだ。入場券は一日有効なので再入場も自由。時間も丁度いいので河原に下りて昼弁当を広げた。食事している間も、高麗駅の方からやってくる人の列が絶えなかった。平日でもこうなのだから、日曜日にはどうなるのだろうと人のことながら心配になった。
昼食後、日和田山に向かった。日和田山への指標が各所に立っており、はじめは車道を歩いたが、大きな配水タンクのところからハイキング道らしくなった。整備された道を歩いて大きな鳥居に着くと、道は三方に別れ、真ん中の男坂を登った。男坂は岩稜をよじ登るルートで岩の出っ張りや木の根っこを足場にしながら登った。今日のコースで唯一の難所らしいところだったが、長くは続かなかった。最後の岩を登ると、その上に金刀比羅神社が見え、その前の岩場で、多くの人が弁当を広げながら展望を楽しんでいた。眼下に先ほどの巾着田が見え、蛇行する高麗川によって丁度巾着の形に囲まれている様が良くわかった。富士山も見えるらしいが、今日のお天気では雲の中だった。
(高麗川に囲まれた巾着田)
(日和田山の立派な宝篋印塔)

神社の奥の崖を登るとすぐに日和田山だった。ここにも十人ばかりの人が昼食中、眼下に町並みが広がっており、これが日高市とのことだった。山頂には山名標と三角点、それに大きな宝篋印塔が真ん中に立っていた。筑波の宝鏡山や房総の宝経塔山でお目にかかったが、ここのものが一番立派に見えた。
(手入のいい植林帯)
(三体の北向地蔵さん)

証拠写真を撮って次へ急いだ。粘土がついて滑りやすい岩場の道を少し下ると檜や杉の植林の中の広いハイキング道になった。このあたりの植林は西川材としてよく手入れされていて、歩いていても気持ちがよかった。程なく車道に出ると高指山の指標があり、巨大なアンテナの立つ山頂を目指したが、金網の囲いに阻まれた。
車道を先に進むと休憩舎があり、「ふじみや」という茶屋もあったが、富士山は見えそうにないので通り過ぎ、山道になってからアップダウンを繰り返して物見山についた。ここからは都心方向の展望がよく、数人が休んでいた。所沢球場のドームや池袋のビル群がかすみながらも見えているのを説明してもらった。一等三角点が50mほど離れたところにあり、写真を撮って引き返し、立派な山名標の前で証拠写真を撮って次に向かった。
相変わらずよく手入れされた植林の中の稜線を気持ちよく歩いて、今日のルートの最高地点(380m)の北向地蔵に到着した。三体のお地蔵さんが立派な祠の中で北向きに立っておられた。
(案内板の多いユガテ)
ここでおやつを食べながら少し休憩して、10人ほどの集団をやり過ごした。下の車道を越えたところで登山道は二股に分かれ、地形図から判断して右手に進み、その先の分かれにユガテの道標を見てさらに右に入った。どんどん下って沢を2箇所渡って登り返したところがユガテだった。ここは「湯ケ天」の看板もあったが、農家2軒の家と畑だけの部落。ハイキングの拠点になってるようで、ハイキングマップの大きな看板があり、休憩舎やトイレもあった。畑の脇に曼珠沙華の花が咲いていて、久しぶりに見る思いで眺めた。数輪咲いているのも風情があっていいものだ。
植林の中の急坂を下ると舗装道路に出て、そのまま川沿いの車道を東吾野駅までゆっくりと歩いた。沿道の民家には色とりどりの花が植えられており、眺めながら歩いて飽きることがなかった。
東吾野駅に電車到着時刻の20分前に到着し、風邪をぶり返さないように、下着の汗をぬぐい防寒着をつけた。飯能、池袋、上野と心配した混雑もなく接続もスムーズに繋いで、大甕駅に19時21分に到着した。車での山行よりも多少時間がかかったが、車中でゆっくり休みながら、山行記録も纏めながら帰ってきた。



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