Z45.大峰奥駈PARTT

1.動 機
昨年度の水戸アルパインクラブの計画に大峯奥駆道を吉野から熊野まで歩き通す案が持ち上がった。全コース75kmを3回に分けて歩くこととし、第1回目は奥千本から行者還トンネルまでで、吉野千本桜の季節に合わせて昨年の4月中旬に予定されていたが、東日本大震災の影響で交通手段が遮断されてお流れになり、今年度改めて計画された。参加者は男性6名、女性8名で、途中の山上ヶ岳が女人禁制の山で、五番関から大普賢岳の間は別行動になる。桜の季節は吉野の山々にはまだ残雪が多く、男女とも雪渓を踏みながらの縦走になったが、一人の落伍者もなく無事歩き通すことができた。

2.データ
a)山域:四寸岩山(1236m),大天井ヶ岳(1439m),山上ヶ岳(1719m),大普賢岳(1780m)、七曜岳(1584m)
b)登山日:2012/4/14(土)〜17(火)(前夜発)
c)コースタイム:
4月13日(金):日立電鉄南営業所 21:55 = 23:05 水戸駅 = 0:40 水戸IC = 常磐道 = 首都高 = 東名道 = 西名阪道 = 9:25 郡山IC 9:40 = 11:30 如意輪寺PA
4月14日(土):如意輪寺PA 12:10 =(路線バス)= 奥千本 13:00 ---- 吉野山散策 ---- 16:25 太鼓判(泊)
4月15日(日):太鼓判 5:05 = 金峰神社 5:20 ---- 四寸岩山 ---- 大天井ヶ岳 ---- 11:45 五番関
{男性}五番関12:05----山上ヶ岳----13:35小笹宿(泊)
{女性}五番関12:05----12:20五番関トンネル13:00=(タクシ)=16:00和佐又ヒュッテ(泊)
4月16日(月):(男性)小笹宿6:00----8:00和佐又分岐、(女性)和佐又ヒュッテ5:15----8:15和佐又分岐(男女合流)8:50----大普賢岳----七曜岳----行者還トンネル----16:15大川口=(タクシ)=天川川合17:00=(バス)=19:30高野山龍泉院(泊)
4月17日(火):龍泉院7:35=高野山ガイド付き見学10:10=郡山IC=西名阪=第二東名道=首都高=常磐道=22:30水戸IC=水戸駅=23:40日立電鉄南営業所
(大峯奥駆縦走コース)

(大峯奥駆縦走コースの標高差)


d)同行者:水戸アルパインクラブ会員12名(男性5、女性7)、和子
e)地形図:「吉野山」「洞川」「弥山」

3.山行記録
1)アクセス:4/13(金)
日立自宅 21:45 = 21:55 日立電鉄南営業所 22:00 = 22:10 東海 = 20:30 勝田駅 20:40 = 23:05 水戸駅 = 0:40 水戸IC = 1:35 守谷SA 1:55 = 2:55 海老名SA 3:05 = 4:30 日本坂PA 4:40 = 6:20 美合PA 6:30 = 7:30 御在所SA 8:00 = 9:25 天理PA 9:40 = 9:40 郡山IC = 11:30 如意輪寺PA 12:10 =(路線バス)= 12:25 上千本BS 12:40 =(路線バス)= 12:55 奥千本口BS

