A122.新潟市観光(兄弟会)

1.動 機
 川本家は5人兄弟で、長女が新潟、長男が大阪、次男の私が日立、三男が松戸、末弟が大阪と全国に散らばっている。広島県の実家はすでになく、めったに顔を合わせることがなかった兄弟が今年8月に大阪に集まって初めての兄弟会を開いた。その席上で、次回の兄弟会は欠席していた姉夫婦の住む新潟で開こうと決めていて、幹事役を仰せ付かった私は日取りと宿の手配だけをして、すべての段取りを新潟夫婦にお願いした。初日の夜、老舗割烹大橋屋の会席膳での宴会、二日目はジャンボ観光タクシーで北方文化博物館と瓢湖の白鳥の観光後、加島屋長助にて海の幸五彩膳を味わって、ときメッセの最上階31階140mからの眺望、ピアBandaiの市場での見物、買い物を楽しんで解散するという段取りをしてくれた。当日視界が悪くて、ときメッセからの展望は中止になったが、直前に長兄が秋の叙勲で端宝中綬章を叙勲されたと言う吉報が飛び込んできていて、賑やかで嬉しいお祝いの兄弟会になった。

2.データ
a)山域:北方文化博物館、瓢湖
b)登山日:2013/12/14(土)、15(日)
c)行程:
1日目:大甕駅 = 上野駅 = 新潟駅 ---- 東急イン = 大橋屋兄弟会 = 東急イン(泊)
2日目:東急イン 北方文化博物館 = 瓢湖 = 加島屋(昼食) = ピアBandai = 新潟駅 = 上野駅 = 大甕駅
d)同行者:姉夫婦、長男、三男夫婦、末弟夫婦、和子


3.旅行記録
(1日目:12月14日)
森山自宅10:20 = 10:35大甕駅10:35 =(常磐線遅延)= 13:05 上野駅13:18 =(上越新幹線)= 15:14新潟駅 ---- 15:25東急イン16:50 = 17:00大橋屋(兄弟会宴会)20:00 = 20:10東急イン(街散策・泊)

 我家から歩いて大甕駅に着いて時刻表示板を見て驚いた。10時45分発と思いこんでいた特急が10時35分発となっている。我家を早めに出たのでぎりぎり間に合って無事だったが、認知症はますます進行しており、今日は他にも携帯を忘れて兄弟との連絡が不便になった。
 無事予定の電車に乗れて水戸駅まで順調に走ったが、ここで「神立駅で停電事故が発生したため、しばらく停車します」とのアナウンス。電車は20分で発車したが、次からの駅ごとに停車することが続き、上野駅に到着したのは予定時刻を1時間過ぎていた。ホテルへの到着時間が予約よりも大幅に遅れそうなので連絡したいが携帯は忘れてきたし、この電車には公衆電話が付いていなかった。
 上野駅の緑の窓口で次の電車Maxとき325号に指定の切り替えをして、階段を駆け下りて新幹線のプラットフォームに飛び込んだ時にはもう発車ベルが鳴っていた。目の前の3号車に飛び乗って、指定の席に行こうと12号車に移動を始めたが、このMaxときはオール2階建てで、二階と一階をそれぞれ水平に歩いては行けず、各車両毎に2ヶ所共通デッキがあって、ここに上り下りの階段がある。何度も何度も上り下りしてやっと8号車まで歩いたが、この列車は8両編成が二つ繋いであって、8号車から9号車の間には通路がない。そこには同じ思いのおじさんが立っていて、次の大宮駅でプラットフォームに下りて前に行くしかないと嘆いていた。新幹線にはカード電話が付いていたので、ホテルに遅れの連絡は取れて一安心、8号車の席に座って大宮駅到着を待つ。
 大宮駅で12号車に移ったが、我家の切符の指定席は一階の席だった。一階の席は目の高さより高いところに線路の安全壁があって、期待していた上州信越の山並みが見えない。今日は踏んだり蹴ったり。
 なんとか新潟駅に着いて予約していたホテルの東急インにチェックインした。2か月前に予約したので大幅割引、ツインルーム朝食付きで二人分8800円也、年金生活者には有り難い。大阪の長兄と末弟夫妻は到着済み、我家も同じ新幹線で来るものと思っていたので、電車の中でも大分探しまわり、携帯に電話もしたらしい。時間を見計らって5人でロビーに下りると、今回の仕切り屋新潟夫妻がもうやってきていて待っていた。80才を越して二人ともお元気である。運よく晴れていれば、日本海に沈む美しい夕日を眺めに朱鷺メッセまで出かけることも考えられていたが、冬の新潟、毎日どんよりの日が続いて滅多にそんな日はない。
 そのうち地域奉仕活動の都合で出発が遅くなった松戸の三男夫妻もやってきて全員揃う。大阪の義姉が今年101歳になる実母の付き添いで外に出かけられなくて参加できなかったので、メンバーは9人。この歳になって5兄弟が夫婦揃って元気でいるということは幸せなことだ。
(常磐線から筑波山)
(東急イン)

