T104 雲南アルプス展望とシャングリラハイキング

1.動 機
旅行社から「雲南アルプス2大名峰とシャングリラハイキング8日間」と題したツアーのパンフレットが送られてきた。現地はチベットの近く中国雲南省の北部にあり、揚子江・メコン川・サルウイン川上流の金沙江・爛滄江・怒江の三江が平行して南下する地域で、1996年に自然世界遺産として認定されて中国が観光地として開発に手がけ始めたところらしい。パンフの梅里雪山の美しい写真を見て行ってみたくなり、下山先生から借りた京大山岳部と中国の合同登山隊の遭難と遺体捜査の記録を書いた本を読んで、ツアーに参加することに決定した。
8日間とも上々のお天気に恵まれて、数々の美しい雪山の姿や大陸の広大な展望を思う存分楽しむことができた旅でありました。

写真下のアンダーラインのついた文字をクリックすると、写真が大きくなります。見たあとは、[戻る]をクリックすると本文に戻ります。

2.データ
a)地域:中国雲南省(麗江、香格里拉、徳欽)
b)登山日:2006/10/21(土)〜 28(土)
c)コースタイム:
10/21(土):日立 = 成田空港 = 広州空港(泊)
10/22(日):広州空港 = 昆明空港 = 麗江空港 = もう牛坪ハイキング = 麗江(泊)
10/23(月):麗江 = 古城 = 長江第一湾 = 石鼓鎮 = 虎跳峡ハイキング= 小中甸 = 香格里拉(泊)
10/24(火):香格里拉 = 納怕海 = 金沙江大湾 = 東竹林寺 = 徳欽 = 飛来寺(泊)
10/25(水):飛来寺 = 明永村 ---- 明永氷河ハイキング ---- 明永村= 香格里拉(泊)
10/26(木):松賛林寺 = チベット民家 = 碧塔海・属都海ハイキング = 香格里拉(泊)
10/27(金):香格里拉古城 = 香格里拉空港 = 広州空港(泊)
10/28(土):広州空港 = 成田空港 =日立
d)同行者:22名(男性10、女性12)、和子

3.記 録 
10月21日:出発 日立8:15=10:35成田駐車場10:45=10:55成田空港14:20=17:55広州空港18:20=18:30レストラン19:30=20:00広州ホテル(泊)

(元気な添乗員神谷さん)
自宅を8時過ぎに出発してR245,R51を繋いで、成田の駐車場には順調に2時間少々で到着した。8日間の駐車料金3780円を払って、空港までバスで送ってもらう。旅行社の受付で航空券を受け取って中国南方航空のカウンタでチェックインをした。12時20分に集合して顔合わせをした。総勢中高年ばかり24名、添乗員の神谷さんは明確な言葉でテキパキと指示が出て気持ちが良い。
窓際に席を取って、六甲山、石鎚山、湯布岳、九重山、雲仙岳など確認しながら飛んだが、五島列島が見えた後は雲が厚くなって、楽しみにしていた中国南部の地形は殆どわからなかった。
広州空港に近付くと、回りをアパート群に囲まれた工場がたくさん見えて、中国の発展を思わせた。広州空港は今でも中国一の規模を誇るが、奥地への便の増加に対応するために広大な隣接地に新空港を増設中だった。土地を自由に使える強みである。
空港は2年前に完成したとかで真新しくて清潔、通路も広くて電気自動車がすいすいと走っている。入国手続きをして出ると、現地ガイドの謝さんが出迎えてくれ、出てきたスーツケースを引きながら広い空港の端から端までエスカレータを上がり下りしながら歩いた。着いたバス駐車場の近くのレストランで中国最初の食事を頂いた。広東料理だそうだが、これから後の料理と味の違いは私にはわからなかった。 ホテルに向かうバスは、はじめ広い高速道路を走り、ジャンクションも直径2kぐらいありそうだ。広州市街に入ってもこの広い道路は変わらず、バスは快調に走るが、空がどんよりと曇りっぱなしだった。謝さんの話では、これは工場の排煙と車の排ガスによるスモッグで、毎日こんな調子だと言う。
夜8時に大きなホテルに着いて、中国の始めての夜をぐっすりと眠った。テレビにNHKの番組が流れるのが嬉しかった。