 今回は夜行バス、夕食、入浴を済ませて日立電鉄南営業所に向かい、定刻にバスが発車して、東海、勝田、水戸駅と順調に仲間が乗ってきたが、その先で手違いがあってバスが周回することになり高速に乗るのは1時間ばかり遅くなったが、翌日の行動予定はゆとり十分、大型バスでゆっくりと眠りながら深夜に首都高を通過して名古屋近くなって夜明けを迎え、朝食を取って西名阪を郡山ICで10時前に降りて、吉野に向かって一般道を走る。吉野に着いてロープウエー乗り場に来ると長蛇の列ができている。今日は5万人の人出だとの情報が流れており、少し先の如意輪寺の駐車場に11時半に到着した。ここで着替えなどの荷物をホテルの車に預けて、路線バスに乗って奥千本まで上がって、下千本まで吉野の桜を楽しみながら歩いて下って来る予定になった。余談だが、ここの大型バスの駐車料金が一泊3万円!、びっくりしたあ! 
 ホテルの車が来る間団体客が歩いている近くの道に出てみたが、この辺りのサクラが今丁度満開で見頃のようだった。荷物を預けて上千本までのバスに乗ったが、途中の狭いトンネルが一方通行、待ち時間が長くて歩いた方が早かったかな。
 上千本に着いて、次の奥千本までは4台のマイクロバスがピストン運転を繰り返しており、バス乗場は坂道を登って行った上にあった。このバス停まで登る坂道のサクラも綺麗だった。バス停につくとバスの整理員が、「奥千本はまだ咲いていないよ、寄道しないで早く降りておいで」と大声で言っていた。
(如意輪寺付近のサクラ)
(上千本バス停への移動)

2)1日目(4月14日)(晴):吉野散策
奥千本口BS 13:00 ---- 13:20 吉野水分神社 13:30 ---- 15:00 金峯山神社 15:45 ---- 16:25 太鼓判(泊)

 もやを通してぼんやりとしたサクラや吉野の展望を楽しみながらバスに揺られている間に奥千本に着いた。奥千本のサクラはまだだと言う案内者の薦めでパス、ここから鳥居を潜って登れば金峯神社にお参り出来るが、結構な登りになるとのことで、お参りは明日の楽しみにしてこれもパス、上千本への下り道についた。
 小雨模様で傘をさしながら歩く道の脇には苔むした慰霊碑や石像などがたくさん並んでいて、神々しい雰囲気を醸しだしていた。杉木立ちも綺麗に手入れしてあって気持がいい。
(奥千本口)
(奥千本コース)

 20分も歩くと吉野水分神社の鳥居のところについた。楼門をくぐると中庭になり、正面に幣殿、右手石垣の上に三棟連結された立派な本殿があって、左手の拝殿には多くの観光客が座り込んで休んでいた。
 水分神社から少し下ると左手に「義経千本桜」で有名だと言う花矢倉という展望台があったので覗いていたが、もやで真っ白の世界で何も見えなかった。
 急坂を下っていくと空模様もよくなってきて、周りのサクラが段々と綺麗に見えるようになり、吉野の千本桜らしくなってきた。特にサクラ越しの蔵王堂が印象的だった。
(吉野水分神社)
(サクラ越しの蔵王堂)

 蔵王堂を眺めながら下ったサクラの広場にテーブルやベンチがあったので一休みしたが、その広場から出る時「老人憩いの広場・長居すると老人が休めません」という看板が立っているのに気が付いた。我々もみんな老人の仲間だからまあいいか。
 上千本バス停近くの茶屋で一休みして吉野葛を注文した。誰かが「クロミツがかかってないよ」とクレームをつけたら「吉野の100%葛だからミツなしで味わって下さい」とやり返された。確かに美味しい葛だった。
(老人憩いの広場:和子撮影)
(吉野の葛餅)

中千本展望台からの千本サクラは丁度見頃のようだった。お日様が当たってくれればもっと見事に見えるのだろうが、まあ、ぼんやり見える薄墨サクラも悪くない。
(中千本の展望)

 今日は五万人の人出、土産物街は人混みを掻き分けて進むようだった。差し出される漬物や煎餅の試食はちゃっかり頂きながら下って行った。
 土産物街を下るとしだれ桜のある多宝塔があり、その下に金峯山寺蔵王堂の石柱があって、石段の上の境内には大勢の人が集まっていた。金峯山寺は蔵王堂・仁王門を中心にして天台・真言両宗の修験道寺院であり、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録されたという。境内から蔵王堂の威容を拝んで仁王門から外に出た。
(お土産店街)
(金峯山寺蔵王堂)

