B92.蔵王御釜と白石城

1.動 機
 水木コミュニテイ推進会主催で「文化施設見学研修」と題して、蔵王の御釜と白石城を巡るバス旅行が募集さた。蔵王は紅葉の盛りと思われ、白石城には行ったことがなかったので、アジサイ探訪など付き合ってもらった近所のKさんとOさんを誘って一緒に申込みした。参加者50人を超すバス旅行は、幹事の方々の心配りにより車中も賑やかで楽しいバス旅になり、刈田岳に近づくと蔵王エコーライン沿いは紅葉の真っ盛り、御釜の湖面もエメラルドグリーンで美しく、下山後に訪れた白石城や武家屋敷も面白くて、久しぶりに団体旅行を心ゆくまで楽しむことが出来た。

2.データ
a)山域:刈田岳(1758m)
b)登山日:2014/9/27(土)晴
c)コースタイム:
日立自宅6:00 = 6:15泉ヶ森BS6:25 = 6:50日立南IC = 7:15中郷SA7:30 = 8:50安達太良SA 9:05 = 10:00白石IC = 11:10蔵王レストハウス駐車場11:20 ---- 11:30御釜展望所 ---- 11:40刈田岳11:45 ---- 11:55蔵王レストハウス駐車場 = 12:00高原ホテル(昼食)13:10 = 14:10白石城駐車場 ---- 14:15白石城ミュージアム14:25 ---- 14:25白石城14:45 ---- 14:55武家屋敷15:10 ---- 15:25白石城ミュージアム15:30 ---- 15:40白石城駐車場 = 15:50白石IC = 16:45安達太良SA17:00 = 18:35中郷SA18:50 = 19:05日立南IC = 19:15計算センタ前BS ---- 19:20スーパ19:35 ---- 19:40自宅
(刈田岳の歩行軌跡)
(白石城・武家屋敷の歩行軌跡)

d)同行者:水木学区住民50名、Kさん、Oさん、和子
e)地形図:1/25000 「蔵王山」「白石」

3)山行記録
 KさんとOさんと我家で合流して、最初のバス乗り場の泉ヶ森入口に指定時間の15分前に到着すると、バスはすでに到着済み、以前役員をしていた頃顔なじみになっていた役員さんが点呼していた。企画が大好評だったようで、続くバス乗り場で参加者が次々と乗り込んできて、定員35名で募集されたのだが実際の参加者は54名、バスは補助席を使うことになった。
 日立南ICで常磐道に乗って女性ガイドさんの若々しい明るい声を聞きながら北に向かい、中郷SAで休憩を取ってから磐越道、東北道と走り、安達太良SAで休憩を取って一路宮城県に向かう。幹事さんからは面白いなぞなぞも出されて退屈する暇もなく、4Pに渡るクイズの問題集が手渡された。(帰途、回答が示されたが、私は95問中正解だったのはたった44題、正答率は半分に満たなかった。簡単な固有名詞が出てこなくてボケが進んでいることを痛感させられた。ボケたと言えば、かっては高速道から見える茨城や福島の山はどの山でも山名が言い当てることが出来ていたのに、殆どの山の名前がでてこないのにもがっかりさせられた。
 田圃の稲穂はまだ刈取りがされておらず、安達太良山や吾妻山の手前に一面黄金色が洞がっているのがとても美しかった。
(安達太良連峰)

(吾妻連峰)

 白石ICで高速を降り、R4、R457から蔵王エコーラインに入って、始めのうちは脇の木々はまだ濃い緑のまま、紅葉を期待してきたのに少し早かったかとがっかりさせられた。
(麓部の蔵王エコーライン)

 ところがくねくねとカーブしながら高度を上げていくに従って、赤く色付いたウルシやナナカマドのちらほらと見えるようになり、ガイドさんの喜ぶ声が高くなり、車内の空気も明るくなってきた。更に高度を上げていくとカーブを回る毎に紅葉が多くなり、山頂近くなると山一面が赤や黄色に彩られていて、ガイドさんの声もかん高くなり、右や左を見るみんなの顔も喜びで溢れんばかり。
(山頂部の蔵王エコーライン)

 ハイラインに入って蔵王レストハウスの駐車場にバスが入ると「向こう飯豊連峰も見えていますよ」とガイドさんの声。雲海の上に長い山並みが浮かんでいた。
(山頂駐車場から飯豊連峰)

 レストハウスでトイレを使って、五色沼の展望所に向かう。ガイドさんは度々お客さんを案内してきたことがあるが、五色沼が雲で隠されていたことが何度もあったと心配していたが、尾根まで上がると眼下にエメラルドクリーンの御釜が綺麗に見えていた。紅葉の時期の土曜日、観光客の姿も多かった。
(山頂近くからの御釜)