10月22日:麗江、もう牛坪ハイキング
ホテル6:30=6:50広州空港8:50=10:55昆明空港11:40=12:25麗江空港 12:45= 13:10 レストラン14:00 =15:00 ゴンドラ乗場15:10 =15:30 もう牛坪ハイキング16:20 =16:40 ゴンドラ乗場16:55 =17:15 白水川17:25=17:30白雲展望台 17:35 =18:20麗江ホテル (19:30麗江民族文化交流センタ21:00)

朝一番、開店したばかりのビュッフェタイプの食堂に入ったが、大きなホテルの宿泊客が大勢押しかけてきて席取りも大変だった。
ホテルから昨日の広州空港に引き返し、昆明径由の麗江行きの飛行機に乗った。昆明までのフライトで朝食がでて、昆明から麗江まででもお八つがしっかりと出て、食事に忙しく大変だった。昆明では一旦空港に降りたが、売店を見て回ると、キノコやゲテモノで作った漢方薬の売り場が多かった。
麗江空港に着くと、これから雲南省全体を案内してくれる母(もう)さんと、麗江と香格里拉を案内してくれる孫さんが出迎えてくれた。母さんは丸顔で純朴そうな好青年、孫さんは民族衣装が可愛いお嬢さんだった。レストランで昼食をとって、玉龍雪山(5596m)の展望台のもう牛坪へ向かってバスに乗った。狭い山道の周りには高い山がたくさんありそうだが、残念ながら今日は小雨模様で天気が悪く、何度か上り下りをしながら走るバスの車窓からは上の方は見えない。もう牛坪に上がっても展望は期待できそうになく、みんな元気がない。ゴンドラの乗場に着き、5角の料金を払ってトイレを使った。中国中、このような有料トイレがあるが、その清潔さは、ピンはなくて、中からキリまでだった。


ゴンドラは終点の標高3600mまで100mを20分で持ち上げてくれる。二人乗りで、窓がなくて天気が悪いので、雨具を付けていても少々寒い。ゴンドラに乗っている間に雨はやみ、終点の展望台では民族衣装の女性達がダンスを踊っていた。展望はまだ今ひとつで玉龍雪山は見えないが、目の前に綺麗なラマ教寺院が見え、木道が延びている。とにかく土産物屋が並ぶ間の板敷きの登山道を寺院に向かって歩いていった。富士山と同じ標高、ゆっくりと歩いた。


土産物屋には、色々な工芸品やゲテモノのほかに、大きな松茸や子豚の丸焼き、ヤクの串焼きなど美味しそうなものが良い匂いを漂わせていた。登山道脇には、数は少ないがリンドウやコスモスなどが咲いて彩を添えており、高原内を馬に乗せて案内するのか馬子たちが馬を連れてたむろしていた。


ラマ教寺院の内院周りには回し車が付いており、これを回しながら一周するのが礼儀らしいが、今日は下山のゴンドラの最終乗車時間16時30分が迫っていて省略する。もっと上にもタルチョがはためいていて魅力だったが早々に下山にかかる。途中まで下りると綺麗な虹が出てきた。大地にまたがる大きな虹は見事に半円を描いて美しかった。


ゴンドラ乗場まで降りると玉龍雪山が殆どその全貌を現しており、また素晴らしい景色を堪能した。いつまでも眺めていたい景色だったが、下りのゴンドラの時間切れ。証拠写真を撮ってゴンドラに乗った。


ゴンドラを降りて麗江に帰る途中、白水川にかかる橋の上からも玉龍雪山が綺麗に見えて、下の川に出来ているミニ黄龍のような棚池との組み合わせが素晴らしかった。更にナシ族の小さな木造平屋が点々とする山道を走った先に、白雲展望台という玉龍雪山の展望所があり、ここにもバスを停めてもう一度雪山をゆっくりと眺め、パノラマ写真を撮った。来る時には展望は諦めていたのに、思わぬ展望に恵まれて、帰りバスの中は明るい笑い声でいっぱいになった。


