T25 八ケ岳スノーハイク

1.動 機
水戸アルパインでは毎年2月3月にはスノーハイクが計画される。今年の計画は、去年の北八ケ岳に続いて南八ケ岳で、美濃戸口から行者小屋を経て赤岳鉱泉に一泊し、翌日硫黄岳を往復して帰ってくる展望期待のルートとなり、楽しみいっぱいだった。土日の予定が都合で日月となったお陰で山小屋も空いており、少し心配だったお天気も予報より良い方にずれ、期待以上にすばらしいスノーハイクを楽しむことがきた。
(青線が歩行ルートです)

2.データ
a)山域:硫黄岳(2765m)
b)登山日:2006/02/19(日)晴、20(月)晴後雪、(前夜発)
c)コースタイム:
2月18日:日立計算センタ前 21:20 = 21:35 東海駅西口 21:50 = 22:10 勝田西口 22:15= 22:30 水戸駅 = 20:50 水戸IC = 23:35守谷SA 23:45 =
2月19日:= 1:00談合坂SA 1:30 = 2:40八ケ岳SA(仮眠)6:25 = 6:40諏訪南IC = 7:20美濃戸口7:30 ---- 9:00美濃戸山荘9:10 ----白ツ河原(昼食)---- 13:40行者小屋14:00 ---- 14:15中山乗越14:30 ---- 14:50赤岳鉱泉(泊)
2月20日:赤岳鉱泉7:30 ---- 8:50雪崩跡8:55 ---- 9:15赤岩の頭9:20 ---- 9:40硫黄岳9:45 ---- 10:00赤岩の頭 ---- 11:00赤岳鉱泉11:45 ---- 13:15赤岳山荘(昼食)14:10 ---- 15:00美濃戸口15:10 = 15:20もりの湯(入浴)16:00 = 16:25諏訪南IC = 17:10双葉SA 17:20 = 18:40石川PA 18:50 = 20:30守谷SA(夕食)21:05 = 21:55水戸IC = 23:00計算センタ前
d)同行者:(男性6名、女性5名)、和子は不参加
e)地形図:1/25000「八ケ岳西部」

3.記 録 
2月18日
和子は寒さに弱くてスノーハイクはいつもパスする。バス停まで和子に車で送ってもらい、定刻9時半の10分前に到着したバスに乗った。乗車メンバが分からないので、東海駅で予定時間まで待ったが誰も来ない。勝田駅からだんだん仲間が増えてきたが、総勢12名、女性5名で男性7名と男性の方が多いのは水戸アルパインとしては珍しい。バスはもったいないほどゆったりしていて、守谷でトイレ休憩したあとは首都高も中央道もうとうとしているうちに八ケ岳PAに朝3時前に着いたらしい。
2月19日
皆さんがごそごそし始めてから目が覚め、顔を洗って朝食のパンをほおばった。6時半の出発予定に近くなると周りの八ケ岳、南アルプス、金峰山など白い峰が輝き始め、バスから降りてシャッタを押した。中央道を西に向かうと左手に南アルプスが、右手に八ケ岳が大きく間近に迫ってきた。諏訪南ICで高速を下り、コンビニで弁当と飲み物を準備、美濃戸別荘地に向かう。道路にも路側にも積雪は全然なく驚かされたが、途中の長い直線道路の先には八ケ岳が白い峰峰を連ねて美しかった。11日の雪崩事故の話になり、「その現場を通過するのか」との心配の声に、リーダは「この前の雪崩で表層は落ちてしまい、その後大雪は降っていないから、もう落ちてくる雪は残っていないから大丈夫」とこともなげにおっしゃる。説得力のある説明にみんな納得顔。
美濃戸口の八ケ岳山荘前に着くと、登山指導所前にパトカーが駐車して警官が係員と話ししている。また何か事故発生かと緊張したが、単なる立ち寄りだった。登山計画書を提出し身支度を整えて出発だが、道路には雪がないのでスノーシューは担いで出発だ。しばらく雨が続いたとのことで、車道の雪は大分消えてしまっていたが、ところどころ凍っていて慎重に歩いた。途中からアイゼンを着けて、近道の山道に入ると目の前に格好のいい雪山が見えてきた。阿弥陀岳とのこと、阿弥陀さまに今日の好天と無事を祈った。 。
(はじめは車道歩き)
(白い御嶽山も見えた)

