X13.筑波山(羽鳥道からm5ルートへ)

1.動 機
水戸アルパインの1月例会は筑波山で、裏筑波の羽鳥道を登り、西境界尾根のm5ルートを下るという案内だった。羽鳥道は古の修験者らの山岳修業の場だった道で、江戸時代には庶民の神社参詣の道になったといわれ、今も石碑や野仏などたくさんの史跡が残っている興味深い道だという。m5ルートは我が家が4年前に登った道だが、余りの険しさに下りはこれを敬遠して別ルートで下った厳しい道である。面白いコース設定のお陰で参加者が多く、今回は久しぶりに23名の大部隊になって賑やかに楽しく歩く事が出来た。

2.データ
a)山域:筑波男体山(871m)
b)登山日:2010/01/17(日)晴
c)コースタイム:日立自宅 6:45 = 6:55 日立電鉄南営業所 7:00 = 7:10 東海駅 7:15 = 7:35 勝田駅 = 7:50 水戸駅 = 8:05 水戸IC = 8:30 笠間PA 8:35 = 8:40 笠間西IC = 9:15 桃山中学校前 9:25 ---- 9:50 上の榎木不動 ---- 10:15 小滝不動 ---- 10:20 石の鳥居 10:30 ---- 11:10 登山口 ---- 11:15 大滝不動 ---- 11:55 薬王院分岐 ---- 12:15 御幸ヶ原 12:20 ---- 12:30 男体神社(昼食) 13:10 ---- 13:30 自然研究路 ---- 14:15 分岐 ---- 14:30 みかん園 14:45 ---- 15:15 つくし湖 15:25 = 16:40 水戸ドライブイン = 17:10 水戸駅 = 17:25 勝田駅 = 17:50 東海駅 = 18:00 日立電鉄南営業所 18:05 = 18:30 日立自宅
d)同行者:水戸アルパイン会員21名(男9、女12)、和子
e)地形図:1/25000 「筑波山」
(筑波山歩行ルート:桜川市ハイキングマップより)


3.山行記録
日立電鉄営業所を定刻に出発したバスは、東海、勝田、水戸と仲間を集めてから水戸ICから高速に乗った。笠間PAでトイレ休憩をして笠間西ICで一般道に降り、左に雨引き山や加波山を見ながら県道41を南下して、外観が豪華で目立つ桃山中学校の入口に止まった。
学校向かいの歩道が広くなっていて、ここでラジオ体操とストレッチの準備運動をして歩き始めた。5km先に筑波山が見えていた。ここの標高は40mだから、筑波山は低いとは言っても山頂まで800m以上の登りである。
(桃山中学校)
(広い歩道で準備運動)

学校前を少し進んだところの畑地を横切ったところに、羽鳥道のスータート地点の道標があった。江戸時代中期の道標らしく判りにくい文字だが、パンフによれば「左つくば山上さんけいみち、右しいのおつくばみち」と読むらしい。民家の間の狭い道を進むと車道に出て、向かいに2個目の道標があった。こちらは大正時代のもので「筑波山登山道」とわかりやすい。
その先に、菅原道真の遺骨を埋葬したという古墳があったらしいが、見落としてしまった。
筑波山を目の前に見ながら田舎の車道を歩いていき、県道41の下を潜ったところで「富士山だ!」と歓声が聞こえた。今日は素晴らしい快晴で、右の家並みの上にうっすらと富士山が見えていた。例年1月には富士山を眺める登山が計画されていたのだが、候補地が少なくなってきて、今年は茨城の山に変更された。にもかかわらず茨城の地で富士山が拝めたのは極めてラッキーなことで、皆で喜び合いながらシャッタを押した。通りかかった近所の人に「いつも富士山が見られていいですね」と話しかけると「いつもの事で、なんという事ないがね」と笑っていた。
さらに、その少し先で後ろを振り返ると、男体山など日光の山々も白く見えていた。雪山が見えるとどうしてこんなに嬉しくなるのだろうか。
(江戸時代の道標)
(富士山も見えました)