 仁王門の外には真っ青な顔をした釈迦如来・千手観音・弥勒菩薩の三尊の大写真が飾ってあり、只今「大権現特別御開帳中」との注記があった。お札集めに熱心な小澤さんは参内して御三尊に拝顔したと言うし、二度とお目にかかれないことなので、みんな揃って蔵王堂に引き返して参内してお参りした間近に拝む三尊様は随分怖い顔に見えた。 
(仁王門)
(多宝塔としだれサクラ)

 天気はだんだんと良くなってきて、お日様も出て来た。蔵王堂から引き返す途中の中千本のサクラはお日様を受けて一段と綺麗に見えていた。
(千本桜に陽が当たる)

 宿について大浴場で汗を流し、豪華な食事で明日からの奥駆縦走に備えて元気を付けた。
(太鼓判・花夢花夢)
(明日から頑張ろう)


3)2日目(4月15日)(晴):奥千本−大天井ヶ岳−五番関−山上ヶ岳−小笹の宿
太鼓判 5:05 =(タクシ)= 5:20 金峯神社 ---- 5:25 義経隠塔 5:30 ---- 5:45 女人結界 ---- 6:15 モノレール小屋 ---- 7:35 四寸岩山 7:50 ---- 8:05 足摺の宿 ---- 9:00 百丁茶屋跡 9:20 ---- 10:40 大天井ヶ岳 11:05 ---- 11:45 五番関(女性隊と別れ) 12:05 ---- 13:35 鍋冠行者堂 ---- 13:05 今宿跡 ---- 13:55 辻洞茶屋 14:05 ---- 14:25 わらじ原 ---- 14:45 お亀石 ---- 15:00 西の覗 15:05 ---- 15:25 大峯山寺 15:35 ---- 15:40 山上ヶ岳 15:45 ---- 16:35 小笹の宿(泊)
(奥駆イラストマップ)

 今日の歩程は、男女一緒に歩く五番関まででも10kmあり四寸岩山と大天井ヶ岳の二つの山を越えて6時間、男性は更にその先7km、4時間のきついコースである。日の出前に用意された朝食をいただいて、5時にタクシを呼んで奥千本の金峯神社まで送ってもらった。運転手さんは吉野から熊野にかけての事情に詳しくて、色々な情報を頂戴した。
 傍にある源義経隠塔にお参りし、これからの奥駆道の無事を祈ってから歩き始めた。
(金峯神社)
(源義経隠塔)

 奥駆道は右の階段道から始まり、ゆるやかに登って行く。
 宝塔院跡や報恩大師修業の霊跡の石柱を過ぎ、歩き始めて15分の青根ヶ峰分岐のところには「従是女人結界」の石柱と小さな石仏があった。以前は女性はこの青根ヶ峰までしか入れなかったのだろう。
(スタート)
(従是女人結界碑)

 青根ヶ峰には登らず巻道を辿る。右手にたおやかな山並みと綺麗な雲海が広がって気持のいい展望だった。
 青根ヶ峰からの道を合わせるとすぐに舗装された林道に出た。尾根上の林道からは雲海の上に大台ケ原山の尖った山が見えていた。気持よく歩いて行ったが、やがて目の前に四寸岩山が行く手に立ちはだかり、その先の道標に誘われて四寸岩山への山道へ入った。
(青根ヶ峰巻道)
(舗装道の先に四寸岩山)

 四寸岩山への入口には資材運搬用モノレールの運転小屋があり、登山道脇にずっとこのレールが伸びており、「資材と一緒に運び上げて欲しいな」と言いながら汗をかきかき急登を登って行った。
 山頂には山名標と2等三角点があった。三角点標石の上には「1235.62m、心見の峠」という魅力的な名前が書いてあった。この最初の山頂で集合写真を撮った。
(四寸岩山へ急登の始まり)
(四寸岩山)