 ロビーで歓談しているうちに宴会場の大橋屋からの迎えのバスがやってきた。NETでは10名以上の団体には迎車を出すとあったが、新潟の名士本間家の顔で無理が通ったのだろう。
 大橋屋に着くと3階の和室に通された。椅子席のテーブルに大橋屋自慢の会席料理が運ばれ、先ずは5人姉弟みんな夫婦そろって元気でいることを祝ってビールで乾杯、続いて、新潟の銘酒をちびりちびり味わいながら、次々と運ばれてくる美しい料理に舌鼓を打つ。悲しいかな、カメラにカード初期化の赤マークが出てきて料理の写真を撮れなかった。
(大橋屋本町茶寮)
(会席料理の始まり)

 長兄の受勲祝いの乾杯もして、そのいきさつの説明を聞く。色々な委員会の会長を歴任してきた新潟の義兄は天皇陛下への御進講もしたこともあると聞いていたので、義兄の受勲なら当然かと思うが、たまに会う時にはいつも面白い話ばかりして仕事の話を聞いたことがない長兄が勲章を貰うなど、長兄には失礼だが全く意外なことだった。話を聞けば、大学時代から長年地震や地滑りの研究を続け、近年は多くの研究者の研究成果を纏めるような地道な仕事に精出してきた功績が大阪工大の中でも認められて推薦を受けたようだった。
 長姉は81歳でなお元気に書道に励み、その作品が秀作に選ばれた東京の展覧会を見に行った松戸夫婦が、その書の写真を紹介して更に座を盛り上げる。我家の百名山完登も話題に上がり、「なんで山に登るの」と訊かれて「他に楽しみがないから」では芸がないから「達成感」「展望」「高山植物」などごちゃごちゃ言っても自分でもピンとこない。
 新潟夫妻は全員からの長兄への受勲祝に燕製チタンニ重構造カップが用意され、他の弟にも一回り小ぶりな同じカップが手渡された。夫婦二人の百名山達成にも無名異焼のペアの酒盃を頂いた。さすがの心配りに脱帽、深謝。

(集合写真)
(長姉の書)

 大事な端宝中綬章の実物が紹介され、手に持って有り難く見させていただく。賞状は大きいので持参できなくて写真で紹介されたが、内閣総理大臣のサインばかりがやけに大きくて、坊ちゃんの目立ちたがり屋の人柄が良く出ていると悪態をつく。
(端宝中綬章)
(賞状)

 20時にお開きにして、大橋屋のバスで送ってもらい、新潟ご夫婦の住居を経由してホテルに帰った。まだ寝るには少し早いので、7人揃って街に出て、喫茶店に入って22時半ごろまで尽きぬ話に興じていた。

(2日目:12月15日)
東急イン8:55 9:20北方文化博物館10:35 = 10:50瓢湖11:15 = 12:00加島屋(昼食)12:30 = 12:35ピアBandai14:10 = 14:15東急イン14:30 ---- 14:35新潟駅15:18 =(上越新幹線)= 17:15上野18:00 =(常磐線)= 19:24大甕駅 19:30 ----(夕食)---- 20:30森山自宅

  バイキングの朝食を腹いっぱい食べてからチェックアウト、荷物をフロントに預けて迎えに来た姉夫婦とジャンボタクシに乗り込んだ。観光タクシーなので運転手さんはいろいろガイドしながら運転していく。新潟育ちの義兄からも相槌や追加の話が入って賑やかなドライブだ。
(ジャンボ観光タクシ)
(説明熱心な運転手さん)

