V101.木曾のおんたけさん

1.動 機
木曾御嶽山は誰でも日帰りで登れる3000m級の信仰の山として知られるが、高山病に弱い我家にとっては3000mを越えると難関になるのである。今年の亀楽会からも御嶽山の案内があったが、田の原から一気に3000mまで登って王滝頂上山荘に泊まる計画だったので参加を諦めた経緯がある。
この御嶽山が紅葉の名所だと知り、今年の紅葉狩り最初の山として選んで、なんとか登ってみようと登り方を相談した。一番安全なのは、ロープウエーを使って2150mまで登り、2470mの女人堂に一泊して高度順応してから翌日剣ヶ峰山頂に登る案だったが、余りにも時間が勿体無い。代案として、一日目に女人堂から標高2869mの継子岳まで足を伸ばして2800mの五ノ池小屋に泊まって高度順応し、翌日摩利支天山から剣ヶ峰に登って帰ることに決めて出発した。ところが2日目が雨の天気予報になり、剣ヶ峰に登れない恐れが出てきた。剣ヶ峰に登頂しないでは御嶽山に登ったことにはならないので、無理して一日目に3000m峰の剣ヶ峰に登ることに計画変更してしまった。
(御岳山登山歩行ルート)
(御岳山登山歩行ルート高度差)


2.データ
a)山域:御嶽山(3067m)、飛騨頂上(2811m)、継子岳(2859m)
b)登山日:2008/10/4(土)晴一時曇、5(日)晴後小雨
c)コースタイム:
4日:日立自宅 3:40 = 3:50 日立南IC = 5:50 談合坂SA(朝食)6:25 = 6:55 甲府南IC = 7:50 伊那IC = 8:20 木曾駒高原道の駅 8:25 = 9:15 鹿の瀬駅 9:30 =(ロープウエー)= 9:45 飯森駅 9:55 ---- 11:00 女人堂 11:20 ---- 11:45 金剛童子 12:00 ---- 12:55 覚明堂 ---- 13:35 剣ヶ峰 13:50 ---- 14:40 二ノ池新館 ---- 15:00 サイノ河原 ---- 15:15 避難小屋 15:20 ---- 15:55 五ノ池小屋(泊)
5日:五ノ池小屋 6:45 = 7:20 継子岳山頂 7:25 ---- 7:40 2830m峰 ---- 8:20 四ノ池 ---- 8:55 三ノ池避難小屋 9:00 ---- 9:45 ガレバ ---- 10:50 女人堂 ---- 11:45 飯森駅 = 12:00 鹿ノ瀬駅(昼食) 12:40 = 13:35 釜沼温泉(入浴) 14:35 = 16:00 ラーメン屋 16:20 = 16:25 塩尻IC = 17:25 東部湯の丸IC = 18:40 藤岡IC = 18:50 波志江PA 18:55 = 19:05太田桐生IC =(R50) = 20:30 桜川筑西 = 21:05 日立南IC = 21:15 日立自宅
d)同行者:和子
e)地形図:1/25000 「御嶽山」

3.山行記録
(1日目:アクセス)
首都高をスムーズに通過するためと高速代金を安くあげるために、深夜割引の利く4時前に日立南ICで常磐道に乗った。常磐道、首都高、中央道いずれもスムーズに走って、談合坂SAに6時前に到着して朝食をとった。通勤割引のため甲府南ICで一旦乗り直して伊那ICで高速を下りた(高速代金8600円→5100円)。一般道に下りてからもR361が権兵衛トンネルが開通していて快調に走り、途中木曾温泉あたりから御嶽山が青空の中に綺麗に見えていて、嬉しくなって車を止めてシャッタを押した。
9時過ぎにロープウエー乗場の鹿の瀬駅に到着すると、広い駐車場は既に半分埋まっていたが、ロープウエーは循環式のゴンドラなので待つこともなく乗ることが出来た。青空に映える御嶽山や中央アルプスなど眺めながら15分ほどの空中散歩を楽しんだ。
(車道からの御連峰)
(ロープウエーで登りました)

標高2150mの山頂駅に到着すると、展望台が出来ていた。目の前に御嶽山が聳え立ち、遠くに乗鞍岳や中央アルプス、さらにその遠くに北アルプス、八ケ岳、南アルプスの山々も展望できた。
(ロープウエー上駅からの御嶽連峰)