 四寸岩山の山頂からの展望は広くて気持がいい。山上ヶ岳を教えて貰うと、まだまだ気が遠くなるほど遠い。
(四寸岩山からの展望・山上ヶ岳はまだ遠い)

 四寸岩山からはいくつものコブを越えながら下って行く。最初のコブを越えたところに足摺宿の小屋があり、中を覗いてみると木像など祀った立派な祭壇が置いてあった。
 最低鞍部から少し登り返したところにも小屋があり、百丁茶屋と二蔵宿の表示があり、中には薪ストーブがあり壁掛け時計もある立派な小屋だった。小屋の前で一休み。
(足摺宿)
(百丁茶屋=二蔵宿)

 百丁茶屋から急登になり、山頂に近くの大天井茶屋跡の祠を過ぎるとモノレールのレールに掴まったり、固定ロープに助けられながら登って行った。
 大天井ヶ岳は標高1438.9m、女性隊にとっては今日の最高地点、笑顔で集合写真を撮った。
(急登)
(大天井ヶ岳:小澤さん撮影)

 山上ヶ岳を目の前にしながらどんどんと下った。大天井ヶ岳から五番関まで標高差300mを下った。この分、山上ヶ岳への登りが増えて500mになった。
(山上ヶ岳を目の前に)
(どんどん下る)

 五番関には今の女人結界門があり、山上ヶ岳に登れない女性陣とはここで一晩のお別れだ。昼食を食べてから、男性は○、女性は×の格好をして集合写真を撮った。
 女性陣はここから五番関トンネルまで下るだけで、後は和佐又ヒュッテまでタクシで運んでもらう。今夜は風呂にも入って食事も賄い付きなので、ザックは日帰り登山の装備だ。男性陣はここから山上ヶ岳に登ってから、その先の小笹の宿に泊る。小笹の宿は避難小屋なので、寝袋や食材を担いで歩くのでなかなかきつい。これを助けて貰うように、ここまで女性陣に一人ペットボトル1本ずつの水を運んでもらってきた。2本ずつの水を貰い、女性陣の励ましの声に送られて急登を登って行った。会長の久保さんが山上ヶ岳登頂を諦めて女性陣のエスコート役に回っていただいたので、5人での出発である。
(五番関でしばしの別れ:下山さん撮影)
(見送られて)

 急登を30分登ったところに「鍋冠行者堂」の由緒説明板とがあり傍に大きな鍋がぶら下げてある小さな祠があった。ここから比較的緩やかなブナ林の快適な道を進んでいったが、今宿跡を過ぎるとまた急な登りになり、岩場にはロープも張ってあった。
 登り切ると目の前に山上ヶ岳らしき山が見え、気持のいい尾根を歩いて行くと白煙をたなびかせる洞辻茶屋が見えて来た。入口の円満不動明王にお参りして小屋の中に入ると、今日小屋の点検に上がってきたという人がいた。小屋の中で休憩していると、山頂方向から法螺貝を持った修験者が二人早足で通過して行ったが、時刻はもう14時、洞川温泉に下るのかなあ。
(尾根の向こうにまた登り)
(辻洞茶屋)

 洞辻茶屋を出て10分も歩いて別の小屋「羅尼助茶屋」の中を通過して行くと、分岐点に手書きの案内板があった。本来なら右の行場道に進んで「油こぼし」の鎖場を登るべきところだろうが、ここまででも随分体力を消耗しており、小笹の宿に先客がいたらテントの設営も必要かもしれないので急ぐ必要もあり、左の平成新道に進むことになった。
 しかし、この平成新道は整備された道ではあったが、木の階段がどこまでも連続し、目の前に山上ヶ岳の岩壁を見ながら、喘ぎ喘ぎ登ることになった。途中、わらじ原でも行場道へ入る分岐があったが、そのまま階段道を頑張った。
(案内板)
(新道の長い階段道)

