Z16.滝山・戸面山・権現山(旧緒川村の山)

1.動 機
 身内の不幸があったりして、10日も山歩きをしないでいると足が萎えて来た感じがしてきた。まだ遠くに出掛ける気はしないので、山悠遊さんの茨城の山リストの中でまだ登っていない旧緒川村の小さな山、滝山と戸面山・権現山に登ってみることにした。三つの山とも三角点のある山だが、地形図に山名は記入されていない。籔漕ぎを覚悟で出かけたのだが、意外にも、どの山にもちゃんとした踏跡が付いていて、気持よく陽だまりハイキングを楽しむことが出来た。帰りには、黄門さまの強力な助っ人、弥七さんの墓にもお参りして機嫌良く帰ってきた。

2.データ
a)山域:滝山(162m)、戸面山(207m)、権現山(285m)
b)登山日:2012/1/25(水)晴
c)コースタイム:日立自宅 9:05 = 10:05 滝山 11:20 = 11:35 戸面山 12:45 = 12:55 権現山 14:15 = 14:20 やすらぎの里 = 14:30 弥七の墓 14:35 = 14:50 美和道の駅 15:00 = 15:10 薬局 15:20 = 16:10 常陸大田 16:40 = 17:00 日立自宅
(上小瀬三山(滝山・戸面山・権現山)の位置)

d)同行者: 和子
e)地形図:「上小瀬」

3.山行記録
 寒さが緩んだ9時過ぎに我家を発車、一路R293を走って、ロックヒルCC前を通過して上小瀬交差点を県道12号へ左折、弥七の墓の道標のところで右折すると目標の滝山手前の三叉路に到着した。道標は右に「水戸黄門ゆかりの里、弥七の墓3.5km」を示しているが、そっちは途中工事中で通行止めとの表示が出ていた。

3.1 滝山
コースタイム:三叉路P 10:15 ---- 10:20 林道分岐 ---- 10:30 東峰 ---- 10:40 滝山山頂 10:45 ---- 11:00 車道出合 11:05 ---- 11:15 三叉路P
(滝山登山ルート)
(滝山登山ルートの標高差)

 滝山には右手の道から登ることも考えていたが、とりあえずこの交差点に車を置いて、正面に向かって歩き始めた。
 広い舗装路は大きくUターンをしながら高度を上げていくが、上の方には広い駐車場所があちこちに見られ、交差点の狭いところに駐車しなくてもよかったようだ。目の前に丸こい山容の小さな山が見えてきて、これが滝山だろうと見当を付けた。 
(三叉路に駐車)
(車道を登る)

 坂道を登り切ると、V字に引き返すように右手の斜面に舗装された林道が分れていた。先には擁壁が続いていて取り付けそうにないので、この林道に入ってみた。
 林道の先で左の滝山方向に登山道が分れていたのでこれに入っていった。登山道は急斜面にジグザグに付けられていて、歩きなれない足には応える。
(林道分岐)
(登山道分岐)

  ジグザグ道を登り切って尾根に上がると、尾根筋にも踏跡が付いており、右手から来る道は始めの林道の先から来ているんだろうと推測した。
 雑木林の中の気持のいい登山道は東峰のピークを巻くように続いていた。登山道を離れて東峰にも登ってみたが、滝山を示す何ものもないし展望もないので、一旦下って西の峰に向かった。
 次のピークに登り着くと小さな四等三角点があり、近くの立木にカワスミさんの青い山名板が取り付けてあった。もう一つ黄色い山名板もあったが、文字がはがれて識別不能、カワスミさんの山名板を使わせていただいて証拠写真を撮った。
(気持のいい雑木林)
(滝山山頂)

 山頂は展望もないのですぐに下山、下りは南に伸びる尾根道を下ってみることにした。急斜面に直線状に登山道がついていて、下るのに足元が滑って大変だった。立木に掴まったりしながら下っているうちに、車道に近くなったら何時の間には道がはっきりしなくなったが、その籔を突っ切ってみたら5mぐらいのコンクリートの擁壁の上に出た。
 5mも飛び下りるわけにはいかないので少し引き返して、左に50mほど移動してまた車道の上に出ると、ここも擁壁だがここ付近だけコンクリートでなく自然石でできており、ところどころ立木もあって何とかなりそうだ。岩のくびれに足場を求め、立木に掴まりながら何とか車道まで降り立った。何事にも尻込みしない元気な奥様で良かった。
(南尾根を下る)
(車道に崖下り)