 R49を南東に20km走ったところに最初の観光場所の北方文化博物館があって、ここに入った。\800の入場券は姉が買って配ってくれる。案内役の運転手さんは顔パスらしい。
 パンフによれば全国的にも有数の規模を誇った越後千町歩地主「伊藤家」在りし日のままの豪壮な館に、美術品・民芸品・考古資料を豊富に展示されているという。
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(北方文化博物館入口)
(客間の棟)

 冬季だけ置いてあるというスリッパに履き替えて観光順路に従って案内される。先ずは三間続きの大広間、当主が来客を迎えた部屋で間仕切りをとれば100畳の広さ、壁や欄間に名品らしい絵画や書が飾ってある。書に励んでいる姉は良寛さんの字が味があっていいというが、私には判読もできなかった。
 座敷を囲む廊下の窓側は柱がない吊欄間構造になっていて、桁には30mもの一本杉が使われていた。戸は手作りのガラス戸で田舎の実家のガラス戸を思い出す。その外回りの雨戸を全部開け閉めするには朝夕それぞれ1時間を要したという。暖房は火鉢だけだったらしいが、寒い雪国でさぞ寒かったことだろう。案内されていても足元がだんだんと冷たくなってきた。
(大広間)
(長尺桁の廊下)

 庭は池に全国から集めた名石を配した回遊式庭園で何カ所にも茶室が見える。銀閣寺の庭園ゆかりの庭師・田中泰阿弥により5年がかりで造られたという。青苔が美しいらしいが、雪をかぶった風情もなかなかのものだった。
(銀閣寺ゆかりの庭師田中泰阿弥による回遊庭園)

 広間のあちこちには陶磁器も沢山展示されていたが、新潟県の鳥朱鷺の剥製もあった。新潟の義兄の話では、ここの剥製は出来も保存状態も素晴らしいとのことだった。
(大きな磁器)
(ときの剥製)

 台所は当時50人の従業員の食事を作っていたので、この建物の中でも大事なところだったらしい。竈では毎朝一俵(60kg)のコメを炊いていたといい、米俵が一つ見本に置いてあった。
 隣の茶の間には一間四角の大きな囲炉裏があって、炭火を点いていたので冷えた足を温めさせて貰った。
(台所)
(囲炉裏:三人目はよその人)

 茶の間から階段を上がると昔は物置、作業場、子供の遊び場だったという板の間があり、その上にあるという火の見櫓へ登る梯子が見えていた。いまは考古資料館になっていて、伊藤家の家系図や家族写真、所有していた土地を表示された新潟県地図が展示されていたが、外部の団体も展示室として使っているとのこと。丸木舟や埴輪などの出土品等の展示があり、写真で昔の稲作を説明した写真もあった。稲のハサ掛けの写真は田舎の田圃風景を思い出させた。
(丸太舟)
(出土品)

 一旦庭に出て、三楽亭に案内された。書斎や茶室として使われたらしいが、11坪ほどの三角形をした世にも珍しい建物で、畳も柱も三角形や菱形をしていた。贅沢もここまで来たかという感じ。
(三楽亭)
(三角畳)

 次に案内されたのは集古館という建物。まなこ壁の美しい土蔵で、昔は米蔵として使われ2000俵の米俵が積み上げられていたという。今は歴代が収集した美術品の展示室になっていて、入口に歴代当主が使った駕篭が展示してあった。
 一階の部屋には「巻菱湖展」があって、丁寧に書かれた楷書の書がたくさん展示されていたが、長姉の好みではないという。
(集古館)
(当主の乗った駕篭)

 庭には大きな藤棚があり、広く藤蔓が張り巡らされていたが、すべての蔓が幹回り1.6mという一本の幹からでていた。樹齢150年だが、5月にはまだ見事な花をつけるらしい。一度見てみたいものだ。
(豪農の大藤)
(角屋旅館のHPから)