一旦麗江のホテルに入って夕食をとり、市内の麗江民族文化交流中心にナシ族の民族芸能を見に出かけた。美しい衣装の踊りと綺麗な声の調べが調和して素晴らしく、楽しい1時間半が瞬く間に過ぎていった。


10月23日:麗江古城、石鼓鎮、虎跳峡ハイキング、小中甸、香格里拉へ
ホテル8:00 ---- 9:00獅子山展望台9:15 ---- 9:20四方街広場9:35 ---- 新市街10:05ナシ族ショップ10:35 = 10:50 長江第一湾 11:55 = 12:00石鼓鎮 12:35 = 13:25 レストラン14:00 = 14:05 虎跳峡駐車場 ---- 14:55 虎跳峡15:05 = 16:00 虎跳峡駐車場 = 17:30 小中甸高原18:00 = 18:30 レストラン 19:15 = 19:30香格里拉ホテル(泊)

(麗江古城)


古城とは旧市街のこと。ホテルも古城内にあり、玄関前から歩き始めた。広い地域に狭い路地が複雑に入り組んでおり、迷子になったら大変だ。家の裏側には小川の流れもあり、柳の木の下で画学生がスケッチをしていたり、なかなか風情があった。大石橋という石造りの眼鏡橋は、映画「単騎千里を走る」のロケに使われたところだという。


あちこちに共同洗い場があったが、三畳泉というところは中国では珍しく生水が飲めると言う。古城にはナシ族が多く住み、家々の玄関には中国文字のほかに、ナシ族のトンパ文字という絵文字が併記されていて、意味を考えるのが面白かった。 町並みのあちこちで、玉龍雪山の白い頂を見ることが出来、古くから麗江の人々から聖山として崇められてきたのがわかるような気がした。
四方街という広場から石段を登って獅子山の展望台に上がると、下には一面の瓦葺の家並みが広がっていて、古城の広さを実感できた。その上には玉龍雪山が聳えていた。
(トンパ文字)

展望を楽しんで四方街まで下って 休憩していると、土地の人たちの踊りが始まった。年配の集団の踊りで結構楽しめたが、いつまでたっても歩き始めないので訝っていると、朝方古城の店で注文したトンパ文字の印鑑が届けられてきた。ここで出来上がりを待っていたのだった。


車が走れる新市街まで歩き、メノウなどの宝石やナシ族の民芸品の土産物などを展示したショップに入った。色々珍しいものを眺めて表に出ると、広い車道の向こうに玉龍雪山が綺麗に見えていた。街は新しくなっても聖山はいつまでも聖山のままのようだ。
バスに乗って次の観光地の長江第一湾に向かった。

(長江第一湾)
ここまで長江(金沙江)は爛滄江・怒江と平行して南に向かって下ってくるが、長江だけがここで大きくV字形に向きを変えて北上し、上海に下る。中学時代の世界地図でもこの曲がりを見ることが出来るが、あまりに大きくて岸辺で見たのでは曲がりの様子はわからない。山の上からか航空写真で見たいものだ。とにかく中国のとてつもなく大きな地形だけは心底実感させられた。

(石鼓鎮)


石鼓鎮は、第一湾からすぐのところにある小さな部落で、ナシ族の古い家並みが並んでいる。駐車場から出店を眺めながら歩いた先に入場門があり、中に立派な碑亭で保護された鼓の形をした石碑が祭ってあった。15世紀末にナシ族がチベット族に勝利した記念にこの石碑を建てたとのことだ。
そばに木造の吊橋があり、これも映画のロケに使われたらしいので渡ってみた。吊り橋のたもとで地元の老人が二人で二胡と横笛で古楽を演奏していた。


古い町並みを見渡そうと高台に上がると、農民と兵士のような二人の銅像が立っていた。解放軍が地元ナシ族の支援で金砂江をわたることができ、その感謝の気持ちで建てた記念碑だそうだ。
麗江方向に引き返し、橋を渡ったところのレストランでナシ族の田舎料理だと言う中華を頂戴して、次の虎跳峡に向かった。

(虎跳峡)


