E31.横浜バス旅行

1.動 機
  スーパーの抽選でバス旅行の割引券が当たり、案内には「贅沢に! 横浜」とあり、久し振りの横浜を楽しみで参加することにした。その後私の体調が悪くなって付いて歩けるかどうか心配したが、当日は快晴で風も殆ど無い絶好の行楽日和、賑やかな同行者と一緒に明るいバスガイドさんに案内されて、@伊勢山皇大神宮、A中華街食べ放題オーダバイキング、B山下公園プチクルージング、C赤レンガ倉庫と楽しく歩き通すことができた。

2.データ
a)山域:横浜みなとみらい地区
b)登山日:2017/03/09(木)晴
c)コースタイム:森山7:30 = 7:40スーパ駐車場7:55 = 8:20日立南IC = 9:20守谷SA9:35 = 11:10みなとみらいIC(?) = 11:10@伊勢山皇大神宮散策11:30 = 11:45A中華街散策(昼食)14:00 ---- ---- 14:35山下公園桟橋 = Bシーパスクルーズ = 14:45桟橋---- C赤レンガ倉庫散策= 15:40赤レンガパークバス停 = 15:50みなとみらいIC = 17:30守谷SA17:50 = 18:50日立南IC = 19:10スーパ駐車場19:30 = 19:45森山
d)同行者:1号車乗客39名、和子
(横浜バス旅行観光ポイント)

3.山行記録
 我家としては早起きして朝食をすませて、車でスーパの駐車場に入ると、もう大型バスが待機していて乗っている人もいた。指定された席に落ち着く。あと数人の同行者がやってきて、ここが最終乗場なのでほぼ満車状態になり予定時間に発車した。案内してくれる添乗員は、ベテランさんと見習いさんの二人、見習いさんは少しぎこちないところはあったが、ベテランさんのバックアップを受けながら明るいやり取りで楽しいバス旅行を演出してくれた。乗ったのは1号車で、乗客総数は41名、もう一台ここには寄っていかない2号車があり、参加者総数80名超とのこと。
(ベテラン添乗員さん)
(見習いさん)
 バスは日立南ICから常磐道に乗り、快調に東京に向かう。久し振りに見る筑波山に挨拶したが、富士山は私の席からは死角になりシャッタを押すチャンスがなかった。
 守谷SAでトイレ休憩して首都高に入ると少し渋滞気味になってきた。不案内な首都高を添乗員さんの説明を聞きながら乗っていると分かったような気がしてくる。「遠くにゲートブリッジが見えていますが、恐竜が向かい合ったような形をしていることから「恐竜橋」とも呼ばれてい ます」と説明があったが、どこにあるのかよく見えなかったが、湾岸線に入って近くに来て見ると「向かい竜」の姿がよく判った。
(筑波山)
(東京ゲートブリッジ:恐竜橋)
 大井ICを過ぎたところで「新幹線の操車場です」と言われ、左手を見ると新幹線の車両が何台も並んでいた。新幹線の線路は大分離れているはずなので不思議に思って後でNETで調べたら、確かに日本に4ヶ所ある新幹線の車両基地の一つ大井車両基地だった。
 湾岸線を走っていると左にガントリークレーンが林立する横浜港が見えてきて、右には横浜のみなとみらい地区のビルが見えてきて、やがて本牧JCTで横羽線にVターンして市内に入ってみなとみらいIC(?) で高速を下りたところで横浜ランドマークタワーを真上に見上げた。
(大井新幹線車両基地)10:36
(ガントリークレーン林立の横浜港)10:53