美濃戸山荘で休憩し、その先の別れで行者小屋に向かって南沢に入った。道は踏み固められているので歩きやすいが、登りは登りだ。だんだん暑くなってきて、ヤッケは脱いで歩いた。高度を上げていくと、後に中央アルプス、御嶽、乗鞍の白い峰が見えはじめて慰めてくれた。
たいした急坂でもないが、Koさんの体調がおかしくなってきた。明日の硫黄岳には登らないつもりだったので、スノーシューだけ持ってアイゼンは待ってきていないという。雪が少ないのでスノーシューでは歩きにくいので脱いだ。壺足で歩くと滑りやすく、足場を選びながら歩かなければならないので疲れるようだ。写真が趣味なのでリュックは写真機機材、材料でずっしりと重そうだ。ついに足が攣ってきて動けなくなり、小休止しながらバンテリンを塗って介抱。少し歩いたが、寒い外気に脚を晒して冷やしたのが悪かったか、また足が攣ってきた。塩を舐めてもらって、ホッカイロを貼り付け、今度は皆で少しずつ荷物を取り上げて再出発。塩が痙攣に良いというのでKiさんはいつもフイルムケースに入れて歩いているという。そういえば、和子も塩を持ち歩いていたのを思い出した。白ツ河原から少し登った日当たりのいいところで弁当を広げた。今日は2日休みの終わりの日、満足そうな顔をした登山者が次々と下りてきて、挨拶に忙しい。
Koさんも元気になって歩き始め、やがて、横岳下の大同心や小同心の岩頭が目の前に見え始め、ますます気持ち良くなった雪道を歩く。リーダに言われて後を振り返ると、谷間の先に北アルプスがすっきりと見えていた。槍と穂高、手前に蝶や常念が綺麗に見えていて嬉しい。行者小屋に近づくと赤岳が目の前に迫ってきて証拠写真を撮ってもらう。
(大同心・横岳の岩頭を見ながら)
(赤岳をバックに証拠写真)

行者小屋の前は広場になっていて、ほぼ360度の展望。近くに大同心から横岳、赤岳、中岳、阿弥陀岳の連なりが迫り、東が開けていて北アルプスが遠く白く見えていた。パノラマ写真を撮りながらゆっくりと休憩した。Koさんも元気になって、立派なカメラで盛んにシャッタを押していた。
歩き始めて行者小屋の上に上がると、赤岳阿弥陀岳がさらに大きく見えてきた。少し歩いた峠が中山乗越、赤岩の頭から硫黄岳方面が見えており、大同心の絶好の展望地だった。ここで写真好きの男性4人は、あちこち向いてはシャッタを押しているので、8人はお先にと赤岳鉱泉に向かって下りていった。Koさんの写真はさすが、絞りを変え、ピントも変え、同じ被写体に何度もシャッタを押していた。
赤岳鉱泉に着くと、清潔な宿で暖房も十分に入っていて暖かい。大部屋が与えられたが、明日が平日なので宿泊者は少なくゆったりしている。夕食は6時からと時間もたっぷりあり、Koさんが迷惑かけたからと、アルコールをたっぷり買ってこられたので、部屋の真ん中のテーブルで四方山話に花が咲いた。お酒を断れない私は少々飲みすぎ、夜中頭が痛かった。相部屋の男性一人は話に入ってきたが、若い二人ずれは黙って出て行った。御注進があったようで、宿の人が覗きに来たが、大きな声は出していないので一言って引き上げた。
スケッチの好きなSさんが北アルプス鏡平以来付き合っているという山口画伯が相部屋で入ってきた。硫黄岳まで登ってきたとのことで、今日書いてきたというスケッチを披露された。赤岳や大同心などのスケッチが30枚ぐらいあった。描くだけで時間が大変でしょうと言うと「写真を撮るのと変わらないよ」とおっしゃる。描き方を見せてとお願いすると、気さくに実演が始まった。持ち帰った素描は線だけだったが、線に濃淡を追加したり墨入れしたりすると、また見違えるような風景になってきた。ものすごく早い筆使いだが、タッチは少しもずれることなく、魔法のように絵が出来上がっていった。確かにこれなら写真を撮るのと時間は変わらないと納得した。
(左利きの山口画伯)
(スケッチの一枚)