玉龍雪山(5596m)と哈巴雪山(5396m)は肩を並べてそびえていたものが、太古の地殻変動によって幅30〜60m を隔てて寸断され、それが標高差3000mのV字形断崖絶壁が続く虎跳峡を作りあげたという。全長が15qの大峡谷で、虎がこの峡谷を飛び越えたという言い伝えから虎跳峡と名付けられたのだそうだ。今ではその両岸に舗装された道路がつくられ、中国の観光客も多く訪れる。


30mに狭められた急流を眺めるために、駐車場から崖にへばりつくようにつくられた2.7kmの遊歩道を歩く。遊歩道を広くとるために、半分は崖をくり抜いて作ってあり、足下は石畳が敷き詰められていて、観光客用の人力車に乗る人もいた。随所に警備員が配置され、歩く人に山側を歩くように注意している。上からの落石は崖にへばりついていた方が安全ということらしい。


向かいの崖にも高いところに道が作られていて、こちらは時折バスが通っていた。香格里拉(シャングリラ)からチベットに行く道であり、こちらも虎跳峡の観光ルートで、急流直上から渓谷まで200m、600段の階段を下りることになる。どちらが楽なのか、楽しいのか。こちらは、はじめは流れも緩やかだった流れが、進むにつれて段々と急流になって行く様が身をもって感じられて、それなりに面白かった。 急流部分に入る手前がトンネルになっており、その手前から大岩を眺めると、右岸の岩棚に今にも飛び出しそうな虎の像が見えた。どうやって運んだのだろう。


大岩の真上に橋があり、ここからの眺めがとても良かったが、下の川岸にも展望台が見えたので階段を下ってみた。近くに行くと轟音はますます凄まじくなり、暴れるように飛沫をあげて流れ下る急流の様は圧巻であった。虎が飛び移ったという大きな石は急流が絶えずぶつかって白く泡立つ中にあった。世界でも屈指の深い谷に響く凄まじいばかりの奔流の音は大きな虎の咆哮に聞こえなくもない。
向こう岸にも遊歩道が見え、多くの人が流れに見入っていた。200m上に数台のバスが見えた。ここから下りてくるのは大変だなあ。


来た道を駐車場まで引き返したが、来る時には気がつかなかった雪山が右手遥か上に見え、これが5396mの哈巴雪山の端っこと思われた。孫さんはここでお別れだった。可愛い娘さんが、いつ来るか分からないバスを待って麗江まで帰るのだ。

(小中甸)


香格里拉に向かう途中の峠道で振り返ると、白い雪を頂いた連山が見えた。母さんによると哈巴雪山と玉龍雪山が連なっているのだと言う。早速バスを停めてもらって写真を撮った。今回の一行には写真好きの人が多いので、こんな時に、ガイドさんへの圧力が強くなって好都合だった。


香格里拉の街に近くになって、小中甸という草原があり、夏には色々な高原植物が咲き乱れて綺麗なところだという。秋には狼毒という植物が一面真っ赤に紅葉して見事らしいが、残念ながら一週間ほど盛りが過ぎていて、狼毒も探しながら写真を撮る様だった。
香格里拉についてレストランでキノコ尽くめの夕食を賞味してからホテルに入った。


10月24日:納怕海 、 金沙江大湾 、 東竹林寺 、飛来寺へ
ホテル8:00 = 8:20納怕海9:20 = 10:55レストラン11:40 = 12:25金沙江大湾 12:40 = 12:55 東竹林寺14:20 = 15:35 白范山展望所115:45 = 16:05 白范雪山展望所216:10 = 16:25 白范峠316:35= 16:40給水所 16:55 = 17:40徳欽 = 18:20飛来寺展望台 18:30= 18:35飛来寺ホテル

(納怕海)


それは香格里拉からすぐのところにあった。幹線道路から狭い未舗装道路を少し入ったところに駐車場があり、そこから歩き始める。海とは湖のことである。雨季には広い湖になり、そのほとりがお花畑になるという広い草原は、今は牧場のようになっていて、牛や山羊、ヤクが放し飼いになっている。広々とした草原は、花が咲いていればもっと素晴らしいのだろうが、花はなくてもはるかに農家の集落があり、干し麦の棚が並び、どこまでも広がる草原を散策するのはとても気持ちが良かった。


