A52.東海村の文化財(3)
1.動 機
ゴールデンウイークが過ぎた上天気の日、ひたちなかの工場に勤める娘と夕方会う約束になり、その道すがら県道284号沿いにある東海村文化財マップの南部を歩いてみることにした。その前に整形外科受診してから東海村役場に立ち寄って、前月探して見つからなかった久慈川河口緑波の標石位置について伺った。ベテラン所員に伺いをたてて貰って、場所はマップ記載の位置から赤い橋の河口寄りに移設してあるとの情報を得ることが出来、帰途現地確認することが出来た。
2.データ b)撮影日:2013/5/7(火) c)コースタイム:
自宅11:35 = 11:50整形外科12:25 = 12:30東海村役場13:45 = 13:50御所内貝塚A14:05 = 14:10エノキR14:15 = 14:30土偶D14:35 = 14:40下ノ諏訪貝塚B = 14:50公園墓地下 = 14:55下ノ諏訪古墳群C15:00 = 15:15須和間古墳群D15:25 = 15:35公園墓地下 = 15:50住吉神社G16:30 = 16:35須和間幼稚園16:45 = 17:05ひたちなか電気店P17:10 = 17:35久慈川河畔18:00 = 18:20自宅 d)同行者:和子 3.記録写真 整形外科で薬の処方をしてもらい東海村役場でマップについて教えていただいた後、先ずは動燃通りと県道284との交差点近くにある御所内貝塚に向かう。
D:土偶
マップの説明文によると、次の土偶Dは縄文時代のもので、御所内貝塚から出土して県道沿いの個人宅に保存されているらしい。情報をもらえるかと期待して近くのコミュニテイーセンタに向かったが、あいにく水曜日は休館日。されば照沼宅に移動し、入口に何かこの「土偶文化財」の表示してあれば公開歓迎の意思有りと判断しよう思って探してみたが見当たらず、我が家が特に遺物に趣味があるわけでもないので実物を見せていただくことは遠慮した。
マップによると下ノ諏訪古墳群Cや横穴群Eが東海村とひたちなか市の境界近くの丘にあり、その周りを道がU字型に巡っている。県道に出て南下して枝道を右往左往しながらこの道に入った。丘の周りを良く見ながら車を走らせたが、横穴らしきものは見当たらない。路側に車を停めて、石段を登って公園墓地に上がった。広い公園墓地の回遊路を歩いていくと「下ノ諏訪古墳群」の立札があり「前方古墳群が1基、円墳が6基あります」とあり、その脇からスギ林の茂みに入る踏跡があった。中に入ってみたが整備はされておらず、なんとなく円墳らしきものを認めたが表示はなく、前方後円墳の形も確認できなかった。
下ノ諏訪古墳群の所在は確認したことにして、横穴群を探すべく広い公園墓地を歩いていくと管理棟から若い管理人さんが出てきた。「この近くに古い横穴はありませんか」とマップを見せながら尋ねると「横穴は見たことも聞いたこともない。この先にこの高台から降りる道があるから、丘の周りを見てみたら」「県道向かいの須和間古墳群、横穴群が書いてある辺りは良く散歩するが、それらしき物を見たことはありませんよ」とのことだった。
D:須和間古墳群 丘から下る道を確認してから県道を渡って須和間古墳群Dの探索に向かった。南台団地への入口のところから県道に沿う茂みの中に踏み跡を見つけて入ってみた。少し円墳に見えるようなものも何個かあったが説明板もないので極めて怪しい。その踏み跡の終点には鳥居のある小さな石の祠があって、ベニヤ板の名板らしきものがあったが朽ちてしまって文字は確認できなかった。後で、公園墓地下の農夫からこれが阿夫利神社であることを教わり、毎年7月28日にお祭りが行われることを住吉神社にあった「須和間区神社関係年間行事統合一覧表」で知った。 公園墓地に引き返し、教えて貰った道を下って下の諏訪横穴を探しながら丘の周りを歩いていくと、一人の男性が丁度農作業を終えて引き上げるところに出会った。横穴のことを尋ねると「昔はこの斜面に横穴があったが、今はすっかち地形が変わってしまって跡形も分からないよ。古墳はこの上にあるよ。マップの古墳マークのところには阿夫利神社があるが、古墳はどうだろう」とのことだった。
次にE前原古墳群を確認すべく、駐車場所に戻って車で諏訪間古墳群に下をぐるりと走ってみたがそれらしき物は見当たらなかった。貝塚と同じく、横穴群も見つけることが出来なくて残念だったが、諦めて次に向かった。
R:カヤの木
G:住吉社寒霜
住吉神社に向かって歩いていくと、鳥居を覆うように繁る森の巨大な古木の一本一本がはっきりと見えるようになってきた。こじんまりとした森だが、樹齢300年の古木が現存している古い森である。 入口には神社の謂れなどの説明板のほかに「東海村12景住吉社寒霜の碑」が建っていた。
荘厳さあふれる参道を入っていくと左手に樹高30mの大きなスギの木があって「東海村指定文化財第14号スギ」の立札が立っていた。太い幹を叩いてみると虚ろな音がして、中が空洞になっていることが分かる。よく生きながらえているものだ。
そのすぐわきにごつごつとした肌のアカガシの大木があった。これも「指定22号」の立札が立っていて、樹高18m、幹1mの巨木である。
本殿右奥に入っていくと「指定23号」のサカキがあり、この木は隣接して育った2本のサカキが、地上すぐのところで結合し、その上1.5mで一旦分離するが、更にその上3mのところで再び結合して又分離しているという珍しい樹形をした古木である。元気で若く見えるがこれも樹齢300年だという。
「指定24号」の立札は見えなかったが、拝殿右手前奥に大きなアカガシの木が見られた。きっとこれがマップに記載の指定24号に間違いないだろう。
赤い橋近くの堰堤上に上がってみたが、堰堤上の道は草ぼうぼうで「東海12景」の石碑らしきものは見えない。
時々堰堤上を伺いながら車道沿いをどんどん歩いていき、海岸近くまで500mも歩くと右手が「豊岡なぎさの森」で遊歩道のある広い公園になった。そのもっとも海岸近くに小さな広場が出来ていて、その中に「東海12景 久慈川河口緑波」の石碑が建っていた。近くには駐車場もあって、車でここまで入ることが出来るようになっていた。
そこから眺める太平洋は日立港から東海発電所まで180°の大展望、行き来する船影を見ながら気持ちの良い眺めだった。
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