ゆっくりと展望を楽しんでから、名鉄ハイキングルートの指標に従って登り始めた。行者小屋まではなだらかなハイキング道だったが、そこを過ぎると木の階段道になって急に勾配がきつくなった。「ハイキング道にしては急坂過ぎるね」と文句を言いながらしっかりと汗を搾られた。何人かの登山者に追い越されながら、展望のない樹林の中を1時間頑張ってやっと女人堂の小屋に到着した。
(急登の連続)
(やっと女人堂に到着)

女人堂の上は広場になっていて、展望が良くて大勢の人が休んでいた。その上に鳥居があり聖人像や数多くの「霊神碑」が立ち並んでいた。回りの斜面の紅葉は丁度見頃で綺麗だった。日が当たればもっと綺麗なのだろうが、この頃から雲が出始めて日を遮っていた。
乗鞍、北アルプス方向はまだ見通せたが、中央アルプスにはガスがかかり、剣ヶ峰も頭を隠し始めた。車の中で聞いたラジオの「明日は曇後雨」の天気予報を思い出し、今から曇り始めると明日は朝から雨になるかもと心配になってきた。剣ヶ峰には明日登る予定だったが、雨では登れないだろう。剣ヶ峰に登らないで帰るのはなんとも耐え難いので、和子に頑張ってもらうことにして今日のうちに剣ヶ峰に登頂することに計画変更した。ここからは右手の三ノ池へのトラバース道を行く予定だったが、コース変更して左の覚明堂への直登道を登ることになった。
(遥拝所)
(登山ルートは紅葉の盛り)

広場で紅葉を楽しみながら少しお八つを食べてから、左の紅葉の登山道に入ると随所に石仏や霊神碑が並んでいて、さすが信仰の山と思わせる。曲がり角の金剛童子には大きな石仏が建ち、そこからはガレた急坂の登山道がガスの中に真っ直ぐ伸びていた。展望のない山歩きになるのかとがっかりしながら弁当を広げて一休みしていると、上から下ってきた男性が「雲はこの辺だけ、山頂の方は晴れているよ」と励ましてくれた。
元気付けられてガレた登山道を登っていくと、言葉通りに視界が晴れてきて山頂も見えてきた。元気が出た!と言いたいところだが、だんだんと登山道の傾斜がきつくなり、この辺りから和子が息苦しさを訴えだした。後ろの人に道を譲りながらゆっくりと登った。
(随所に石仏や霊神碑が建つ)
(石室・覚明堂の上に剣ヶ峰)

覚明堂の休憩舎を過ぎ二つ池への分岐まで登ると、傾斜が緩くなり砂地の道で歩きやすくなった。とはいえ3000m近くなってきて依然として息は苦しい。時々立ち止まっては、右下の空色をした綺麗な二ノ池を眺めながら休んだ。
(頂上山荘)
(二ノ池)

山頂直下の頂上山荘までたどり着くと、御嶽神社へはまだ長い石段が待っていた。山荘前で休んでいる人たちが「石段が立派過ぎるわ」とぼやいていた。
石段を登ると立派な御嶽神社があり、その脇の展望所に三角点と山頂標柱が立っていた。早速証拠写真のシャッタを押してもらった。360度の展望方位版があり富士山の名前も出ているが、この時間では残念ながらもうガスが出てしまっている。
(御嶽神社へ最後の登り)
(剣ヶ峰山頂)

高山病には3067mの山頂に長居は無用なので早々に下山にかかった。神社左を抜けて裏に回ると、石の重なりの中に一ノ池に向かって下る踏跡があった。鳥海山の山頂みたいな大石を踏みながら慎重に下ると、一ノ池周りを回るお鉢回りの登山道に降り立った。
右手に水のない一ノ池、左手にはガレバの下に噴煙を上げる地獄谷、その向かいに継母岳を見ながらしばらく稜線を歩く。
(おはち回りに下る)
(地獄谷の噴煙)

平坦な登山道を進むと向かいにまた登り道が待ち構えていた。折角下ったのにまた3000mに登り返すのは耐えられない。道のない斜面を水のない一ノ池に下って横断した。
(次のピークはパスして一ノ池を横断)

向かいの岸に登ると下に空色の二ノ池が見えた。尾根筋を登っておはち回りの道に合流してから二ノ池の左岸に向かって下った。
途中二ノ池新館の道標があり、小屋を通り過ぎて下っていくと数え切れないほどの積み石の塔が並んでいる原っぱに出た。道標には「ここはサイノ河原」とあった。色んなところで賽の河原に出合ったが、これだけ沢山の石塔が並んだところは初めてだ。
(二ノ池)
(サイノ河原)