注意要はところかまわず存在する動物の糞だった。農婦が足早に歩きながら何かを拾っては、背中の背負子に放り込んでいたのは、これだった。ところどころに糞のケルンが積み上げられていた。


ゆっくり散策を楽しんで徳欽に向かう坂道を登っていくと、下に浅い湖が見えていた。これは納怕海の端で、まだ水面が残っている部分だった。

(金沙江大湾)


レストランで昼食を済ませ、峠道を上がっていくと、断崖絶壁の下に金沙江が山を避けてUの字に蛇行するのが見えてきた。全体を見渡せるように、岩棚のような展望台が出来ていて、大勢の中国人がたむろしていた。この金沙江大湾は昨日の長江第一湾ほど規模が大きくないし、高みから見下ろすので流れの曲がりの様子が一目で見える。自然が作り出した芸術のようだった。


(東竹林寺)
更に坂を登っていくと、山奥の峠道の下に集落があり、雲南省第二の大きさと言う大きなラマ教のお寺が建っていた。お寺の周りの家はすべて修業僧の住居で、集落全体が東竹林寺だけの世界だった。
駐車場の前には売店があり、入口に切符売り場もある。本殿の前の廊下で十人ばかりで勉強中の修業僧のそばを通って中に入ると、チベット仏教の寺院らしく色きらびやかな仏画やの壁画が描かれていた。急な階段を登ると金張りでサンゴやトルコ石で飾られている豪華な3つの立体マンダラが飾ってあった。写真を撮れないのが残念だった。

(白茫峠)


さらに坂道を走ると5137mの白茫雪山が見えてきた。手前の谷が見事に黄葉していてこれもまた美しい。みんなバスから降りてゆっくりと眺め、盛んにシャッタを押した。
途中にトイレを兼ねた給水所があり、バスの後部下から給水している。これから続く長い下り坂で酷使されるブレーキの冷却水の補給だった。


やがて白茫雪山の峠に着く。4292mのはずだが、道路標識は4210mになっている。峠の上にきざぎざの岩山が聳え、チロルのドライチンネンに似た山容で、2年前のヨーロッパアルプスを思い出させた。
ここを越えると前方に梅里雪山が見えてくるはずだが、こちらは雲が多くて展望が悪い。下って登り返して梅里雪山好展望地の十三白塔観景台に着いたが、バスはそのまま通過した。
このあと長い下り坂を下って徳欽の街に入った。ここの標高は3400m、そのまま通り過ぎて3600mの今夜の宿泊地の飛来寺まで上り返す。出発地点の香格里拉3200mから1000m以上登って白茫峠、800m下って徳欽と、たった一人で長時間の運転をした今日の運転手さんはご苦労様である。

(飛来寺)


飛来寺に着くと、道路脇が梅里雪山の展望台になっており、白塔が並び色とりどりの旗がひらめいている。京大山岳部と中国の合同登山隊の遭難の慰霊碑があったが、日本隊の名前は無残に傷付けられていた。


梅里雪山の氷河は綺麗に見えていたが、13峰は残念ながらすべて頭を隠していた。50m上にあるホテルに入って、明日の好天を期待してゆっくりと休んだ。夜空は満天の星空で、綺麗な空気の中でたくさんの星が眩いばかりに輝いていた。


10月25日: 明永氷河展望台ハイキング、香格里拉へ
飛来寺ホテル7:50 = 8:30明永村ゲート = 8:50乗馬所9:00 = 9:05水場 9:10 = 10:00 急坂10:10 = 10:20 太子廟10:30 = 11:00 明永氷河展望台11:10 = 11:30 太子廟 = 11:45急坂入口 11:50 = 12:30乗馬所 = 12:40レストラン13:30 = 14:30飛来寺展望台14:35 = 15:00 徳欽 = 16:10十三白塔観景台 = 16:40 休憩所 17:10 給水所 = 19:00 ブレーキトラブル 19:25 = 22:00 香格里拉ホテル