@伊勢山皇大神宮
 下図は参拝中持ち歩いた伊勢山皇大神宮HPにあった境内図。
(伊勢山皇大神宮境内歩経路)
 横浜ランドマークタワーを過ぎていくつか角を曲がった大通りでバスを降りて、新米さんが伊勢山皇大神宮に案内すると言って青い旗を掲げて脇の坂を速足で登っていった。
 速足にヒーヒー言いながら付いて行くと「伊勢山皇大神宮」の社碑が立ち、上に赤い一の鳥居が見える石段下に着き、簡単な境内の説明があった。この石段を登った上にある皇大神宮にお参りして、バスを降りた坂に下に指定時間までに集合するよう指示されて、各自参拝に向かった。
(坂道登って)10:50
(神社入口、桜)
 石段は長く、一の鳥居の上に二の鳥居が見えていた。一の鳥居は銅製だが、二の鳥居は檜製とのこと。
 二の鳥居を潜ると右に大きな灯籠が立っており、正面に「照四海」の名板が付けられていた。四方を遠くまで照らす大きな灯籠だという意味だろうか。
(一の鳥居の上に二の鳥居)
(照四海の大灯籠と注連柱と本殿)
 正面の本殿への入口には2本の柱の間に太い注連縄が張られていた。この柱を注連柱(しめばしら)と呼び、鳥居の原形とのこと。
 本殿にお参りして、このまま引返しては時間が余りそうなので、持参の境内図を見て左に曲がると登ってきた石段に帰る別の石段がある様なので、左に少し歩いて振り返ると、本殿の屋根の千木と鰹木造りがよく判った。
(大きな横綱の奥に本殿)
(神明檜造の本殿、千木と鰹木)
 本殿の左には小さな大神神社盤座と、これよりも二回りも大きな杵築宮子之大神とが建っていた。
(大神神社盤座)
(杵築宮子之大神)
 子之大神の先で左に曲がって別の階段を下っていき、表忠碑等を見て登り石段の途中に出ると、横浜ランドマークタワーが意外と近くに見えていた。
 バスに戻ると全員乗車して我が家を待っていた。遅刻した訳ではなかったが、皆さんに謝りながら席に戻るとすぐに発車した。、