サイノ河原から少し登り返した稜線に立派な避難小屋が建っていた。扉を開けてみると、中には板の間があり整理されていて綺麗だった。そばにトイレ棟も建っていて快適な夜を過ごせそうだが、水を持ち上げなければならないのだろう。同じ避難小屋が三ノ池にもあったが、トイレがあるだけでも登山者にはありがたい。
稜線の反対側に三ノ池が見えていた。この池は深い青色だったが美しい池だった。
(避難小屋)
(三ノ池)

避難小屋は道標では三ノ池と摩利支天山への分岐になっていた。摩利支天山の山頂には鳥居のようなものが見えていたが、当然のことながら2959mの摩利支天山に登るのは止めにして、三ノ池へのトラバース道に入った。このトラバース道は、崩壊したばかりのガレバやザレバが出てきて、なかなか緊張させられる道だった。右下の三ノ池を楽しむゆとりはない。摩利支天山の真下辺りに三ノ池への分岐があり、これを直進して15分ほどで16時前に飛騨頂上の直下にある今夜の宿泊場所五ノ池小屋に到着した。
五ノ池小屋の受付譲は我家の直ぐそばの茨キリを卒業したとのことで、色々と話が合った。この小屋のご主人も若く、従業員もみんな明るく親切で気持ちが良かった。部屋の掃除も行き届いていて、屋根裏の梁の上にも埃がなかった。手作りの食事は味が良くて、特に手作りだという味噌を使った味噌汁が美味く、高山の山小屋ではいつも食欲不振になる和子も一人前をほぼ平らげてしまった。
(三ノ池上をトラバース)
(五ノ池小屋に宿泊)

小屋に着いて割り当てられた場所で荷物を整理してから、後ろの飛騨頂上に上がってみた。立派なお社が建っていて、その前に「飛騨頂上2811m」の立札があった。頂上と言うだけあって眺望もいい。東眼下に三ノ池、北に2859mの継子岳、南に2959mの摩利支天山が見えていた。
(継子岳展望)

(剣が峰からの稜線と摩利支天山)

プロのボーカリストが泊まっていて、みんなのリクエストを聞きながらギターを伴奏にして美声を披露していた。和子は暖かい部屋でこのグループと仲良くしていた。私は五ノ池と夕日の夕焼け写真を撮りに外に出た。白山辺りが見えてもいい方向だが、やはり今日は無理だった。
今日の宿泊者は40人ほど、敷布団二枚に三人の割り当て、掛け布団と毛布は一枚ずつ使えてゆっくりと眠ることが出来た。
夜中一度目覚めて外のトイレに出たときには満天の星空だったが、朝になると天気予報通りに雲が出始めていた。裏の高台に上がると八ケ岳の方向に朝日が登ってきて、雲がわずかに赤く焼けてきた。朝日も夕日も両方見えるとは、この山小屋はいい所に建っている。
(日没)
(日の出)

美味しい朝食を頂いて、6時45分に歩き始めた。今日の山は、摩利支天山にするか継子岳にするか、あるいは直ぐに三ノ池に下るか相談したが、北側の展望を期待して継子岳に向かった。
継子岳への道は立ち木のない稜線上にあり、朝の冷たい風が強く吹いてきて道には霜柱が立っていた。寒くてヤッケを着込んで登っていった。砂礫の道にはコマクサの群落を保護するロープが張られていて、夏に登るのも楽しそうだ。
山頂近くまで登ると、期待通りに乗鞍岳と北アルプスが見えてきた。寒風に耐えながらゆっくりと山名同定を楽しんだ。
(乗鞍岳と北アルプス)

継子岳山頂に登ると、正に360°の大展望だった。南方近くの剣ヶ峰から摩利支天山にかけての御岳山が朝日を受けて美しく、東には雲海の上に中央アルプスが浮かび、その上に南アルプスが並んでいた。八ケ岳も綺麗だったが富士山はどうしても見つからなかった。
東に向かってコマクサ保護地を過ぎて次のピークに上がると、そこは遠方から見た通りに岩の山だった。岩の重なりの影に霊神碑や小さな社が建っていた。
(継子岳山頂)
(2820mピーク)

このピークからの下りは暫く岩場の下りになり、岩に白ペンキでつけられた○マークを辿って下っていった。岩の間には潅木が紅葉しており、裸山の御嶽山とのコントラストが美しかった。
(紅葉と御岳山)

