A93.日立市の自然・文化財(6)
(日立南部2/2)

1.動 機
 9月中旬になってやっと秋らしく涼しくなり、昼間でも風神山なら気持ちよく歩けるようになってきた。みはらし台まで足を伸ばしたりしたが、「夫婦二人の山歩き」としては話題に乏しく、今日は前回の日立南部の神社巡りの残りを歩くことにした。また少し暑さがぶり返して、曇り加減で陽射しは弱かったが蒸し暑く、平地の田圃道10kmのウオーキングでも一汗かいた。
    稲実り 黄色一色 気持ちいい
    稲刈りに ご苦労様と 声掛けて
 
2.データ
a)山域:日立市南部地区
b)登山日:2013/09/11(水)
c)日程:自宅9:20 = 9:30南ドライブイン9:35 ---- 9:45北野天満天神宮 ---- 9:50熊野神社 ---- 10:15三峯神社 ---- 10:30吉田神社 ---- 10:55愛宕吉田神社 ---- 11:10愛宕神社11:15 ---- 12:10羽黒神社 ---- 12:20南ドライブイン13:00 = 13:10自宅
d)同行者:単独
e)地形図:1/25000 「日立南部」
(日立南部地区の神社探索歩行ルート)


3.山行記録
 我家から車で10分の南ドライブインに車を停めて歩き始める。水曜日はここの食堂が400円で定食を食べさせてくれる。ウオーキングが終わった後この超安値の昼食を食べるのを楽しみに、ここを駐車場所に決めたのだ。
 北野天満天神宮を目的地にして入れたポケナビの表示を頼りに、R293に出て日立港方面に向かい、少し歩いて左折して田圃道に入って二つ目の路地を左に入る。しばらく歩いた左の立派な石塀の中に鳥居が見えたが、これは明らかに民家の敷地内だ。これが北野天満天神宮という大袈裟な名前の神社のはずがないと思って、塀の端まで歩くと小川を渡ることになった。mapでは神社は明らかにこの小川の手前にあるはずで、塀の中の鳥居が北野天満天神宮のようだ。引返して門から庭を覗いて見ると、石の鳥居の奥に石灯篭と祠があり、鳥居の額束に北野天満天神宮とあり、脇には北野天満天神宮と彫った石柱も立っていた。個人の神社か部落の神社だかどうかを扉をたたいて確認すればいいのだろうが、引っ込み思案のわが身、ひっそりとした邸宅に怖れをなし、写真だけ撮らして貰って外に出た。
(南ドライブイン)
北野天満天神宮

 北野天満天神宮を後にしてR293まで引き返し、国道を渡って南に向かう。道なりに歩いて左に曲ったところに鳥居が見え、正面まで来ると鳥居の脇に熊野神社の石柱が立っていた。
 鳥居から中に入ると参道脇に石の手洗鉢があり、境内には二つの境内社があり、それぞれ列雷神社、稲荷神社、厳島神社、大国主命、と三峯神社、粟島神社、秋葉神社、八坂神社と4枚づつの札がかかっていた。
 拝殿奥には立派な本殿があり、拝殿脇には嘉永五年の年号の入った大国主命と彫った石碑があり、そばに大国主命と思われる小さな石像がたくさん納められていた。随分と格の高い神社と思われ、鳥居脇にある改築記念碑をよむ。
    昭和48年に老朽化した表鳥居、拝殿、屋根萱葺を氏子の拠出金で改築、境内に茂っていた巨木も(地名の通り茂宮だった)暴風に倒されたので改築に使い、跡に杉苗を植えて氏子が維持管理しているとのこと。
神社の沿革については転記するのは面倒なので、小野久子さんのHPを引用させていただく。
    熊野の鎮守として延宝3年(1676)紀伊国熊野有馬村から遷宮され「十二所明神様」と称され、この地に住む高根家が佐竹氏に仕えた代々の武門で、佐竹氏が秋田村移封の際、高根一族は秋田へ移住しましたが、茂宮村に土着した高根一族がはじめて勧請したものといわれています。
(熊野神社の鳥居と拝殿)
(大国主命碑)