A中華街散策
(中華街歩行経路)
 バスは元町の交差点近くで停車、全員揃って新人さんの案内で中華街に向かった。
(元町でバス下車)
(中華街に向かう)
 一つ交差点を過ぎると中華街の入口、関帝廟前に着いて集合写真が撮られた。
(関帝廟)
(一号車集合写真)
 集合写真が終わって予約が取られるとすぐに中山路を歩き始め、中華街のメインストリート大通りに出合って左に曲り、大通りを歩いていった。
(中山路)
(中華街大通り)
 途中説明を受けながら真直ぐ歩いて善隣門に潜り、五叉路の突き当りの右の道に入ってせっせと歩いて中華食堂景徳鎮の店内に入った。
 今日は食べ放題オーダバイキングという事だが、混みあうので出てくるのに時間がかかるので早めにオーダするようにとのベテランさんのお奨めに従って、最初の5品がテーブルに並べられたらすぐに3品を追加注文した。年寄りは食べ放題と言われただけで食傷気味、注文した料理だけはやっと完食したが、名店なのに味はよく判らなかった。
(景徳鎮
(食べ放題の昼食)
 2時間の食べ放題という事だったが、とてもそんなに食べている気はしない。大通り突き当りの東門の朝暘門への集合時間を指定されて、それまで自由時間とのことだったので適当に切り上げて店を出て、善隣門に戻って大通りをそぞろ歩きした。
 店頭に可愛いパンダの模型が飾ってある横浜博覧館の中に入った。ここには2年前の冬「B122.中華街ドイツ村バスツアー」の時にゆっくり見たので2番煎じ、適当に回って外に出た。
(善隣門)
(とんだパンダ)
 中山路との交差点を通り過ぎてもそのまま直進、店の名前を思い出しながら歩いていくと三叉路に出た。振り返ると左側の大通りは人波でごった返していたが、右側は閑散とした通りで対照が凄かった。
(大通りを直進)
(Y字路を振り返る)
 三叉路の向かいを少し左に曲がると正面に朝暘門が見えていた。
 朝暘門を通った先の大通りを渡ったところの集合場所に着くと、向かいにシーバスクルーズの大きな案内板が立っていた。
(朝暘門:東門)
(シーバス案内盤)
B-1山下公園
 集合時間にはまだ10分以上時間がありまだ誰も集まっていなかったが、私はここで休んでいるので、一人で山下公園を少し散歩してくるよう和子に薦めた。
 和子の撮ってきた写真を見ると、話好きだけあって綺麗な花の写真が多かった。
(お花畑)
 港まで行ったらしく、氷川丸を間近で見た写真や、マリンタワーを見上げた写真などもあった。
(氷川丸)
(横浜マリンタワー)
 和子が帰ってきて間もなく新人さんがやってきて、他の参加者も集まってプチクルーズのシーバス乗り場に向かった。山下公園に入ると正面に「水の守護神像」の像の周り囲む噴水が美しいお花畑があり、その先に氷川丸の船体が見えていた。
(水の守護神)
(守護神の向こうに氷川丸)
 その先に「かもめの水兵さん」の歌碑があり、その先で氷川丸の大きな船体を見上げながら歩くと、すぐにシーバスなど観光船の切符売り場だった。
(かもめの水兵さん歌碑と氷川丸)
(シーバス乗場)
B-2プチクルーズ
 乗船券を受け取って桟橋に入ると、間もなく赤レンガ倉庫方向からやってきたシーバスが入港してきて、下りる乗客と入れ替えに乗り込んだ。座席は自由席なので、街側が見えた方が面白そうなので左側の席に陣取った。
(乗船口案内)
(シーバス入港)
 出港して振り返ると氷川丸の長い船体や、中華街あたりの高いビル群が見えていた。
 更に沖に出て左旋回して西に向かうと、ランドマークタワーなどみなとみらい21地区のビル群が見えてきた。
(乗場を振り返る)
(みなとみらい21)
 西に進んで大桟橋埠頭に近付くと、埠頭の先端近くの上は草地の丘になっていて、多くの人が何かプレーしながら遊んでいるのが見えた。
 シーバスは大桟橋埠頭を回り込んで対岸の赤レンガ倉庫の桟橋に接岸した。15分のプチクルーズでした。
(大桟橋埠頭)
(赤レンガ桟橋に到着)
C赤レンガ倉庫
 桟橋から赤レンガ倉庫は見えていたが、新人さんの案内で少し海沿いに歩いていって、真向いから赤レンガ倉庫に向かった。
(海沿いを歩いて)
(赤レンガ倉庫へ)
 二つの倉庫の間まで来て後は指定時間まで自由行動。赤レンガ倉庫は外から見たことはある様な気はするが、中に入って見るのは初めて、文化施設の一号館の入口にはその歴史を書いた説明板があった。
    【横浜赤レンガ倉庫の歩み】
     横浜赤レンガ倉庫の歴史は、保税倉庫(横浜税関新港埠頭1号倉庫、2号倉庫)として明治政府によって創建されたことから始まります。当時としては最新鋭の荷役エレベーターや消火水栓などを備えた國の模範倉庫であり、横浜港の物流の中心拠点として活躍、横浜の都市発展において重要な役割を果たしてきました。その歩んできた時間の中には、関東大震災や第二次世界大戦・横浜空襲、そして戦後のGHQによる接収など困難もありましたが、赤レンガ倉庫はどの時代にも横浜港のシンボルとして市民の記憶に刻まれてきました。
     第二次世界大戦後しばらくすると、貨物のコンテナ化が進み、他に高機能で大型のふ頭の整備が進む中、新港ふ頭そして赤レンガ倉庫の貨物取扱量も減少し、1989(平成元)年、ついに倉庫としての用途を廃止することになりました。
     横浜市は「ハマの赤レンガ」として横浜市民に親しまれてきたこの赤レンガ倉庫を歴史的資産として継承していくために国から取得し、補強・改修工事を行いました。そして2002(平成14)年4月12日、「港の賑わいと文化を創造する空間」をコンセプトとする施設として生まれ変わった赤レンガ倉庫は、横浜を代表とする人気スポットとして皆さんに愛され、また常に新しい文化を発進する場として注目を集めています。
 商業施設の2号館にはレストラン、店舗など沢山あり、2階からバルコニーに出ることができて、「幸せの鐘」と名付けられた鐘が二つ並んでいた。二人で鳴らそうよと和子を誘ったが、今は幸せではないのかすげなく断られ、一人淋しく鐘を鳴らしたのでした。
(赤レンガ倉庫へ)
(幸せの鐘)
 「幸せの鐘」のところからは大桟橋埠頭から新港まで見渡せ、その間には横浜沿岸の工場群が広がっていた。
(幸せの鐘からの展望:横浜新港、横浜港工場群、大埠頭、横浜ベイブリッジ)
帰途
 時間になったので下の広場に出ると、新人さんがみんなを集めバス乗場まで案内してくれ、やってきたバスに乗って帰途についた。
 途中、遊園地コスモワールドの日本最大の観覧車コスモクロック21を見て、みなとみらいICから首都高速横羽線に乗り、大師橋で多摩川を渡って羽田線、湾岸線と走って、葛西JCTで荒川沿いの中央環状線に入った。
(大観覧車:コスモクロック21)15:51
(首都高横羽線多摩川を渡る大師橋)16:25
(京浜運河 羽田線から湾岸線へ)16:34
(荒川 葛西JCT手前)16:53
 荒川沿いからはスカイツリーが見え、常磐線に入ってからは暗くなったが筑波山には何とか「ただいま」の挨拶をすることができた。
(荒川沿い スカイツリー)16:55
(筑波山)
 最近運転手さんの労働時間が12時間と制限されてきた日帰りバスツアーだったが、私の体調には丁度いい旅だった。新人ガイドさん、楽しい旅を有難う。


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