 10時半まで博物館を見て回り、次はR49を更に10km走って瓢湖に向かった。途中、向かいには雪をかぶった美しい山並みが見えていて、なんという山ですかと訊くと「陣が峰や虚空蔵山など小学生の遠足の山ですよ」とのことだった。周りの田圃を見ながら「雪のないときは白鳥が田圃や畑の残り物を漁りにやってくるので、瓢湖の白鳥の数が減ってしまうが、今は半分以上雪に覆われていて白鳥の姿がないので瓢湖には白鳥が見られるだろう」と嬉しいお話。
 瓢湖に着くと、餌やりを見ようとやって来た人の車で駐車場は満車状態だったが、慣れた運転手さんは目敏く空を見つけて車を入れた。10時50分の到着は11時から始まる餌やりに合わせての移動だった。昼食会場の加島屋の12時に間に合わせるために、ここの出発は11時15分としてその間自由行動。新潟夫婦と運転手さんと綿密に打ち合わせたスケジュールだろう。
 瓢湖の湖畔まで歩いて行くと、餌やり場の周りには観光客が鈴なり、湖面にもこの時間を知っている白鳥やカモが群らがってきていてまさにラッシュ状態。
(瓢湖)

 11時5分前になると餌やりの人がパンの耳や未熟米の餌の入った箱と篭を持って現れ、餌やりの準備を始めた。餌播きを待ちかねたカモが何羽も台の上に上がってきて餌箱から餌を失敬し始めた。
 11時丁度になると遠くにいる白鳥も呼ぶように「ハーー」と大きな声を出しながら餌播きが始まった。水鳥たちは凄い勢いで餌に突進するように群がり、餌の奪い合い。見ているだけで楽しい見ものだった。
(餌やり)

(大混雑)

 瓢湖の水鳥観察が終わってから一路R49を引き返して、昼食会場の新潟街中の加島屋に向かった。12時丁度に店に着き、二階の長助食堂の前に行くと順番待ちの御客であふれていた。若い人も多く、なかなか評判のいい食堂のようだった。
 予約を取ってあったので予約席に案内され、早速海の幸五彩膳が用意された。五彩丼にはキングサーモン、いくら醤油漬け、ずわいがに、生うにの水たき、帆立貝柱の酒蒸しがのっていてまさに絶品、鮭の味噌汁もだしがよく出ていて美味しかった。
 色々な話を聞きながら美味しいどんぶりを頂き、もっと話を続けていたいが、外で待っている人達を考えるとそうもいかない。早々に切り上げて食堂を出て、階下の店でお土産の品定め。
(加島屋)
(食堂長助の海の幸五彩膳)

 ここでお開きの案もあったが、ピアBandaiの市場を案内していただくことにした。最近体調を崩しているという義兄とはここで分かれて、8人タクシー2台に分乗してピアBandaiに向かった。
 到着すると早速魚市場に入ってお土産探し、新鮮な日本海の海産物が購買意欲を駆り立てて買い物袋がどんどん膨らんで行った。
(ピアBandaiの市場)

 名酒の郷新潟に来たからには日本酒も絶対買いたいという奥さんもいて、酒市場にも足を運んだ。昨日大橋屋で飲んだお酒がここではお安い!にっこり顔になる。
 買い物を終えて満足し、タクシを拾うために駐車場方向に歩くと、目の前に朱鷺メッセの高い塔が聳えていた。これをバックにもう一度集合写真を撮ろうと皆さんを整列させていると、運悪く通りかかったご夫婦が呼び止められてシャッタ係を頼まれた。写真の上手な方だったようで、みんなの位置を指定したり、地面に這いつくばるようにしながらシャッタを押していただいた。お蔭様でいい記念写真が撮れました。
(酒屋も漁る)
(ときメッセをバックに)

 バスで自宅に帰るという長姉にお礼を言って分れ、またタクシに分乗してホテルに帰った。フロントに預けた荷物を受け取り、土産物で荷造りのやり直しをしてから駅まで歩き、新幹線の時間まで、また土産物店など見て歩いた。
 3兄弟は指定席をとっていたが、我が家だけ自由席、ここで分かれて早めにプラットフォームに入った。今度の電車もガラガラで2階の席に座ることができ、今度は外の景色を堪能しながら上野に向かった。湯沢辺りでは昨日よりも雪が数段積もっていて綺麗な冬景色になっており、東京に近付くと、夕焼けの空をバックに富士山がくっきりと見えていた。
(湯沢は雪国)
(夕日の富士山)

 上野駅でおりて東京に向け出発する指定席の車両を覗くと、手を振っている兄弟の姿があった。常磐線に乗り換えて1時間半、大甕駅で降りて食事をして無事我が家に帰ってきた。今回も楽しい兄弟会でした。




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