U14 長福山

1.動 機
長福山は奥久慈男体山のすぐ西に位置し、女体山とも呼ばれる。2000年に山渓の「茨城県の山」踏破を目指した時に登ったことがあるが、その時は月居山と抱き合わせで登り、南峰に登っただけで済ませた。先日、弘昌さんから長福山に登ったとの連絡が入って、北峰に登りたくなって出かけてみた。いつもは小さな山なら二つ三つピークハントするのだが、今回は欲張らないで長福山だけを楽しみながらゆっくりと歩いた。

(長福山の周回歩行ルート)
2.データ
a)山域:長福山(496m)
b)登山日:2007/01/31(水)晴
c)コースタイム:日立自宅 9:10 = 10:10 長福部落 10:35 ---- 10:55 長福観世音堂 ---- 11:10 長福山南峰 11:15 ---- 11:25 長福山北峰 11:40 ---- 11:50 長福山南峰 ---- 12:10 沢筋 ---- 12:20 男体神社12:30 ---- 12:40 長福部落12:45 = 水府JA = 16:20 日立自宅
d)同行者:和子
e)地形図:1/25000「大中宿北西」

3.山行記録 
我家をゆっくりと出発してR293からR118に入って北上し、滝倉入口の道標で右折して細い車道を男体山の岩峰を眺めながら登っていった。やがてスーパ林道に合流して左折、長福部落に入って路側が広くなっているところを見つけて駐車した。身支度をし、ナビ調整に手間取り、部落の人に登り口を尋ねて歩き始めたが、ここからの男体山も格好が良い。シャッタを押した。庭先に出ていた部落の人に聞いて、コンクリの階段から登っていった。
(長福部落からの男体山)
(階段道から登りはじめた)

後に男体山、足元に青いイヌノフグリや黄色い菜の花を愛でながら手入れされた登山道を登っていくと直ぐに、観世音堂の石段のところに着いた。苔むした20センチ程の小さな石で出来た数十段の石段が5回繰り返して現れ、和子が数えたところでは合計290段あった。登りきると長福観世音堂が立っていた。手入れされたのか、外壁も真新しい板張りになっていた。
(290段の石段)
(綺麗になっていた観世音堂)


(長福南峰山頂の祠前にて)

登山道は観世音堂の右奥から伸びていた。手入れはされているのだが、途中に何本も杉の倒木が横たわっていて邪魔くさかった。すぐに道は急坂になり、植林の中をジグザグに攀じ登っていった。汗をかく間もなく尾根に出て、南峰は尾根道を右に歩いてすぐだった。前に登った時にはもっと苦労したように思うのだがあっけなく登り着いてしまった。
周りは植林の木立ちで展望はなかった。小さな石の祠があり、屋根に「長福山」と手書きで書き込んであったので、この前で証拠写真を撮った。

(長福北峰から男体山)

今回は北峰にも登りたいので、引き返して北峰に向かった。前には尾根分岐から北峰方向は藪が深くて歩く気にもなれなかったのだが、今は歩く人も多いのか、立派な登山道になっていた。狭い痩せ尾根を何回か小さなアップダウンを繰り返して北峰に到着した。北峰には「長福山」を示す山名板も何もなかったので、最高峰の一つ先のピークにあった図根石の前で証拠写真を撮った。北峰直前から植林が途絶えて雑木林になり、葉を落とした雑木の間から、東側には男体山から月居山への稜線、西側には蛇行する久慈川の流れが見えていた。

南峰からの下り道は、はじめこそはっきりしなかったが、尾根の右手は下草を刈り払った手入れの良い植林、左手が最近手入れがされなくなった下草ぼうぼうの植林、その間の尾根筋は木立がなく見通しの良くなっていて踏跡が下っていた。間隔を置いて(茨)と(界)のマークがついた黄色い丸いプラスチックの杭が打ち込んであり、ところどころテープも貼ってあった。なかなかの急坂が続いたが、谷に近付くと更に急坂になった。何とか下って小さな沢をまたぐと、沢筋に道が通っていた。
この道は途中何箇所かで消えそうになるが、とにかく沢筋をどんどん下ると、更に立派な道になって男体神社の駐車場に出た。男体神社の鈴を鳴らしてお参りし、裏手の不動滝も拝んでからスーパ林道に出た。道路わきでお休みの高齢者が多く、長福山のことなど教わりながら駐車場所に戻った。
(黄色杭の下りの尾根道)
(男体神社にもお参りした)

途中出合った登山者は、長福観世音堂で一人、男体神社で一人、静かな山歩きだった。昼食用のバーナも持って登ったが、歩く時間も短かったのでめんどくさくなり、帰り道の水府JAの食堂で暖かいうどんとそばを頂いてから、買い物をしながら我家に戻ってきた。



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