 車道に下りて舗装道を500m歩いて駐車場所に戻って、次の戸面山に向かった。。

3.2 戸面山
コースタイム:車道脇P 11:40 ---- 11:50 進路修正 ---- 11:55 東峰 ---- 12:00 戸面山山頂 12:30 ---- 12:40 車道出合 ---- 12:45 車道脇P
(戸面山登山ルート標高差)
(戸面山登山ルートの標高差)

 戸面山には南面から登った方が楽そうだったが、車のナビに間違えてアザレアゴルフ場の入口を指定してしまった。ここまで来たら北面からの登山口を探したほうが近い。見当を付けていた北面の2本の尾根筋が下りてくるあたりの路側に車を停めた。
 東側の尾根に登る道が見つかり、早速これに入り込んだ。
(車道わきに駐車)
(登山道あり)

 入口は少しススキなどが煩かったが、そこを通り過ぎると気持のいい道が尾根筋に通じていた。道は始め尾根の右側を登っていったが、途中から左側に変わりどんどん歩いて行った。途中、尾根に曲がる踏跡があったがそのまま道を進んでいき、気になってナビを覗いてみると戸面山の尾根を通り過ぎてしまっていた。慌てて進路を修正して事なきを得た。
(尾根沿いの道)
(途中、進路修正)

 雑木林の中の道に戻って山頂部の東端に着いた。三角点が山頂部の端にあった事だけは覚えていたが、地図を車に置いてきたので、東にあったか西にあったか記憶が定かでない。東側をしばらくうろうろしてから西の峰まで歩いて行くと、四等三角点がすぐに見つかった。周りは立木に囲まれているが、樹間から南面の山々がよく見えていて、御前山の山々や、筑波山、吾国山などが確認できた。三角点を前にして証拠写真を撮って、気持のいい山頂でコーヒとお八つの軽い昼食で一休みした。
 下りは山頂からすぐに北に延びる尾根筋を下ってみた。
(戸面山山頂)
(北尾根に下る)

 北面の尾根は長く、なだらかな尾根筋にはちゃんと踏跡が付いていて、気持のいい陽だまりハイキングになった。
 尾根がなだらかなうちは気持よく歩いけたが、斜度が急になって来ると、倒木があったり、籔っぽくなったり、少し歩きにくくなった。それでも滝山の降り口ほどの冒険をしないで車道に下りることが出来た。
(気持のいい北尾根)
(車道近くは少し籔漕ぎ)

3.3 権現山
コースタイム:車道脇P 12:55 ---- 13:05 登山口 ---- 13:10 階段終 ---- 13:15 上階段始---- 13:20 権現山山頂 13:45 ---- 13:50 尾根分岐 ---- 14:05 車道出合 ---- 14:10 車道脇P
(権現山登山ルート)
(権現山登山ルートの標高差)

 県道39号から164号に入り、前田の集落に入ると、目の前の山の上に展望台らしき屋根が見え、これが権現山らしい。展望台がある山なら登山道もあるだろうから籔漕ぎしなくても済みそうだと少し明るい気持ちになった。
 集落のはずれたところで道が二股に分かれ、左の広い道に入って石碑が並んでいる近くに車を停めた。
(油河内からの権現山)
(石碑群)

 広い車道を登っていくと左から車道が合流してくする。地形図をみると、この左から来る道に権現山からの尾根が幾筋も下りてきており、下りはこっちに下りてくることにして、登り口を探して直進した。すると道の左に「日本一の景勝地、権現山見晴らし台ハイキングコース、100m先」と大げさな看板が立っていた。
 更に進むと車道の右側が駐車所のように広くなっていた。いくらでも車が停められそうだ。
(大看板)
(登山口近くの広い路側)

 その先に右手の急斜面に上がる階段があり、階段の上に「権現山見晴らし台ハイキングコース、標高284m、徒歩20分」と書いた大きな案内板が2枚たっている。
 階段下には立派な石碑があり「八里隧道昭和三年一二月竣功」と刻印してある。今は切り通しになっているが、昔はここはトンネルになっていたようである。2003年の地図を開いて見たら、この道路にはトンネルがあり八里トンネルと表記されているので、つい最近までトンネルがあったわけで、この階段やハイキングコースも最近出来たものらしい。
 丸太の階段は高度差40mの急斜面を一気に登る。段数を数え損ねたが、長い階段を登って息が切れて来る。
(記念碑のある登山口)
(長い階段道)