 平成新道を登り切って行場道との合流点に「お亀石 」があり、その上の「等覚門」を潜ると、いよいよ修業場の雰囲気になってきた。道の両側に「百五十回登拝記念」などと彫り込んだ苔むした奉納石柱が立ち並んでいる。修験者の心掛けは、一回登っただけで顎を出している私とは性根が違うようだ。
(等覚門を過ぎると石碑の列)

 「西の覗き」への分岐は一旦はパスしたが、山頂へ向かうところにも「西の覗き」への登り口があり、ここにザックをデポして立ち寄ってみた。
 「ロ−プは持っているからやる気なら覗きの行ができるよ」とリーダのお言葉だったが、「懺悔しなければならないようなことはしていません」といってお断りし、備え付けの鎖を掴んでそっと覗いてみるだけにした。
 真下を覗かなくても、周りの山々の展望は絶景だった。
(西の覗き)

西の覗きから引き返して道なりに歩くと、参道に残雪が見られるようになり、宿坊龍泉寺入口は雪で閉ざされていた。その先で宿坊への分岐を左に分けると、参道脇におびただしい参拝記念の木柱が立ち並んでいた。妙覚門を潜るとやっと大峯山寺の本殿が見えて来た。
 本殿前で記念の集合写真を撮って、「お花畑・日本岩」の道標を見て雪の積もる山へと登って行った。笹原の山頂部に「大峯山上ヶ岳頂上・お花畑・海抜1719m」の標柱が立っていて、ここでも集合写真。別に、1719.2mの山名板もあったので、稲村ヶ岳をバックにした記念写真も撮った。
(大峯山寺山門)
(山上ヶ岳山頂)

 次の小笹の宿に向かうのに本殿まで引き返すのを省略して、近道すべく笹原の中を適当に方向を定めて下って行ったが、道なきところで多少右往左往はしたが、表「大峯迄四丁目」裏「柏木迄百十二丁目」の石柱のところで無事奥駆道本来の道に出ることができた。
 道はよく整備されていたが、雪の残ったところでは行く手が定かでなくなる所もあった。それでもリーダの的確な判断で間違えることなく歩いて行った。
(残雪多し)

 阿古滝の分岐を過ぎて立木の向こうに小さな小笹の宿が見えた時には心底ホッとした。時刻は16時35分、歩き始めて11時間、五番関で女性陣と別れてからも4時間半、今日は長い長い歩きでした。近くには大岩の袂に不動様や赤い社、厳めしい雷神さまや歌碑など信仰の印が数多い。テン場らしい広場があったが、中に入るとズブズブ、夏になって少し乾燥しないと使いものになりそうにない。
 幸い小屋に先客はおらず、我々5人の貸切。テント設営の手間もいらなくなり、小屋も小さいとはいえ5人なら悠々と寝られます。ゆっくりと寝床を作り、沢の水を汲んできて(女性陣に運んでもらった水は明日の行動用に残しておいた)お湯を沸かしてもらってアルファー米の夕食、お元気な森さんや小澤さんがアルコールを担ぎあげていたので、有難く御相伴にあずかりました。お酒を飲んでも女性陣がいないと静かな夜でした。
 天窓が空いていて、夜明け前には室温2℃、少々寒い感じがしました。
(小笹の宿の可愛い小屋)
(室内)


