X21.高舘山・芳賀富士・伊許山(芳賀の山々)

1.動 機
朝の気温が氷点下を指すようになり、山中の道は凍結の恐れが強くなり、車で山中に入るのは憚られる。平地から登れる山を当たっていたら、栃木県と茨城県県境にある芳賀富士が候補に挙がった。芳賀富士は標高わずか272mだが、近くに高い山がない丘陵地帯なので円錐形の山容がどこからでも目立つ山である。小さな山なので一座だけではいかにも物足りないので、近くの高舘山と伊許山を一緒に登ることにして出かけた。
三つの山とも8年前に登った事がある山だったが、もう記憶が定かでなくなっており、初めて登る気分で歩いてきた。

2.データ
a)山域:高舘山(302m)、芳賀富士(272m)、伊許山(162m)
b)登山日:2010/02/04(木)晴
c)コースタイム:日立自宅 8:45 = 10:20 西明寺駐車場 10:30 ---- 11:15 高舘山 11:20 ---- 11:45 西明寺 12:05 ---- 12:10 西明寺駐車場 12:15 = 12:40 安善寺参道入口(昼食) 13:10 ---- 13:20 安善寺 ---- 13:40 芳賀富士 14:00 ---- 14:20 安善寺参道入口 14:25 = 14:40 伊許山神社駐車場 14:45 = 14:55 伊許山神社 ---- 15:05 伊許山 ---- 15:20 琴平神社 ---- 15:35 伊許山神社駐車場 15:50 = 16:10 道の駅茂木 16:20 = 17:30 日立自宅
d)同行者:和子
e)地形図:1/25000 「中飯」「茂木」「祖母井」
(芳賀三山の位置)


3.山行記録

高舘山)
通勤帯を過ぎて我家を出発し、R293、県道21、R123、R294を繋いで走り、最初に高舘山に登ろうと益子の街に入った。8年前には益子の共販センタに車を置いて、西明寺から登って、関東ふれあい道を歩いて益子に戻る一日周回コースを歩いたが、今回は短いルートにして登山口の西明寺に向かった。益子の街を抜けて田園地帯の道に入ると、左手前に高舘山らしき山が見えてきた。

西明寺駐車場 10:30 ---- 10:45 関東ふれあいの道 ---- 10:55 多目的広場 ---- 11:00 キャンプ場 11:05 ---- 11:15 高舘山 11:20 ---- 11:30 益子の森途中 ---- 11:40 権現平 ---- 11:45 西明寺 12:05 ---- 12:10 西明寺駐車場
(高舘山登山ルート)
(益子郊外からの高舘山)

T字路の突き当たりにある駐車場は、西明寺で何か行事があるのか満車に近かった。何とか隙間に車を入れて身支度をし、車道を東に向かえば西明寺だが、今日は西に向かって歩き始めた。8年前と同じ西明寺経由で登るよりも車道を登ると何か面白い事があるかなと期待して車道歩きを選んだのだが、雪の積もった舗装道路は滑りやすく、展望もないしで余り面白くはなかった。カーブごとにNo札が立っていて、車道が西明寺からのふれあいの道に接近する地点までに15の立札が立っていた。この合流点には関東ふれあいの道の石柱とトイレがあった。
(車道を歩き始めた)
(関東ふれあいの道)

ここからは登山道を登っていき、Uターンしてきた車道に出ると左手の高みに登る分岐があった。この高みは多目的広場と名づけられた場所で立派な東屋がありテーブルやベンチなどもあったが、立木で展望は余り良くなかった。
車道に下りて横断すると、そこは駐車場で大きな説明板があり、この山一帯が関東六城の一つ益子氏の居城・高舘山城の城跡だとあった。その上の高台がキャンプ場になっていて、トイレと管理棟(いずれも閉鎖中)があり、5m角ほどの板敷が何台も並んでいた。可愛いらしい雪だるまも並んでおり、冬の間も市民の遊び場になっているようだった。ここからの展望はなかなかだった。北には高原山から那須連峰までの雪山が並んでおり、その右手前には円錐形が美しい芳賀富士があった。
キャンプ場から更に登っていき、益子の森へと続く関東ふれあいの道から右に分かれて細い雪道を登っていくと最高点が高舘山の山頂だった。山頂には三等三角点と「栃木百名山95座」の山名板があった。展望が利かないので、証拠写真だけ撮って下山にかかった。
ポケナビの画面には、益子の森への道の途中から「関東ふれあいの道の石柱」のところまで帰ってくるルートが表示されていたので、少し回り道をしてみようと益子の森の方に急な階段道を下ってみた。何処まで下ってもそれらしき道に出合わないので、ポケナビの地図の間違いだと結論付けて引き返した。(10分のロス)
(キャンプ場)
(高舘山山頂)