    早起きして7時前に窓の前を見ると、窓の前に梅里雪山が見え始めていた。主峰のカワカブ峰は雲の中だが、太子雪山とも呼ばれるメツモの峰(6054m)とジャワリンガの岩山(5470m)は綺麗に見えていて嬉しくなった。時間を追ってシャッタを押しながらじっと眺めていた。30分過ぎには峰々が赤く燃え出して見事な朝焼けになった。
朝焼けを見て満足してから大急ぎで朝食をとり、バスの出発時間までホテル前の庭からまた飽きずじっと山を眺めていた。
バスは標高3600mの飛来寺から舗装道路を一旦1600mの爛滄江まで大きく下った。標高差2000mの下り坂、日本ならいろは坂のようなジグザグの道を作るところだろうが、折り返しは2回だけ、広い土地を自由に使った雄大な坂道である。橋を渡って未舗装の道を2300mの明永村に登り返すとゲートがあり料金を徴収していた。バスはもう少し走って、すぐ先の登山口まで入った。


登山口から馬に乗って登る。切符に書かれた番号の馬に乗るのが馬子間のルールのようで、体重の重い人も軽い人も馬は選べない。高所で歩かなくて済むのは高山病には有難いが、馬には小岩井農場の馬場を一周した事はあっても、今回は登り下りのある山道である。どうなることかと心配だったが、案ずるよりも生むが易し。大人しい馬は、みんなを乗せてゆっくりと歩き始めた。



途中に溝を流れる水場があり、馬はここで喉を潤す。私の馬は、今は水はいらないと溝を跨いで土手に乗り上げてしまった。どうなることかと心配したが、馬子が上手に扱って事なきをえた。段々と坂が急になって、馬も苦しそうだが前の馬について行儀良く歩いていった。1時間歩くと一旦馬から下ろされた。足場の悪いところがあるので、馬は空身で歩き、人は別の木道を歩くのだ。



再び馬に乗って少し登ったところが太子堂で、馬からここで下ろされた。お堂の前に旗がひらめき、上に雪山が見えていた。晴れればここから主峰カワカブが見えるはずだが、今日は無理のようだった。明永氷河がそこまで迫っているのが見えていた。トイレを使って、サポータを付けて登りに備えた。


ここから始めは土の登山道で、下の氷河や周りの紅葉を眺めながら歩いていったが、すぐに木製の立派な階段になった。上を見上げるとどこまでも長い長い急な階段道が続いているのが見えた。2700mと今までより標高は低くなったが、高山病にならないようにゆっくりゆっくりと登っていった。



途中、2箇所に展望台があったが、一番上の標高3000mの展望台まで頑張った。展望台に上がった時に、丁度カワカブの白い峰が姿を現した。
「これはラッキーだ!」と喜んでいると、添乗員の神谷さんが「以前来た時、カワカブは氷河の延長上にあったので、あれは主峰ではない」と問題発言。とにかく、写真だけは撮っておこうとシャッタを押したが、白い峰は雲と同色になって上手く写らない。氷河が真っ黒になるまで感度を下げてやっと写真にすることが出来た。

展望台でゆっくりしていたので、太子堂で集合したのは一番遅かった。ここからも道が急で危険なので、馬は空身で下ろされ、人は登りで一旦馬から下ろされたところまで自分の足で下って、ここから馬に乗って下った。
この乗馬場所で、意外な人に出会った。椅子に座って休んでいる見たことがある人は、2年前ヨーロッパアルプスを案内してくれたガイドの石部さんだった。お互い奇遇を驚き喜んで硬い握手をした。石部さんには昼食をとった下のレストランでも再会し、私の撮ったデジカメ写真を見せて「これはカワカブか」と尋ねると、村の人に見せて確認してもらって、「これは確かにカワカブだ」と村人と一緒に太鼓判を押してくれた。やはり頼りになる男だった。
下り坂では登りよりも乗馬の具合が大分違った。あぶみのベルトが脹脛に触って気分が悪かったが、馬子に上手く伝えられない。馬も足場を気にしながら歩いているようで可愛そうだった。和子はお尻の皮を擦りむいて、帰国するまで痛がっていた。