4)3日目(4月16日)(晴):大普賢岳−行者還トンネル−大川口
{男性}小笹の宿 6:00 ---- 6:40 女人結界門 ---- 7:50 小普賢岳 ---- 8:00 和佐又分岐
{女性}和佐又ヒュッテ 5:15 ---- 5:35 分岐 5:40 ---- 6:30 笙の窟 ---- 6:50 日本岳 ---- 7:35 小普賢 ---- 8:35 和佐又分岐(男女合流) 8:50 ---- 9:00 大普賢岳 9:10 ---- 9:20 水太覗 ---- 10:05 薩摩転 10:15 ---- 10:20 稚児泊 ---- 10:40 七つ池 10:45 ---- 11:05 七曜岳 11:25 ---- 12:20 行者還岳分岐 ---- 12:45 行者還小屋 13:05 ---- 13:20 天川辻 ---- 14:00 分岐 14:30 ---- 15:05 行者還トンネル西口 15:10 ---- 16:15 大川口 16:25 ---- 17:00 天川川合 ---- 19:30 高野山龍泉院(泊)

 4時半起床、ゆっくりと朝食をいただいて、6時出発。和佐又ヒュッテから600mも登って来る女性陣のコースは雪が残っていると難儀する所もある。できれば分岐点から出迎えに少し下ってみることも考えての早めの出発である。
 小屋付近の登山道にも残雪があり、体重100k、ザック20kのリーダは度々踏みぬいて苦労している。私は50k軽いので殆んど踏みぬくことはない。
 竜ヶ岳の巻道に登ってからは緩やかな下り道、歩き始めて40分で木の鳥居が見えて来た。こちら側の女人結界門である。1300年続く信仰伝承への理解を求める「登山者へのお願い」の説明板が立ててあった。
(踏みぬき)
(女人結界門を出る)

 結界門の出口から左に柏木への分岐を見送り大普賢岳方向に向かう。この辺りからシャクナゲの木が多くなり、季節には華やかになりそうだった。そう言えば、山上ヶ岳の山頂部の笹原には「シャクナゲの森にしよう」と言う意味の立札が立っていたっけ。
 最低鞍部まで下ってから登り返す。このあたり、道がはっきりしないところが度々出て来たが、的確に進路を選んで進んでいった。大普賢岳への登り途中の小ピークの小普賢岳を下るとすぐに和佐又分岐の標識があった。
(シャクナゲの道)
(岩場を頑張る)

 分岐点に着いて和佐又方向に少し下ってみたら、急斜面の雪渓を横断するようになった。アイゼンを付けないと危なそうなので、我々は分岐点で待つことにした。リーダと森さんとは女子陣を迎えに下って行った。
 冷たい風を避けながらお八つを食べながら待つこと30分、みんな笑顔で登ってきた。昨夜も今朝も美味しい食事を頂いて5時15分に登り始めたとのこと。久保会長のエスコートによるところ大だが、水戸アルパインの女性たちは私よりも健脚なのだ、心配することはなかった。
(笙の窟;会長撮影)
(アイゼン付けて:和子撮影)

 全員揃ってしばらく談笑しながら休憩してから大普賢岳へと登り始めた。また賑やかな山歩きになってきた。
 10分程で山頂に登り着き、今回の最高峰で賑やかに嬉しい集合写真を撮った。
(一登り)
(大普賢岳山頂)

 今晩の宿の高野山の宿坊は門限17時を過ぎると門を閉めてしまうとのこと。ゆっくりしていたい大普賢岳山頂だが早々に下山にかかる。なかなかの急坂でしかも岩っぽいところも多い。元気な女性陣の後ろを懸命に追いかけるいつものパターンになってきた。
 下る途中に「水太覗」という展望台らしきところがあったので一人覗きに行ってみたが、今日も真っ白な霧の世界だった。
(大普賢岳からの下り)
(水太覗)

 笹の道を歩いて国見岳も巻いて歩いて行くと、急峻な斜面の岩場を下ったりトラバースする「薩摩転げ」という恐ろしげな名前が付いた難所がありました。大キレットや八峰キレットをこなして来た面々なのでこんなところが大好き、問題なく通過します。
(薩摩転げ)

 やがて稚児平に着き、少し登ると苔むした岩が重なる「もののけ姫の森」の様な雰囲気のところに出た。女性陣は盛んにシャッタを押していた。
(稚児泊りから)
(苔の森)