赤岳鉱泉の食事が美味しいのは有名らしいが、夕食のビフテキは軟らかくて天下一品だった。思わず「我家の肉とは随分違う」と言ったら、みなさんも同感のようだった。夕食が終わって7時から、一人一畳ゆっくり布団を並べて眠りに着いた。9時が消灯時間で、暖房もそれまで付いていて、いびき一つ聞こえない静かな夜を朝まで気持ちよく眠った。
2月20日
天気予報では、今日は曇りで降雨確率60%以上だったが、朝起きると空は青空。ラッキー。6時半からのおかずいっぱいの朝食をいただき、不要なスノーシューは宿に置いて7時半に出発した。Koさんは近くの撮影ポイントをめぐって写真を撮るとのことで、11人で出発した。
(大同心・小同心)
(赤岳・中岳・阿弥陀岳)

ジョウゴ沢からは大同心が目の前に迫り迫力満点、そこを登ると朝日を浴びて白く輝く阿弥陀岳が赤岳と並んでナイスビューだった。中央アルプスや北アルプスを楽しみながら登ると、11日の雪崩事故場所に到着した。崩落した雪は硬く締まっていて、踏み跡をはずしてもストックも沈まない。「心配はないができるだけ早く通り過ぎよう」と、赤岳を眺めながらおやつをほおばって英気をつけた。             
(雪崩地点横の急登)
雪崩跡を横切り、なぎ倒された樹木の横の急斜面をせっせと登り、大きく出っ張った雪庇の下を通り過ぎて上がったところが赤岩の頭、ほっとするとすばらしい展望が待っていた。この頃から雲行きが怪しくなり、遠くの山は雲に隠れ始めたので、写真もそこそこに阿弥陀岳への登りについた。登山道の傾斜はそれほどではないが、岩っぽいところや急斜面のトラバースがあったりし、滑ったらおしまいと緊張して登りきった。
山頂に上がると、丁度吹雪が始まって、冷たい風が粉雪と一緒に吹き付けてきて、冷たくなってきた。赤岳も雪に隠れてきた。もう10分も早ければ、と考えるのは贅沢というもの、強風の中で集合写真を撮って早々に下山にかかった。
(赤岩の頭からの展望/横岳・赤岳・中岳・阿弥陀岳)

赤岩の頭からの下りでは、3mづつ間隔をあけて歩くよう指示が出た。雪層への負担を減らして雪崩を起こさせない、万一のとき巻きこまれる人数を減らそうとの配慮だった。早く通過したいが、足を滑らせるととても止まりそうにもない急斜面、慎重に下った。下りは視界ゼロ、大同心さえ見えないので、写真をとる必要もなく、さっさと赤岳鉱泉まで下りついた。
(雪の中のを歩くのも楽しいもんだ)
宿で雨具を着け、置いていったスノーシューを荷造りし、アイゼンを付け直して下り始めた。下りは美濃戸へ向かって広い沢沿いの登山道を下った。雪の中の散歩も、樹木が雪化粧し、沢には雪だまりがぽっかり浮かんでいたり、快晴の散歩とは一味違った風情があって、感じがいい。何度も橋を渡って沢の右左の登山道ををシャッタを押しながら歩いた。
  林道に出てから折角持ってきたのだからとスノーシューに履き替えて歩く人も出た。ほとんどの人はアイゼンのまま歩き通したが、美濃戸に近づくと雪が重くなり、アイゼンにくっついて団子になり歩きにくくなった。美濃戸山荘は休業、赤岳山荘で休憩、ご主人一人で作ったうどんをいただいた。さんざ待たされたうどんは旨かったが、肉うどんも素うどんも同じ700円なのは驚きだった。
ご主人のお勧めもあって、ここからの下りはアイゼンを脱いで歩いた。昨日の登りの時は雪がほとんどなかった車道だが、今朝からの雪でもう随分と積もっており、昨日氷の上を歩いたよりもずっと気持ちがいい。快調に下って、美濃戸口で待っていたバスに乗り込んだ。
近くの「もりの湯」で汗を流して、16時に出発し、昨日と様変わりの雪の積もった道路を走って中央道に乗った。雪から雨に変わる中を、双葉SAと石川PAとで休憩して八王子料金所までは快調に走ったが、首都高はいつものように渋滞し、守谷SAで夕食をとって、水戸に着いたのは22時、日立に着いたのは23時だった。



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