X25.高鈴山縦走

1.動 機
水戸アルパインの3月例会として風神山から小木津駅までの日立アルプス縦走計画があるが、その前に、御岩神社から日立駅まで日立アルプス縦走路と十字になるように縦走する山行が2月の特別企画として実施された。いつもの貸切バスは使わず、交通費は全部自弁で日立駅に集合し、路線バスで御岩神社まで入って歩き始め、高鈴山を越えて日立駅に戻ってくる縦走計画だ。

2.データ
a)山域:高鈴山(623m)、助川山(328m)
b)登山日:2010/02/21(日)晴
c)コースタイム:日立自宅 7:45 = 7:55 大甕駅 8:02 = 8:11 日立駅 8:40 ---- 9:10 御岩神社BS ---- 9:15 御岩神社駐車場 9:30 ---- 9:50 林道 ---- 10:30 玉簾滝分岐 10:35 ---- 11:25 高鈴山頂(昼食) 12:05 ---- 12:15 五差路 ---- 12:55 百体観音上 13:00 ---- 13:05 百体観音 ---- 13:25 おむすび池 13:30 ---- 13:40 助川山 14:00 ---- 14:15 山根分岐 ---- 14:35 助川城址公園下 ---- 14:50 国道6号 ---- 15:10 日立駅 15:44 = 15:54 大甕駅 = 18:05 日立自宅
d)同行者:水戸アルパイン会員18名(男5、女13)、和子
e)地形図:1/25000 「町屋」「日立」
(高鈴山縦走歩行ルート)

(高鈴山縦走歩行ルート高低差)



3.山行記録
8時前に大甕駅に入って3人の仲間と合流し、間もなく到着した先頭車両に乗り込むと大勢の仲間の笑顔が迎えてくれた。主幹事の下山さんから参加者名簿をもらってみると、車内に顔が見えない仲間もいて心配したが、日立駅に着いてみると水戸線から乗り継いで来た仲間は一電車早く着いていたのだった。
座れないこともあるかもと心配した路線バスだったが、乗り込むとほとんど貸し切り状態で、そのまま仲間内の話がはずんだ。御岩神社に向かい、高度が上がるとともに山肌に雪が残っているのが見えだし、アイゼンを持たなかったのを心配する声も出たが、筑波山ほど寒くはないので心配はなかろうと話はまとまる。
大きな看板が立つ御岩神社のバス停でバスを降り、少し奥に入った神社の駐車場でトイレなど身支度をした。山梨県からの貸し切りバスも入ってきて、「わざわざ遠路ここまで来なくても、山梨にはいっぱい山はあるだろうに」とみんな不審顔。花の百名山で名が売れているからだろうか、名刹御岩神社を拝みに来られたのだろうか。バスの人たちの号令に合わせて準備運動をさせていただいた。
9時半に歩き始めて鬱蒼とした杉並木の参道を歩いて行くと、県天然記念物の三本杉、平成3年に再建された立派な仁王門、後生車を回した奥にはシャクナゲに囲まれた齋神社と、久しぶりに訪れた御岩神社は荘厳な雰囲気があった。今回の参加者の中に御岩神社は初めてだと言う人もいて、「立派な神社でびっくりした」と感激ひとしおだった。
(御岩神社入口鳥居)
(齋神社)

開いていた齋神社にお参りして、奥の院を通って登るときには左に回るが、今回は右に回って山道に入った。しばらく山道を登っていくと林道に出た。
(はじめは山道)
(林道に出る)

林道には5cmほどの雪が積もっていた。一度休憩をして歩いて行くと、林道は大きく曲がりながら続き、日当たりのいいところは解けているが大部分は雪を踏みながらの歩行だった。
林道を40分も歩くと向かいに伐採された植林跡が見えてきた。この林道は玉簾滝から上がってきた事がある道で、道傍に壊れた標識が立っていてここから御岩山に向かう登山道あったのだが、今は余り歩く人がいないようで草ボウボウになっていた。ここでまた一休みした。
(長い林道歩き)
(玉簾登山道分岐点)

ゆっくり休んでから、林道が大きく曲がるところから谷間に向かう別れ道に入った。植林を伐採したときに出来た作業道が残っているもので歩きやすい。なかなかの急登で熱くなるが、高度があがるにつれて、高鈴山頂のアンテナが見えてくるし、視界も広がってきて展望も楽しめて気持がいい登山道だ。
(伐採林の作業道を登る)
(山頂のアンテナ塔が見えてくる)

近くにはキララの里、竪破山、八溝山、奥久慈男体山が広がり、その上に那須、塩原、高原山、日光連山の雪山が並んで見えてみんなを喜ばせてくれた。
(好展望:塩原、那須連山、手前に奥久慈男体山や八溝山)

作業道が終わると、少し籔を潜って北沢からの登山道に入った。ここからの道にも雪が積もっており、雨水で掘れたところもあって歩きにくかった。それでも少し登るとすぐに山頂、登り始めて2時間だった。山頂でも雪はまだ解けていなかった。
(北沢登山道に入る)
(山頂到着)

山頂に回り込んで驚いた。数十人の人が山頂にあふれんばかりにたむろしている。「第4グループ記念撮影!集まって!」の声が飛んでいる。那珂町からの60人超の大グループ、それに御岩神社駐車場にいた山梨県の団体さんも加わって、今まで高鈴山で初めて見る大混雑が起こっていたのだ。われわれはあちこちに散らばって場所を確保して弁当を広げた。
団体さんが下っていってから山頂部に上がり、展望は登山途中で十分に堪能したので適当にして、山頂標識の前で集合写真を撮ってすぐに下山にかかった。
(山頂は超満員)
(山頂標識)