 熊野神社から農作業中のご夫婦の脇を通って100mほど歩くと大きな樹があり、その袂に6体の石碑が並んでいた。他にも壊れた石片がたくさん並べてあって何か謂れがありそうだが説明板はなく、写真だけ撮って通過した。後でNETで小野久子さんのHPを見ると同じ6体の石碑群の写真が載っていて、カナイ神というらしい。
    昭和27年の区画整理時、境界部に水路を掘ったところ、たくさんの屑鉄が発掘されたといいます。現在、この地は昭和27〜28年に茂宮全域の区画整理したとき、村内各所に点在していた観音様、馬力神、石佛、石塔などカナイ地区に一括合祀したということです。
 色付いた稲穂の向こうに風神の山並みを見ながら南下すると田圃の中に神社林にも見える森があった。ここに次の三峯神社があるのかもと思いながら十字路を右に曲がると、エンジンカッタで除草作業中の男性がいた。「この近くに三峯神社ってありませんか」と訊くと、エンジンを止めて「三峯神社はその家の向こう側、鳥居があるから判るだろうよ」と教えて貰えた。なんでこんな神社に?と不審顔だったが、お邪魔しました。
 屋敷の先の茂みと田圃の境に狭い道があり、ちょっと奥入ったところに茂みに隠れるように小さな鳥居が見えた。教えて貰わないと見落としそうだった。鳥居の前まで入ると中には手水鉢と対の石灯篭が見え、灯篭の前まで入ると、中には落葉の積もった小さなお社があった。
カナイ神
(三峯神社の鳥居)

 三峯神社から次の吉田神社までは田圃の間の道を西に歩く。道中、右手に風神山の山並みがずうっと見えていた。一面の黄色い稲穂越しに気持ちの良い眺めだった。
(真弓山−風神山−日立研究所)

 吉田神社に向かって西に歩くと右にこんもりとした森が見え、右の脇道に入ってこの森まで歩ていくと、森の端から参道らしき入口から中に入っていくと吉田神社の木の鳥居と拝殿が見えてきた。
(吉田神社の樹叢)
(吉田神社鳥居と拝殿)

 拝殿の木戸が歪み裏のガラス窓が壊れたままなのに対し、奥にある本殿はまだ真新しい感じがした。本殿を囲む塀はブロック塀だったが、大震災のためか壊れていて、本殿前にも入ることが出来た。入口にあった読みにくい由来書を判読すると、本殿は昭和48年に改築されてとのことだった。
 吉田神社から出て、下土木内町の公民館脇を通って元の道に戻ってから更に西に向かい、R6を渡り常磐道の下を潜って2km近く歩く。常陸太田市との境界近くまで行ったところの右路側に小さなお宮があり、これが愛宕吉田神社で、狭い境内には石の祠がいくつも置いてあった。
(吉田神社本殿)
(愛宕吉田神社)

 愛宕吉田神社のあるこの辺り神田町は日立市、すぐ西の竪磐町は常陸太田市、この境界線が入り組んでいて判りにくい。その上、先ほど通った下土木内町は日立市で、神田町の北と接する下土木内町と兄弟みたいな名前の上土木内町は常陸太田市とくるから訳が分からなくなる。
 次の愛宕神社は常陸太田市竪磐町の中の日立市の飛び地みたいになっていて、200mほどの道だけでつながっている。愛宕神社に行く近道は、愛宕吉田神社から一旦常陸太田市の道に入って北西に向かう。常陸太田に入ると鎌で稲刈りする人は少なくコンバインを使っている農家が多い様に思われた。
 道が北向きになって300m歩くと次の曲がり角に鳥居が三つ立っていた。一番手前の鳥居の奥に小さな社があって、愛宕神社と書いた札が付けてあった。マップルの地図にはこの愛宕神社一つだけが載っていた。
(鳥居が三つ並んでた)
(愛宕神社)