 次は「七つ池」の道標があるところに出た。トップは直進して行ったが道が消えて苦労しているようだ。右下の七つ池へ下る梯子があり、これを下ると向かいに踏跡が伸びていて、その先でトップと合流した。その先で急な登りがあって、最後梯子登りと鎖場が続いて、板橋を渡ってやっと七曜岳の狭い山頂に到着した。
七つ池へ下って登り返し)

 狭い山頂に各自何とか陣取って昼食休憩、「高野山宿坊の門限に間に合わせるには行者還岳に登る時間はないので、ここが最後の山だよ」と言いながらリーダが、各自そのままの場所での集合写真を撮ってくれた。
 早々に昼食を済ませて七曜岳を下り、大阪工大の慰霊碑「みなきケルン」を通過して、行者還岳は巻道に入り梯子を下って12時45分に行者還小屋に到着した。
(狭い七曜岳山頂:リーダ撮影)
(行者還岳巻道)

 行者還小屋に到着した時間は制限時間にまだゆとりがあったが、そこからタクシの待ち合わせ場所の大川口までのショートカット道の入口にロープが張ってあって「危険につき通行禁止」の札が取り付けてあった。強行突破の手もないではないが、途中で万一本当に通行不能になっていたら引き返すのは容易ではない。宿坊泊は諦めて行者還トンネルに下ってR309を歩いて大川口に降りることに計画変更し、日立電鉄の運転手に「宿坊キャンセルと代わりの宿を探してもらうよう」携帯を入れるも繋がらない。やむなく、タクシ会社に電話して日立電鉄に仲介してもらうようお願いした。
 もともとは行者還トンネルの西口までタクシが入って来る話で予定を組んでいたのだが、大川口で通行止めになったとの連絡が入って、急遽行者還小屋から直接大川口へ下るよう計画変更したのだった。
 電話連絡のために行者還小屋で時間を食ったが、弥山への道を急いだ。その途中連絡が入り、登山道が通行止めと言う予想外の理由での遅れなので特別の配慮で高野山宿坊が門限を過ぎても受け入れてくれることになったとの連絡が入ってきて、みんな明るい気持ちで歩くことができるようになった。
(行者還小屋)
(弥山への道)

 2年前八経ヶ岳の時に上り下りした奥駆出合よりずっと手前、一の峠よりも大分手前にトンネル西口への下り道が分岐していた。
 ここからR309への下りにかかったが、物凄い急坂続きで、まさに転げ落ちるような急坂だった。つぎの奥駆PARTUでここを登るのは御免こうむりたい。完全縦走するために線をつなぐにしても、奥駆出合から今回の分岐点まで往復することになってもいい、楽な奥駆出合への道を登りたいと思いながら下った。
(行者還トンネル西口への分岐点)
(転げ落ちるような急坂下り)

 急坂を下り切ると2年前に歩いた道に降りたち、行者還トンネル西口の弥山登山口はそこからすぐだった。
 ここから大川口まで5km1時間の長い車道歩きだが、みんなとおしゃべりしながら歩くとそれほど苦にならないから不思議である。
(行者還トンネル西口)
(5km車道歩き)

 R309のどこが通行止めの元凶なのか、道路状況をよく見ながら歩いて行ったが、大川口のところにあった通行止めゲートのところまで、何故ここで通行止めしているのか理解できなかった。万一落石でもあって車を直撃でもしたらお役所の落ち度になると考えてのことだろうか。
 ゲートの先で待っていたタクシに分乗して川合の町まで移動して日立電鉄のバスに乗り換えて高野山に向かった。
(通行止めゲート)
(タクシー)

 宿坊に着いたのは19時半になっていたが、宿坊の若い修行僧の皆さんの温かい出迎えを受け、早速心のこもった美味しい精進料理を頂いた。食後はお風呂にも入れて貰ってゆっくりと汗も流すことができた。時刻は21時も過ぎて、そのあとで掃除をしなければならない若い修行僧さんには、明日早朝の勤行もあるのに少々お気の毒ではあった。
(龍泉院)
(精進料理のおもてなし)