明永村のレストランで昼食をとって、一路香格里拉まで長い長いバスの旅だった。途中、暗くなって急坂を登っている時にバスのトラブルが発生した。なにやらピーピーと警報らしき音が鳴り出し、ブレーキ冷却水の過熱だという。こんなところで夜明かしは大変だなと思ったが、持参のヘッドランプを貸して調査すると、部品のボルトが緩んで水漏れが起きていたことが分かった。ボルトを締めてペットボトルの水を何本も補給してとりあえず対策を終わった。無事バスが走り始めたときにはみんなで運転手に拍手を送った。ここから香格里拉までも長い道のりで、ホテルに着いたのは夜の10時になっていたが、頼りになる運転手の許さんを信頼して皆さんゆったりとした気分でバスに乗っていた。

10月26日:松賛林寺、チベット民家、 碧塔海・属都海ハイキング
香格里拉ホテル9:00 = 9:35松賛寺10:35 = 10:45チベット族民家11:20 = レストラン12:10 = 12:40バス駐車場12:50 ---- 13:05エコバス乗場 = 13:10 属都海ハイキング ---- 14:40エコバス乗場14:50 = 15:05碧塔海ハイキング ---- 17:00 エコバス乗場17:05 = 17:15バス駐車場 = 18:00香格里拉ホテル

(松賛寺)


昨日のバストラブルで遅くなったので、遅い朝食をとって9時にバスに乗った。松賛寺は雲南省最大のラマ教のお寺で、市街に近い。駐車場を囲んで多くの土産物屋が並び、参内道の入口にも土産物屋が立ち並んでいた。大量の商品を独特の背負子に載せて歩く女性達の姿がけなげだった。このあたりの小民族では男よりも女性のほうが働き者で、男性が女性の家に通う通い婚が今でも普通に行われると言う話を思い出した。

600段の階段を登るのは、標高3200mではきつい。ゆっくりと登った。登ったところの本殿は、内部は昨日の東竹林寺と似たようなラマ教の様式だったが、外部の装飾はより金ぴかで、太陽に当たってピカピカと光る様は見事だった。

(チベット民家)


次は、チベット族の普通の民家に入れてもらって、生活の一端をうかがわせて貰った。部屋の中で材木を燃やすので、煙で柱も天井もくすぶって、虫に食われることもなく、腐食もしないで長持ちする。仏間が大きなスペースを占めていて、信仰心の篤さを思わせた。屋根裏にも上ってみたが、キノコなどを干してある天井裏は土壁になっていて、屋根がすけすけの板張りでも、雨が部屋まで漏ることはない。

(碧塔海・属都海ハイキング)


街中のホテルで野菜料理の昼食をとってからバスは碧塔海・属都湖のハイキング場所に向かった。碧塔海・属都湖は、南北60km東西14kmの自然保護区(香格里拉国家公園)の中心にあって、園内は一般車は進入禁止、専用のバスと遊歩道で周るようになっている。入口の一般車駐車場でバスを降りて、専用バス乗車場所(右図門景区)まで10分ばかり歩いた。
最初は専用車で属都湖の遊歩道西入口まで送ってもらい、1.5m巾ありそうな木道が整備された湖畔を歩いた。花はリンドウが盛りの時期で可愛く咲いていた。赤く紅葉したナナカマドの葉と白い実のコントラストも綺麗だったし、サルガセオが湖畔にたなびいているのも美しかった。美しい湖面と湖畔の草紅葉を眺めながら湖畔を半周したが、ここは標高3500m以上のところなので、2.7kmをゆっくりと歩いた。
属都湖の東遊歩道入口の休憩所でトイレを使って、専用バスで碧塔海遊歩道の東入口まで移動した。こちらも属都湖と同じように湖畔に木道が整備されているが、はじめと終わりで200mほどの標高差があるようで、階段道が多かった。西と東に船の発着場があり、時折観光船が行き交いするのが見られた。最後のところで長い階段があり、これを登るのがきつく、バス乗場に着いてみんなベンチに座ってほっとしていた。
専用バスで入口に戻り、少し歩いて貸切バスに乗ってホテルに夕方6時に帰った。夕食は近くのレストランで少数民族舞踊デイナーショーを見ながらのお別れ会だったので期待したのだが、歌手の声や楽器の音をスピーカで大音響で流すので、隣の人と会話するのもままならず、食事を早々に済ませて退散した。ビールと一緒に出た青カ酒だけは、きつい酒なのにいいお味で気に入った。