 階段を登り切ったところにベンチがあり、周りが柵で囲まれていて、新しい道路を見下ろす休憩所になっている。
 ここからすぐのところに「展望台へ100m」の道標があり、ちょっとの間だけ、なだらかな道になった。
(階段の終点のベンチ)
(少しだけ平らな道)

 山頂近くなるとまた丸太の階段が始まり、登り切ると立派な日本一の展望台が見えて来た。前田の集落から見えていた建物に違いない。
 展望台の前に三等三角点があり、この前で証拠写真を撮った。少し離れたところにばらばらになった石の祠の残骸があり、その脇に「権現山、標高284.2m、緒川村油河内、平成7年」と刻した陶器の山頂標識があったので、これも一緒に撮影した。
(展望台のある権現山頂)
(三等三角点)

 展望台に上がると日本一の360°の展望が広がっていた。残念ながら遠くの富士山や日光は霞んで見えなかったが、近くの奥久慈男体山や八溝山、筑波山など綺麗に見えていた。コーヒを飲みながらしばらく展望を楽しんだ。
(奥久慈男体山方向)
(筑波山方向)

 下山は登ってきた上の階段を下って、その先で尾根筋に伸びる踏跡に入っていったが、道はしっかりと付いていて気持よく歩くことができた。
(下山は尾根道に分かれる)
(気持のいい尾根道)

 前の二つの山と同じように、車道に出る近くで道が不確かになり、少しだけ籔を漕いで車道に出た。車道の手前では小さな沢を渡ることにはなったが、あとはのんびりと車道を歩いて駐車場所に戻った。 
(車道に籔を漕ぐ)
(駐車場所に戻る)

3.2 弥七の墓
 権現山を下りて時計は14時半、もう一山登れない事はないが、ここまで来たら美和に開いたパパの薬局もついでに訪問して帰りたい。そこで思い付いたのが滝山の入口にあった「風車の弥七の墓」道標である。いつも楽しませていただいている黄門さま漫遊記に出てきて大活躍して胸をすっきりとさせてくれる弥七さんの墓が近くにあるのなら、この機会にお参りして行こうと話がまとまった。
 早速やすらぎの里めがけて発車、やすらぎの里に到着したが、この公園は以前歩いたことがあるロッジなどがある広い公園で、弥七の墓などある訳がない。道標で弥七の墓は「水戸黄門ゆかりの里」にあると知って「やすらぎの里」のことだと早飲み込みしていたのである。近くの民家で談笑中の人達に場所を教えて貰って弥七の墓へ走り直しした。予め弥七の墓を地図で確認して行けばこんなことにはならないのだが、行きあたりばったりの性癖は直りそうで直らない。和子に言わせれば益々強くなってきているという。
 村人に教わった通りに車を進めると立派な大きな標識があり、広い駐車場があった。駐車場の上に墓所があり、大きな石仏の両側に二つの墓があった。
(弥七の墓表示板)
(弥七の墓所全体像)

 真ん中の石仏は常不経菩薩様で、出会う人すべてに「私は汝らを深く敬う」と合掌礼拝して歩いた比丘とのこと。左に弥七の墓があり、右に弥七の妻お新の墓が立っていた。
 説明板によれば、弥七はこの近くに住んでいた松之草村小八兵衛という実在の人物であったという。全国を漫遊したことは勿論作り話だろうが、黄門さまと因縁があった忍者であった事は確からしい。
(弥七の墓・常不経菩薩像・お新の墓)
(水戸黄門ゆかりの地説明板)

 弥七さんのお墓にお参りも済ませてすっかり満足し、美和村の道の駅で野菜を買い込んで、パパの薬局に挨拶に立ち寄り、帰途、常陸太田のうどん屋で暖かいきつねうどんを頂いて、渋滞前に我家に帰り着いた。三つの山を大した籔漕ぎもしないでピークハントし、弥七さんの墓にもお参り出来て充実の一日でした。




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