5)4日目(4月17日)(雨):高野山見学
龍泉院 7:35 = 高野山ガイド付き見学(7:45 奥之院 9:20 = 9:30 土産物店 9:40 = 9:40 金剛峯寺 10:10)

 朝早起きして、龍泉院の中と庭とを一回りした。室内はピカピカに磨きあげられていて塵一つなく、あちこちに見事な彫り物や掛け軸が見られた。お庭には可愛い顔をした六地蔵や古びた太子堂、色々な古木と枯山水の調和もよくすがすがしい気持ちにさせられた。
 6時からの朝の勤行に同席させてもらい、6時半から精進料理の朝食を頂いた。勤行では会長の申請で水戸アルパインの無事の山行が祈願され、その他に東日本大震災復興のお祈りもあった様なので、昨夜の門限延長には被災地茨城への配慮があったのかもしれない。
(室内の絵画)
(庭園)

 龍泉院から出てバス乗り場に行くと、女性のガイドさんが現れた。今日の高野山参りはガイド付きだった。
 先ずは奥之院の見学、フルコースの一の橋から歩き始めると、奥之院だけで2時間かかってしまうので、中ほどの中の橋入口から案内が始まった。
(ガイドさん)
(中の橋入口から入場)

 先ずは手水場で手を清めて、左右に灯籠が立ち並ぶ参道を歩いて行く。「シロアリやすらかにねむれ」という日本白あり対策協会の作った墓や韓国の墳墓、落書き塚など思わぬ物もあって面白い。大杉の立ち並ぶ領域に入ると、加賀前田家や肥前島原松平家など全国大大名の墓所が続く。 
(巨杉の参道)
(諸大名家の墓所が続く)

 やがて御廟橋にかかると、ここからは撮影禁止ですと釘を刺された。お陰でその中の事はまるで記憶に残っていない。出口の社務所でボケ防止のお守りを買ってもらった。藁をもつかむ思いである。
 次は土産物店によってお勧めのごま豆腐を買い入れて金剛峯寺に向かった。
(御廟橋・これより撮影禁止)
(金剛峯寺へ)

金剛峯寺は真言宗の総本山で高野山一番の格式を誇っているお寺らしい。境内に入るとその荘厳さに自然と頭を垂れる気持になった。
(金剛峯寺境内)


6)帰途:
金剛峯寺 10:10 = 11:00 紀の川万葉の里(昼食) 11:40 = 12:00 高野口IC = 13:05 郡山IC = 13:20 針TRS 13:40 = 14:05 中瀬IC(渋滞) 14:15 = 14:40 亀山JCT = 15:25 刈谷PA 15:45 = 16:25 三ヶ日JCT = 18:05 新清水JCT = 18:35 沼津PA 19:30 = 19:44 御殿場JCT = 20:30 海老名SA 20:40 = 20:50 東京料金所 = 21:30 八潮料金所 = 21:40 守谷SA 21:45 = 22:30水戸IC = 22:55 水戸駅 = 23:10 勝田 = 23:30 東海 = 23:40 日立電鉄南営業所 = 23:50 日立自宅

 帰路は大門の傍を通ってR480からR34に出て、道の駅紀の川万葉の里で昼食を取り、高野口から京奈和自動車道を走っている時、大台ケ原の山並みが綺麗に見えていた。また、三ヶ日JCTから新東名自動車道を走っている時雨模様になり、それに太陽が当たって大輪の虹が出現してみんなを喜ばせてくれた。その後もバスは順調に走って水戸ICに23時前に着き、我家にも御前様にならないうちに帰ることができた。運転手さん遠路の運転御苦労さまでした。
(大台ケ原山系)
(虹のお迎え)





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