下山さんから、ここからトップを歩くよう私に指示がきた。日立在住の副幹事なので指名がきたのだろうが、このコースはもう何年も歩いていないし、いつものようにしんがりを勤めればいいだろうと思ってコースの予習もしていない。それでもなんとかなるだろうとノーテンキな気性が出て安請け合いして先頭を歩くことになった。
雪が解けかかった車道を、出来るだけ歩きやすそうなところを選びながら慎重に歩いた。「先頭で転んだら格好が悪いだろうな」の心配も抱きながら。
五差路まで車道を下って、山道を避けて車止めを越えて遠回りの林道を歩いて行った。ここから先にも、たびたび二股の別れがあったが、すべて尾根道を避けて巻き道を選んでいった。
(五差路まで車道歩き)
(五差路からも林道歩き)

やがて道は急坂になり、ところどころ粘土が湿っているところでは気を遣ったが、雪は消えていたので雪で滑る心配はなくなって助かった。私のすぐ後ろを歩く元気な女性陣に追い立てられるように気持よく下っていくと、「速過ぎるよ。そろそろ休みにしてよ」との声が聞こえてくる。適当に日当たりが良くて風のないところで休んでいると、追いついてきた下山さんから「百体観音がもうすぐじゃなかったかな」との声がかかる。
小休止して歩き始めると、一下りしたところにたくさんの石仏が並んだ百体観音があった。直前で休んだので、また休むわけにもいくまいと「ここが百体観音です」といっただけで通り過ぎたが、コース中の唯一のエポックでゆっくりと観察したい人もいたかもしれない。案内役を引き受けるのなら、少しは勉強しておくのだったと反省しても遅い。
この道は「塩の道」として河原子、会瀬など海岸地方と東河内、入四間など山間部を結ぶ流通路だった。百体観音はその途中に祭られたわけだが、百は西国三十三所観音礼所、坂東三十三所観音礼所、秩父三十四所観音礼所の合計百所を意味している。これらの本尊を模して350年前に彫られた石仏群を金山百体観音というが、現在確認されているのは「西国」30基、「秩父」24基、「坂東」1基、合計55基で百体は揃っていない。他は山中のどこかの埋もれているということらしい。
(雪も消えてきた)
(百体観音)

皆さんからペースが速過ぎるとの注文があったので、少し歩調を緩めた積りだったが、次のおむすび池で気持よく休んでいると、「まだペースが速すぎる。予定より15分も早いよ」「休むのは助川山になっているだろ」と追いついて来た下山さんから注文が付く。予定表も見ていない呆れた副幹事である。
助川山の手前で丘に向かう道があったので、これが助川山だろうと登っていくと、ここも眺めのいい展望台ではあったが、助川山の東屋はも一つ谷向こうに見えていた。一度道に下りて助川山に登りなおすことになった。
(おむすび池)
(助川山)

助川山の山頂は正に360°の大展望だ。眼下の海側には太平洋の大海原の手前に工都日立の街並みが広がり、山側を見ると、来月歩く風神山から高鈴山、神峰山、羽黒山、その先の鞍掛山、神峰公園までの日立アルプスを180°で全部見渡すことが出来た。「こんな長いコースを誰が歩くのよ。私にはとても無理」との声が聞こえてくる。表面上では弱気を見せているが、元気な人たちの事だ、内では歩き通す気概を高ぶらせているのだろうと聞いていた。
(海側180度の展望)

(山側180度の展望)

助川山でゆっくりと展望を楽しんでから、いよいよ最後の下りである。車が走れる広い道を下っていくと、上に諏訪鉱山に通ずる鉱石運搬用のバスケットを運ぶ索道が見えて「あれに乗ってみたいな」との勇敢な声が聞こえてくる。山根への分岐点のところに車止めがあり、その先が索道の真下なので鉱石落下の危険防止のための円筒状のシェルタがある。
シェルタを潜ってから下っていくと、周宅地になってくる。日立は海岸線に山地が迫っているので、住宅団地が山の上まで広がっているのだ。眺めが良くて快適そうだが、風が強い時には苦労しそうだ。
(鉱石索道下のシェルタ)
(住宅街を下る)

分岐ごとに「助川城址公園」の道標を確認しながら歩いてきたが、着いたところは城址公園の下の入口だった。「助川城址公園」もコースの中に入っていたのだが、ここにも寄らないで通過することになった。
新しい病棟も建っている日立病院のそばを通って国道6号まで出た。ここから日立駅までバスで帰ることも出来るとの下山さんの案内もあったが、バス停に向かう人は一人もなく、途中で信号待ちの行き違いでグループは二つに分かれたが、みんな日立駅まで歩き通した。御元気なものだ。
(助川城址公園下)
(国道6号線)

途中、久しぶりの日立銀座を歩いてみたが、不景気が工都日立を直撃しているようでシャッタの下りた店が多く淋しかった。
日立駅に着いたのは15時10分、山頂から3時間、御岩神社から歩き始めて5時間40分、電車が出たすぐ後だった。30分の待ち時間コーヒを飲みながら時間をつぶして、次の電車に乗り込んだ。この電車も貸切状態で、車中では賑やかな笑い声が聞こえていた。いつもの貸切バスでは最後まで乗っている我家だが、今回は一番早く電車を下りて、皆さんを見送ることになった。
(日立駅も近い)
(帰りの電車)



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