 Kさん、Oさんと一緒に御釜の近くまで下りて綺麗な湖面をしっかりと眺めて記念写真をパチリ、満面の笑顔。
 尾根まで登り返してから刈田岳山頂まで登ってみることにした。
(御釜展望所)
(刈田嶺神社へ)

 山頂に立つ刈田嶺神社にお参りして、その脇にあった山頂標の前でまたにっこりの写真。
 広い山頂部にはいろいろな石碑が立っていて、これを眺めながら一回りしてから下って行くと、御釜の上にはうっすらと雲がかかってきていた。我々は絶好な時間に上がってきたということのようだった。
(刈田嶺神社)
(刈田岳山頂)

 美しい御釜を眺めて満足してバスに乗り、同じ座席でエコーラインを下って行くと、見える紅葉も山肌も登って来た時とは一味違った景色に見えてきて何度もシャッタを押した。
(下りでの紅葉)
(蔵王山の山肌)

 白石の市街を通って白石城の駐車場に入ると、目の前に立派な介護老人保健施設の建物が建っていて、年配者の多い参加者からは「ここへ入れてくれるのかな」の声。駐車場からしばらく歩いて白石城歴史探訪ミュージアムに着いて、ガイドさんがみんなの入場券を買う。時間がかかって切符を持ったガイドさんは「ここのジオラマは15時から15時25分まで、途中入出場は禁止とのこと。ジオラマを見ていたら武家屋敷を見る時間はない。全員で白石城を見た後は、武家屋敷にするかジオラマにするか好きな方一つにしてください。」とのこと。
 まずはガイドさんを先頭に白石城に入って、三階建の真新しい櫓に登ってみる。平成7年に再建されたものとのこと。
(白石城歴史探訪ミュージアム)
(白石城天守(三階櫓))

お城の階段はどこでも急階段、みんな足を滑らさないよう手摺に捉まりながら慎重に登って行く。
 武者絵と武者人形が飾られた広間で、貸衣装を纏ったお嬢さんがにっこりと座っている姿がなかなか様になっていたので、一枚盗み撮りさせて貰った。
(急な階段)
(武者絵とお姫様)

 三階の外回廊をぐるりと回ると、南蔵王から太平洋から360度の大展望。
(三階からの展望)

 下の広場では女武者の集団が弓をいっぱいに張って的を狙っていた。全部的に当たっていてお見事でした。
 櫓から降りて広場の前を通ると、そこは集団が二手に分かれて刀や槍で戦う戦場になっていた。聞けば、次の週に行われる片倉軍、真田軍双方60騎の武者による合戦の小十郎祭りの練習をしているとのことだった。上で見た御姫様も、もしかしたら一般観光客ではなくて、このイベントのリハーサルだったのかも。
(弓の練習)
(戦闘の練習)

 白石城への登り道と武家屋敷に向かう道沿いには川柳や俳句、短歌の句碑がたくさん並んでいた。詩歌が盛んなのも歴史の街の証かも。赤い郵便ポストも街並みにマッチいしていた
(歌碑の一つ)
(郵便ポスト)

 白石城から石段を下って10分歩いて武家屋敷に着く。今は市に寄贈されて文化財になっているが、もとの家主はKさんと同じ苗字、親近感を覚える。中級武士だったらしいが4部屋程のこじんまりとした藁屋根の家で、庭の質素なものだった。
(武家屋敷入口)
(武家屋敷庭から)

 武家屋敷から駐車場に引き返して行ったが、集合時間にはまだ時間があったので、私一人、ミュージアムまで登って展示物を一回り見て回った。白石城の城下町含めた模型や、刀剣類、祝膳などが目を惹いたが、明治新政府による片倉家に対する白石城破却許可書なる書類にはびっくりさせられた。
(白石城模型)
(祝膳)

(白石城破却許可書)

 ミュージアムからバスに戻ると、集合時間前だったが皆さんはもうみんな揃っていて、私が最後。私が乗り込むとすぐに発車、和子の厳しい御小言を頂戴した。
 予定通りの時間に日立南ICに帰り着き、帰途は我が家に近いバス停に車を停めて貰ってKさん、Oさんと一緒に一番に下車、スーパで夕食の食材を買い込んで我家に19時40分に帰着した。

 帰りのバスの中で御嶽山の噴火のニュースを聞いてびっくりさせられたが、娘からメールが入ってきて、「もしかして御嶽山に行っていないかと昼間電話したら留守電だったので心配になった」とメールが入った。そのほかの身内の人からも心配をおかけしたようだ。我家が御嶽山に登ったころはそんな心配は微塵も感じていなかったし、今回不幸にも被災された方々も昼前までは綺麗な紅葉を存分に堪能されていたことだろうに、山では何が起こるか判らない。気を付けてもどうしようもなかった事故だったが、火山に登るのだけはもう止そうかな。



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