その先の羽鳥会館の奥に、木肌が瘤だらけの榎の大木があった。この瘤は人の悪を吸い取っているうちに出来たもので、この木を「上の榎木不動」といって、木肌に触ってお願いすると悪いところを吸い取ってくれるのだという。周りにはお陰を受けた人が立てたものだろうか、石碑がいっぱい立っていた。私の「悪」は普通よりも強烈だから榎が枯れてしまうかもしれないと心配して、無理なお願いをするのは止めにした。
このあとにも車道沿いに楓不動、薬師堂、石碑群、小滝不動、八坂神社と遺跡が続き、車道から離れて山道に入ったところに330年前の建立だという大きな石の鳥居があり、その前の広場で一休みした。
(榎木不動)
(石碑群)

この後の羽鳥道は車道を串刺しにするように登っており、次の車道に飛び出したところに「男の川分水神の碑」という立派な石碑が立っていた。昭和48年に沢の水が絶え間なく流れて公平に分布される事を願って立てられたというが、大きな石で造られた立派なものだった。石の名産地だけの事はある。
男の川沿いを登っていくと車道に多くの車が停まっていた。ここが裏筑波の一つの登山口になっている。少し登ると岩の上に大滝不動さんが立っており社に守られていた。ここら辺りから岩っぽい道になり、傾斜も急になってきた。数日前の雪も残っており、ところどころ凍ったところもあって、一歩一歩慎重に登っていった。
(男の川分水神の碑)
(凍った登山道)

登る途中に白い花のようなものががキラキラと輝いており、何だろうかと近づいてみると、花を散らした後に残ったコウヤボウキの種に似た果穂だった。23日の日立アルプス縦走で同行した花博士のやまそだちさんに”ボタンヅルの果穂”だと教わった。。
薬王院の分岐を過ぎると道はなだらかになり、すぐに自然研究路に合流して、薄い雪を踏みながら御幸ヶ原に出た。御幸ヶ原には大勢の観光客やハイカーが周りの景色を楽しんでいた。加波山の山並みが間近に広がっていた。
(雪のようなボタンヅル)
(御幸ヶ原)

御幸ヶ原のトイレを使ってから男体山の山頂までもう一登りした。下ってくる観光客も多く、下り優先でおばあさんたちをやり過ごしながら、凍った道を登っていった。
山頂の神社前に陣取って弁当を広げたが、山頂は狭く、数人は手前の展望台のベンチまで引き返して昼食を取った。
(凍結注意!)
(男体神社)

神社前で集合写真を取ってから神社裏の下山道から下りにかかった。自然研究路のコンクリートの道は雪が凍りついていて気持悪く、ロープにしがみつきながら下った。
自然研究路の次が、いよいよm5ルートの下りである。岩を跨いだりすり抜けたり、急坂を慎重に下る。難所だ難所だと言っても皆と一緒に歩けば、大して心配する事もなく歩けるから不思議だ。
(自然研究路)
(m5の急坂下り)

急坂をこなして、4年前に右から登ってきた踏跡を合わせると、傾斜は緩くなり歩きやすいハイキング道になる。気持よく歩いていって車道に飛び出したところがみかん園の道だ。これで今日の山歩きは一応終わったので一休みした。
(m5も下半分はなだらか)
(みかん園の道に出た)

後はつくし湖まで車道を歩いて下るだけ、途中、黄色いみかんと筑波山の組み合わせが良く、河原には水の飛沫が凍りついた氷の芸術もあり、立ち止まってはシャッタを押した。
(みかん畑の上に筑波山が)
(氷の芸術)

ロウバイもお日さまを受けて輝いており、そよ風に乗って快い香りを漂わせていた。
バスの待つつくし湖まで歩くと、湖面いっぱいに水鳥が泳いでいた。途中のコンビニでビールを買って喉を潤して、気持よくバスに揺られながら帰ってきた。帰りは高速に乗らず、水戸までR50を走った。
(ロウバイ)
(水鳥いっぱいのつくし湖)



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