 次の鳥居の傍には日立電鉄の「鹿島神社前」のバス停表示が立っていて、奥の拝殿には鹿島神社の額が掛かっており、後ろには立派な本殿があった。その隣も拝殿と本殿のある立派な神社で境内の四隅に石の祠があったが、神社の名前の表示はどこにもなかった。
 後でyahooの地図を調べたら3つの神社が載っていて、右端の神社は静神社だった。この地図だと、日立市に入るのは鹿島神社だけで、愛宕神社と静神社は常陸太田市のようである。
(鹿島神社)
(静神社)

 ここの神社にお参りしているときに常陸太田市の市民バスが走ってきたが、鹿島神社前から東に向かう道を歩いて行くと十字路に日立市の境界表示標が立っていた。
(常陸太田の市民バス)
(日立市境界標)

 最後の羽黒神社まではマス目の道を適当に歩いて行けばいいと思って、田圃の間を気持ちよく歩いて行ったが、はじめに少し方向を誤って500mほど遠回りをしてしまった。田圃の風景も見飽きてきて、1時間近くの道のりがとても遠かった。
 常磐道を潜ってR293に出て、R6の手前から脇道に入って羽黒神社に向かった。田中内集会所の隣に大きな木の鳥居があり、その奥に拝殿と本殿があり、参道脇の境内社も大きく立派で、全体的に綺麗に整備されていた。由緒板には次の様な記述があった。
    御祭神 木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
    御神徳 安産・子授けの神
    由緒・沿革
    社伝によると延暦20年(801)坂上田村麻呂は朝廷の命により蝦夷(現在の東北地方)征伐の途次、この地に多くの産褥に悩む者ありと聞き、藤原某と図って小社を建立し、石長姫命・木花開那姫のニ神を祀ったところ苦しむ者は無くなり、里人はその神徳を尊崇したという。
    元慶2年(878年)賊のために焼失したが、天慶2年(939)藤原仲平卿の命により再建され、元禄年中(1688〜1703)徳川光圀の命により石長姫命は分祀され、羽黒権現社として木花咲耶姫命一神を祭神としたと伝えられる。
    明治維新後羽黒神社と改む。明治6年6月1日村社に列格。昭和27年6月13日宗教法人設立。
    近年朽損甚だしきに因り、氏子崇敬者の多大な浄財を以て、平成18年に本殿、拝殿、玉垣、及び境内社等が竣工となる。
    祭日 歳旦祭:1月1日 祈年祭:2月17日 春季例祭:4月10日 新嘗祭:11月23日
    境内社 八坂神社 御祭神:素佐男命
        熊野神社 御祭神:伊佐那岐命・伊佐那美命
        稲荷神社 御祭神:倉稲魂命
(羽黒神社)
(境内社)

 最後の羽黒神社で二拝二拍手一拝+神拝詞のお参りをしてから、12時20分に南ドライブインに帰り着くと、広い駐車場に車がいっぱい入っていた。水曜日の400円定食が随分と有名になったようで狙いの食堂には人がいっぱい、食券自動券売機にも長い行列が出来ていた。並んで順番を待つが、400円定食にもいろいろ種類がある。5種刺身定食の券を買って、また賄さんの前で順番を待つ。元気のいいお兄さんが大声で奥に注文を伝えながらご飯をお椀に盛り、奥で作った刺身や漬物をお盆に載せて要領よくさばいていく。味噌汁は自動機でのセルフサービスに変わっていて、あまり待つこともなくボリュームたっぷりの昼食にありついた。10kmのウオーキングでお腹が空いていたので、盛のいい御飯んも全部平らげた。

 前々日、風神山からみはらし台まで足を伸ばして筑波山を眺めた日、麓まで下った時にカラスウリの実がなっているのが目に入ったが、そのそばに8月30日に風神山登山口で見つけたが名前が判らなかった花がぶら下がっていた。開花して網状になっていれば一目瞭然だったのに、花開いたものが一輪もなかったので迷ったのだったが、この時にこの花がカラスウリであることがはっきりしてすっきりした。
(みはらし台から)
(カラスウリ)





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