W115.青麻山

1.動 機
勤労感謝の日の天気予報が良くなったが、11月も半ばを過ぎると遠出の計画は種切れになり、里山のどこに登ろうかとの相談になる。旧山方町と美和村の境に青麻山という山があり、8年前にぼとくさんとシモンさんに連れられて「八溝山から筑波山へ」の途中、盛金富士から青麻山へと縦走したことがあるが記憶が定かでなくなっており、和子は登ったことがない。「あおそさん」の響きがよく、青麻山の漢字の印象も良いので頭に残っていて即決になった。
歩くルートは地形図の西側から伸びている2本の破線の道を周回することにした。道が荒れているらしい下側の道を登って、山頂近くまで歩きやすい道が通じているらしい上側の道を下ることにした。

2.データ
a)山域:青麻山(395m)
b)登山日:2009/11/23(月)晴
c)コースタイム:日立自宅 9:45 = 10:55 下檜沢集会所 11:05 ---- 11:20 林道終点 ---- 11:55 尾根 ---- 12:05 青麻山山頂(昼食) 12:50 ---- 13:00 林道駐車場所 ---- 13:30 県道321 ---- 13:50 下檜沢集会所 13:55 = 14:05 道の駅みわ 14:25 = 15:30 日立自宅
(青麻山周回ルートの標高差)
(青麻山周回ルートの標高差)

d)同行者:和子
e)地形図:1/25000 「上小瀬」

3.山行記録
カーナビに指定して竹之内集落の実線の道から破線の道への分岐点に11時前に到着すると、そこはゲートボール広場もある集会場前で、部落の草刈り作業を終えた8人ほどの年配の男性が火を囲んで談笑中だった。この道で青麻山に登れるか尋ねると「向こうの道の方が楽だよ。車で上がれるよ」と、皆さん、上側の熊久保からの道を勧めてくれる。「こっちから登って向こうから下りたい」と意向を伝えると「お参りじゃないんだ。山登りかい。途中までは車で行けるが、その先は凄い籔で道が分からなくなるよ」とあまりお勧めでなかった。籔には鍛えられているのでなんとかなるだろうと思って、集会場前に駐車させてもらって、身支度をしてから歩き始めた。
林道は植林の中の谷筋に延びる舗装された立派な道だったが、あまり歩かれてはいないようで苔むしていた。昨夜の雨で落ち葉が濡れていて滑りやすいだけが難点だった。林道から幾筋もの作業道が左右に分かれていたが、ひたすら林道を登って行った。桧の植林は木の上部までしっかり枝払いされていたが、最近はあまり手入れがされないのか、下草や灌木の切り払いはされておらず、植林に踏み込むことはできそうになかった。
(下檜沢の集会所)
(舗装された林道)

15分も歩くと林道は少し広くなった旋回場でおしまいになり、その先は沢筋の踏跡になった。左の谷間の作業道が伸びていて誘いをかけてきたが、地形図の破線の道は正面の沢筋だ。そのまま直進した。
踏跡はあまりはっきりとはしておらず、棘などの野草もうるさくて、多くは沢の中を石伝いに登って行った。
流れが無くなると、棘など灌木が煩くなってきた。目の前の稜線あたりは下草も綺麗に刈り払いされているように見えたので、そのまま直進したかったが、急斜面と倒木が行く手を阻んだ。地形図では破線の道が右に曲がっており、良く探すとトラバース状に尾根に上がる踏跡が見つかった。
(林道の先は沢添い)
(倒木もある荒れた登山道)

尾根に上がると、尾根上には立派な登山道が南北に通っていた。下の小川添いの実線の道からここまで良い道が上がってきているように思えた。尾根道を気持ちよく歩いて行くと、目の前に青いトタンの小屋が見えてきた。山頂の神社のようだが、直接登る道はなく、左に曲がって行くと鳥居の前に出た。集会所を出てから丁度1時間たっていた。
青麻山は全山檜の植林の山で、鳥居の脇に真っ赤に色づいたつつじの木が、今日歩き始めてから初めて見る紅葉だった。
(尾根に出ると軽快)
(山頂の紅葉)

〆縄の紙飾りは、紙垂(しで)と呼ぶようです。つい最近お祭りがあったようで、鳥居の注連縄には真新しい紙垂(しで)が飾ってあり、石段を上がった青麻神社の境内にもあちこちに真っ白な紙垂が飾ってあった。境内の正面に青い社が建っていてお参りをする。左右に神社の由来碑や茨城45景指定記念碑が建っており、片隅にはひっそりと三角点もあった。
(青麻神社境内)
(鳥居前で証拠写真)


(由来碑文)
由来碑には文政5年に創設され、以来毎年春秋お祭りが行われてきて、その150年を記念して昭和34年に二千本の檜を植樹したことなどが書いてあった。由来碑の写真を添付するが、小さくて読みにくいので、ぼとくさんHPから全文を現代文にしたものを引用する。

「文政五年に村人の小室喜十が多年信仰していた奥州青麻三光神社をこの霊峰に招請して氏神として祀ると中風や虫切などの霊験があり、この恩恵に浴する近郷の人々が春と秋の祭典を催して以来百有余年を経た時に、小室喜十の後裔が土地を寄進し、氏子はこれを記念して百五十年祭の式典を挙げるとともに桧をニ千本を植林した。」

全山が檜の植林になっていることや、紙垂が真新しいことが納得できた。

境内の周りは樹木に囲まれて視界が遮られたが、鳥居前に降りると南方の展望が開けていた。高舘山や御前山の山並みが見え、その向こうに加波山と筑波山が重なって見えていた。その左右に見えるのは難台山や高峰あたりだろうか。ゆっくりと展望を楽しんでから、鳥居前の広場でゆっくりと弁当を広げた。
(山頂から南方展望)

鳥居前の広場まで林道が上がって来ていて、下りはこの道を下った。林道は狭くて急勾配、バラスを敷いてまだ固まっていないラフロードで、うっかりするとごろごろと滑りそうだった。それでも地形図の破線からは外れて大きくS字に曲がっており、最近造られたばかりの車道なのだろう。車が走った轍があるが、4WDでないと危ないだろう。
神社から15分下ると、路側に駐車場のような広場があった。
(山頂近くは急坂林道)
(途中に駐車場所あり)

駐車場から下は勾配が緩やかになり、路面も固く道幅も広くなったような気がした。いつもは長い林道歩きには嫌気がさしてくるのだが、今回は覚悟してきたので、森林浴を楽しみながら植林の中の林道を気持ちよく歩いていった。
神社から35分で熊久保の集落に出て、さらに車道を25分歩いて駐車場所の集会所に戻った。一日植林の中を歩いてきたので、車道歩きの間、周りの山々が紅葉に彩られているのが新鮮に見えた。
(駐車場所からはなだらかな林道)
(竹之内集落に戻る)

帰途は近くの道の駅みわに立ち寄ってみたが、三連休の最終日、そば祭りが行われていて大変な人出、駐車場には入れす整理員に導かれて臨時駐車場に車を停めた。レジにも長い行列ができていて、買い物もしないでトイレだけ借用して帰ってきた。



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