「関東ふれあいの道の石柱」のところまで引き返してから、西明寺へふれあいの道を下った。すぐに「権現平」という展望台があり、南方の展望が開けており加波山や筑波山の双耳峰が見えていた。
西明寺が近付くとシイの木の森になり、シイやカシの巨木が林立していた。境内には高野槇の巨木があり、石段脇にはシイの木のほかに楠の巨木もあった。
(西明寺のシイの巨樹群)
(天然記念物 高野槇)

西明寺の境内に入ると、本堂の前に立つ楼門と三重塔が歴史を感じさせた。説明板によると、楼門と三重塔は室町時代の建立で国指定の重要文化財に指定されている。そのほか本堂と鐘楼も元禄時代に再建されたもので県の有形指定文化財に指定されているという、由緒ある寺院であった。。
(西明寺本堂)
(楼門と三重塔)

境内の閻魔堂には、笑う閻魔の像がある。「閻魔堂」は、8年前には小さな格子窓から覗くだけだったが、今回は左手の戸が開かれて「どうぞお入りください」とある。有難く入場させてもらって、閻魔大王、善童子、悪童子、奪衣婆、地蔵尊の五体の仏像を間近に拝ませていただいた。 
(笑う閻魔さま)
(奪衣婆)

境内では他にも聖徳太子像がいっぱい並んだ太子堂を拝み、有難い弘法大使の聖水を頂いてから長い石段を下りると、「しかくだけ」や「りんぼく」の群落があり、水子地蔵さんも多くの御供え物で飾られていた。

芳賀富士)
西明寺からおりて駐車場に着き、益子CCやG&スポーツCCの脇を通って芳賀富士の登山口に向かった。熊野神社入口の道標を過ぎて、次の安善寺入口の道標のある交差点近くに車を停めた。スクールバスの停留所で丸太のベンチもあり、ここで暖かい昼食を作って食べた。

安善寺入口(昼食) 13:10 ---- 13:20 安善寺 ---- 13:25 芳賀富士登山口 ---- 13:30 熊野神社 ---- 13:40 芳賀富士 14:00 ---- 14:05 熊野神社 ---- 14:10 芳賀富士登山口 ---- 14:15 熊野神社入口 ---- 14:20 安善寺入口
(芳賀富士登山ルート)
(高舘山からの芳賀富士)

通りかかったご婦人が、「芳賀富士に登るなら熊野神社入口からの方がいいよ。こちらの道は日陰で雪が残っていて大変だよ。芳賀富士は山桜の名所だから春に来るといいよ。」と教えてくれた。8年前は熊野神社入口から入ったが、今回は安善寺も眺めてみたい。御婦人のお勧めに逆らって安善寺に向かった。路面には5cmほどの積雪があったが、目の前には芳賀富士も見えてきて気分がいい道だった。
安善寺本堂の左手に大きな枝垂れ桜、右には楓の大木があり、いずれも天然記念物指定になっている。道沿いに広い駐車場があり、ここに駐車して芳賀富士に登るのもよさそうだ。関東ふれあいの道の案内板には「風薫る山里の道」として七井駅から茂木駅までの14.3kmのハイキングコースの説明があった。
(芳賀富士を目の前にして)
(安善寺)

安善寺からは山道になり、雪を気持よく踏みながら登っていくと熊野神社入口からの道と合流し、「芳賀富士登山道入口」の標柱が立っていた。そのすぐ先に駐車場があり、熊野神社入口から入れば、ここに駐車もできる。そこから丸太の階段を登っていくと石の鳥居があり石段が始まった。ここには「安楽寺へ」の道標があり茂木駅への分岐点でもあった。
100段ほどの石段を登ると熊野神社があった。神社にお参りして右手に回り込むと山頂へ続く登山道で、ジグザグの急登が山頂まで続いた。
(熊野神社参道、茂木への分岐点)
(神社の上はジグザグ登山道)

頂上は小広くてたくさんのベンチなどが整備されていて公園の雰囲気だった。周りには山桜の木が多く、開花時期には気持のいい眺めだろうと思え、三角点のほか「栃木百名山96座」など山名板や標柱がたくさんぶら下がっていて、人気のほどがうかがえた。
ベンチに座ってゆっくりとお八つを食べてから、立派な山頂標柱の前で証拠写真を撮った。
(桜の木の多い山頂)
(芳賀富士山頂)