10月27日:香格里拉古城、広州へ
香格里拉ホテル10:05 =11:50古城散策12:30 = 12:40レストラン13:30 = 13:45香格里拉空港15:30 = 17:30広州空港18:10 = 18:40レストラン19:40 = 21:15広州ホテル

今日は団体での出発が遅いので、朝食後8時過ぎに街の朝市の見物に出かけた。市場はまだ開店前だったが、たくさんの野菜が三輪車で送り込まれ、店に色々な商品を並べるのに皆大忙しだった。白菜、キャベツ、ナス、トマト、ピーマンその他見たこともない野菜類、豚肉、牛肉、鶏肉、ヤク肉など肉類、塩、黒砂糖、醤油?、唐辛子など調味料、ヤクのチーズなど珍しいもの、食品なら何でも揃っていそうだった。一角が食堂街になっていたが、ゲテモノのようなものが食材置き場に置いてあって、とてもトライする気にはなれなかった。


ホテルを10時過ぎに出発して、まずは宝石店に立ち寄った。小さな縁起物の飾りに人気が集まり、皆でたむろして値引き交渉を楽しんだ。 次は旧市街古城に向かった。香格里拉の古城は麗江ほど大きくないが、狭い路地の両側に土産物屋が並んだ街の雰囲気は同じようだった。まずはお茶屋さんで試飲をしながら品定めをしたあと、自由行動になった。狭い街なので迷子になる心配はない。お土産屋を冷やかしながら歩いたが、本屋で、綺麗な写真集が目にとまり、印刷されている定価が150元なのに、「50元でいいよ」と言われて思わず買ってしまった。これを知った仲間が、空港のショップで同じ本を50元にまけろと掛け合っていたが駄目だった。本の定価ってどうなっているのだろう。
新市街のレストランで昼食をとって空港に向かった。香格里拉空港は小さな空港で、ゲートが一つだけだった。
ここで忘れ物。毎日書き溜めてきた日々の記録メモをバスに置き忘れたのに気がついた。母さんや運転手さんと別れて1時間、母さんの携帯に連絡しようとしたがつながらず、回収不能になってしまった。この旅行記は帰国後改めて書き直すことになってしまった。
広州に着いて、大きなレストランで最後の夕食を頂いた。ここの呼び物は「子豚の丸焼き」。出てきた子豚は真っ赤に焼かれて、皮は小さく切れ目が入れてあった。目玉のところに豆電球が埋め込まれてピカピカ光っていたのは御愛嬌だった。皮を剥ぎ取ってウエハースを挟んでいただいたが、北京ダックと似た食感で美味しかった。
ホテルに入って、明日は朝早くの出発なので、早々に就寝した。

10月28日:帰国
広州ホテル6:00 = 6:40広州空港8:40 = 13:20成田空港14:00 = 14:10駐車場14:20 = 16:50日立

早朝4時45分のモーニングコールに起こされて、特別に5時30分に準備された朝食をいただき、6時丁度発で空港に向かった。順調に空港に着いたのだが、チェックインの段階で並んだ一番短かった列の係員が新米で一人一人の時間がかかり、結局、神谷さんをいらいらさせながら搭乗券を入手できたのはグループの最後になった。これはまだ幸いだった。しばらくするとなにかアナウンスがあって、並んでいた全員がぞろぞろと移動を始めた。チェックインカウンタが別の場所に変更になったのだ。乗客からはあまりブーイングは聞こえなかったが、中国には、まだこんなお客の都合無視の扱いが横行しているのだろうか。
飛行機は定刻に離陸して、成田にも無事帰着、荷物受け取り場所で皆さんとお別れした。駐車場に連絡してバスで迎えてもらい、洗車されたばかりのマイカーで一路我家に帰った。



戻る

inserted by FC2 system