岩の間に実ったクロマメノキをいただきながら継子岳を四ノ池まで下ると、湿原の端から水が沢になって流れ出しており、四ノ池に水溜まりはない。
小さな沢を石伝いに徒渉して次のピークに登り返した。そのピークから三ノ池の湖面が見えてきた。その上の稜線の上に剣ヶ峰のピークがわずかに頭を出していた。
(2830mピークからは岩場下り)
(三ノ池)

三ノ池の湖畔まで下ると、サイノ河原にあったと同じ造りの避難小屋があった。ここが五ノ池、二ノ池、女人堂、開田口への分岐点で、三ノ池湖畔で一休みしてから女人堂へのトラバース道に入った。
始め丸太の急な階段道を下ったが、トラバース道だからそのうち横道に入るだろうと思いながら紅葉の中の階段道を下った。どこまで下ってもどんどん下るので開田口に向かっているのではなかろうかと心配になってナビを確認したが間違いはなかった。
30分も下ってやっとトラバース道になったが、向かいを見ると随分と高いところに女人堂への道が見えていた。やはり登山道は随分と余分に下っていたのだ。


(三ノ池からの下り)
(向うに女人堂への道が見える)

(急坂を下ったところの紅葉谷)

少し登り返して石がゴロゴロした枯れ沢を渡った。その下の方で女性グループがバーナを使いながら休んでいたが、何時どこから石が落ちてくるか分らない様なこんなところでよくも気楽に休んでおれるものだ。気を使いながら横断した。
枯れ沢を渡ると、斜面の紅葉は一段と色付きを増し、見とれながらゆっくりと歩いた。
(一つ目の枯れ沢渡り)
(紅葉が綺麗)

次の枯れ沢は崩れたばかりのような崩壊地で、ロープを張ってはあるが固定場所は動いたようで異様な形になっていた。足元に気を使いながら慎重に慎重に渡った。渡った先の道傍にツルハシやスコップが立て掛けてあったので、この沢の手入れは頻繁に行われているのだろう。
この沢を渡ったら、後は女人堂まで歩きやすい道だった。紅葉も今まで以上に美しいところが続き、これから先観光客らしいカメラだけを持った人たちにも多く出合ったが、この沢は渡らなくても満足して引き返すことが出来るのだろう。
(二つ目の枯れ沢渡り)
(大岩)

道すがらホシガラスやオコジョが姿を見せてくれて、紅葉のほかの楽しみも与えてくれた。
(ホシガラス)
(オコジョ)

女人堂に近付くと、見上げても、見下ろしても見事に紅葉が色付いていて美しかった。遠路日立から木曽路までやってきて、高山病にさいなまれながら御嶽山に登った苦労が報われた思いだ。和子も上機嫌。
(下にも紅葉・その向うに中央アルプスや南アルプス)
(上にも紅葉)

紅葉を楽しみながら11時前に女人堂に着いた。ここから御嶽山を振り返って名残を惜しんだが、丁度この頃から空が雲に覆われだした。我家は丁度いいタイミングで陽の光に映える紅葉を堪能できたのだった。
ロープウエー駅までは昨日登ってきた階段道を下ったが、今日は日曜日、数え切れない人達と交差しながらの下りになった。「上の紅葉は最高ですよ」と励ますと、「何回も休みながら登っています」と言いながらみんな息を切らせながら登っていった。階段道は登りに感じたよりももっともっと長くどこまでも続いた。
ロープウエー駅に近付いた時に、下っていく団体さんの大集団の渋滞に追いついた。ゴンドラがこの集団の後になってはどれだけ待たされるか分ったものではない。どんどん追い越して、トイレも我慢してゴンドラに飛び乗った。
下駅に着いて昼食をとっている間に雨がポツポツと降りはじめた。この時間にも大型バスが次々と到着してきては登山者をどんどんと降ろしていくが、これからお天気はどうなるのだろうと他人事ながら気になった。
(女人堂から振り返る)
(女人堂からは多勢の登山者と出会う)

温泉で汗を流そうと温泉場を探し回ったが、行く先々でお休みだったり、団体客で満員だと断られたり、4箇所目の釜沼温泉でやっと温泉に入れてもらえた。汗を流した後、ETCの通勤割引への時間調整を含めて塩尻のラーメン屋に立ち寄って美味しいラーメンで空腹を満たした。
帰りは東京への入口や首都高の渋滞を思うと中央道を走るのが嫌になり、上信越道−北関東道を走ろうと、塩尻ICから長野方向に向かって走った。こちらも下仁田IC辺りで10kmの渋滞に出くわしたが、後は順調に走って21時過ぎに無事我家にたどり着いた。




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