北の方面は檜の植林で那須や日光方面の展望は無理だったが、南方面の展望が開けていて雨巻山が正面に大きくそびえ、その右手には筑波山も頭を覗かせていた。条件が良ければ駿河の富士山も見えるらしく、富士山の方向を矢印で示した小さな手製の案内板が立ててあった。
(芳賀富士山頂から南方の展望:仏頂山・足尾山・雨巻山・筑波山)

下りは「熊野神社入口」に向かって広い道を下ったが、振り返った時の芳賀富士の姿は記憶にあるような気がした。

伊許山)
芳賀富士を下って時計を見るとまだ14時20分、予定通りに伊許山にも登ることにして多田羅駅にむかって車を進めた。多田羅駅の北側の道を東に入ると左前に伊許山らしき山が見えてシャッタを押した。1kmも進んだところで御嶽山登山口の道標を見て一旦路側に車を停めたが、少し前に大きな駐車場があったのでここに移動した。

伊許山神社駐車場 14:45 = 14:55 伊許山神社 ---- 15:00 展望台 ---- 15:05 伊許山山頂 ---- 15:10 林道 ---- 15:20 琴平神社 ---- 芝生広場 ---- 15:30 林道---- 15:35 伊許山神社駐車場
(伊許山登山ルート)
(多田羅からの伊許山)

駐車場の奥のトイレ脇にも「伊許山参道口、御嶽神社」の道標があったので、ここから歩き始めることにした。植林の中に車も走れる舗装された広い道が伊許山神社(御嶽神社)まで続いていた。こんな舗装道を歩いた記憶はないので、8年前は最初に見つけた登山口から入ったのだろう。あとで地形図を確認したら、8年前の道が破線の道だった。
御嶽神社の社殿の中には「御嶽神社」の額がかかっていたが、社殿の前には伊許山神社の額がかかっており、石の手洗鉢にも伊許山の立派な文字が彫りこまれていた。二つの名前を持つ神社である。
(伊許山神社までは車道)
(伊許山神社)

神社の左に回り込んで歩いて行くと、道沿いの山頂側は全部鎖で囲ってあり、山頂を一巡する周回路になっていた。途中にある説明板によると、この山頂部分は「長寿塚」という古代の前方後円墳とのことで、大事に守られているらしい。周回路を半周して神社の裏側まで歩くと展望台があり、視界も晴れてきており高原山から那須連峰迄すっきりと見渡す事が出来た。
(長寿塚周回路から北方展望:高原山・塩原・那須)

周回路を一周すると伊許神社の裏から長寿塚に登る道があった。色々な石碑を見ながら登ると赤い鉄の鳥居があり、その奥に奥の院(?)があった。山名板はなかったが、奥の院裏に二等三角点があり、ここで証拠写真を撮った。
(山頂の)
(山頂に三角点がありました)

伊許山は二つのピークを持ち、三角点峰よりも東側のピークの方が標高が高い。周回路を少し引き返して「トリム広場へ」の道標に従って下ると、標高差は40mだが長い長い丸太の階段道が舗装された車道まで続いた。
そこにも「トリム広場」道標があり、トリム広場まで標高差50m、また丸太の階段が一直線に登っていて気分的には随分と登った感じがした。
(トリム広場に下る)
(トリム広場に登る)

長い階段を登った山頂は色々な木の遊具が並んだ広場になっており、小さな神社もあって琴平神社の額がかかっていた。山名板もなく地形図にも名前や標高も記されてはいないが、琴平山とでも名付けようか。
ここから神社裏に続く道を辿ると展望台のある芝生広場に出た。展望台に上がると筑波山の双耳峰がすっきりと見えていた。ツツジに覆われた斜面をなだらかに下っていくと、登り始めた舗装道路の「トリム広場へ」の道標の立つところに出た。
舗装道路を右に向かえばピクニック広場があるようだが、我が家は左に向かって歩き、少し先で破線の道を辿って植林の中に入ると、登ってきた伊許山神社への広い道に出た。
(トリム広場山頂の琴平神社)
(芝生広場からの筑波山)

三つの山とも一度は登った事のある山だったが、余り記憶が定かでなく、はじめてのような新鮮な気持ちで歩く事が出来た。途中、道の駅もてぎに立ち寄ってから気分良く我が家までのドライブを楽しんだ。


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