C24.大楠山(関東百名山)と三浦アルプス

1.動 機
 啓ちゃんの紹介で準会員にして貰っている九大山岳部OB会関東支部から、2月28日の「三浦アルプス縦走トレッキングと田浦梅林観梅」の案内メールが来た。新年会で顔合わせはしていたが、山歩きは2010年のニュージーランド2012年の奥久慈男体山以来参加していなかったので、久し振りに賑やかな山行が出来るのを楽しみに参加することにした。早朝に集合場所の逗子駅に到着するのは無理なので、前日27日に関東百名山の一座「大楠山」に登ることにした。26日が大雨で27日はそれがガスになって巻き上がり、大楠山自慢の大展望を見ることが出来なかったが、28日は好天気、アップダウンの多い三浦アルプスも賑やかな仲間と一緒に楽しく歩くことが出来た。
 
2.データ
a)山域:大楠山(241m)、三浦アルプス(211m)
b)登山日:2015/2/27(金)晴のち曇、28(土)晴
c)コースタイム:
(1日目)大甕駅7:28 = JR = 9:38逗子駅 =バス= 10:30大楠登山口 ---- 大楠山 ---- 15:50前田橋 =バス= 風早橋(泊)
(2日目)風早橋=逗子駅=風早橋----三浦アルプス----田浦梅林----田浦駅 = JR = 20:04大甕駅
d)同行者:和子、九大山岳部OB会会員16名(男性13名、女性3名)
e)地形図:1/25000 「鎌倉」「横須賀」「秋谷」

3.1 1日目大楠山行記録
    日立自宅7:10 = 7:22大甕駅7:28 = 9:11上野駅9:17 = 9:37品川駅9:52 = 10:44逗子駅11:15 = 11:37大楠登山口BS ---- 12:10阿部倉温泉 ---- 12:37衣笠分岐 ---- 12:48東登り口 ---- 12:51芦名口分岐 ---- 13:00西登り口 ---- 13:05大楠山(昼食)14:00 ---- 14:05西登り口 ---- 14:10レーダ雨量観測所14:20 ---- 15:20登山口(前田川遊歩道出口) ---- 15:33前田川遊歩道入口(靴洗い)15:36 ---- 15:41前田橋BS =バス= 16:00風早橋BS ---- 16:10葉山館(泊)
(大楠山の歩行軌跡)

(大楠山歩行軌跡の標高差)

 大楠山には当初ガイドブック「関東百名山」に書いてある京浜急行安針塚駅から歩き始める積りでいたが、次の日の三浦アルプス縦走で九大の方々に迷惑かけないで歩くには出来るだけ楽ちんコースにしておいた方がいいと思い直し、歩行距離を短縮するため途中の大楠登山口バス停からスタートすることにした。大楠登山口へのバスはJR逗子駅から出ている。
 朝7時過ぎに我家を出発し、大甕駅から昨年の浅間嶺、三頭山以来のJR常磐線特急ひたち号に乗って上野駅まで行き、京浜東北線に乗り換え、品川駅からまた乗り換えて初めて乗る横須賀線に乗って逗子駅で降りた。逗子駅前にはバス乗車場所が沢山あって、どの乗場からも次々にバスが発着している。大楠登山口に行くにはどの乗場から乗ればいいのか判らない。行列に並んでいる人に尋ねて、一番端の乗り場で衣笠駅行きのバスに乗った。大楠登山口まで22分間、バス停が多かったが、どのバス停でも乗り降りする人がいる。これだけ利用者が多ければバスの便も多くなり便利になるわけだ。乗客が少なくてバス便が少なくなり、不便になってますます乗客が減ってくるという悪循環に陥っている日立地方とは好対照だ。
 大楠登山口でバスを降り、県道を渡って部落道に入るとすぐに「阿部倉温泉徒歩15分」の案内板があった。
(大楠登山口バス停岐)
(部落道)

 大楠山の案内板に励まされながら歩いて左に塚山公園・しょうぶ園への分岐を見送り、阿部倉温泉への分岐表示板を右に見て歩いて行くと、横浜横須賀道路の下を通る洞門があった。
(塚山公園分岐)
(横浜横須賀道路の洞門)

 洞門を潜るとすぐに阿部倉温泉から下ってくる道があると間もなく車道は終わり、狭くなった山道を歩いて行くとすぐに平作川源流の沢に出合い、コンクリート製の小さな橋を渡る。
 道は沢沿いに右に続き、源流の清らかな流れを左、右に見ながら気持良く歩いて行く。
(平作川源流)
(沢沿い)

 このコースにはところどころに「ハイキングコースクイズ」の質問板が立っていて、面白い質問に対して3つの答が書いてあり、どの答えが正しいかは覆い板をめくると分かるようになっている。そのクイズ板には「頑張れ、頂上まで○○○m」と登山案内にもなっている。
 やがて道は擬木の階段道になった。この階段道が何度も何度も繰り返し出てきて嫌になってくる。その上、路面は粘土質で、今朝までの雨を吸ってどろどろ、靴は泥んこ状態、うっかりするとズルリッと滑ってしまう。
(クイズ板)
(長い階段道)

 やがて「衣笠城址・塚山公園」の分岐があり、葉山国際カントリのゴルフ場が金網越しに見えてくる。
 プレーを見ながら金網沿いを歩いて行くと、また階段道になった。このゴルフ場にも随分急勾配のコースもあったのだ。
(ゴルフ場)
(ゴルフ場脇も階段道)

 階段道が終わって少し行くと案内板があり、「左大楠山、右塚山公園、直進大楠山山頂(階段230段)」とあった。階段道に嫌気がさしてきていたので、「左大楠山」はなだらかな登り道を案内しているのだと思い込んで、その方向に歩いて行った。
 これがとんでもない間違い。間もなく現れた芦名口コースの「ハイキングコースクイズ」には山頂まで300mだったが、その先芦名口バス停への分岐の所には「大楠山0.5km」の表示があり、ゴルフ場手前の阿部倉コース最後の「ハイキングコースクイズ」にあった山頂まで400mよりも遠くなっていた。
(山頂へ階段230段!)
(芦名口分岐、山頂へ500m)

 芦名口分岐を左に見送って、車にも出会いながら広い道を歩いて行くと「前田橋バス停へ」の分岐があり「大楠山へ150m」の表示板があり、ここからも階段道になっていた。
(車もにも出会う
(こちらにも階段道)

 なんていうことはない、反対側の登り口まで山頂を巻いて半周し遠回りしただけの事、こちらからも階段は登らなければならなかった。大楠山に登る道が3コースあることも知らなかったのだから、予習が足りなかったとしか言いようがない。
(大楠山山頂付近の歩行軌跡)

 山頂に登りつくと、そこは広い広場のようになっていて、山頂標やベンチがあって展望も広い。
 登り口脇にらせん階段がついた展望塔があり、登ろうと思ったが、入口扉が施錠されている。いかにも残念なので、脇に建っている売店に入って尋ねると「どこから来たの?ええ!茨城からわざわざ!それでは登ってみてくださいな。この山は雨の時には泥んこ道になり、泥靴で登って汚されるのが嫌なので施錠している、泥を落としてから登ってくださいよ」と言って施錠を外してくれた。売店店主が展望塔の管理を任されているらしい。
(大楠山山頂)
(山頂展望塔)

 展望塔の上に登ったが、全体的に霞んでいて、展望図もないので無案内な三浦半島ではどっちを向いているのかよく判らない。展望台の周りが鉄柵で保護されており、真ん中にも鉄柱が立っているので磁石もうまく作動しない。
 何とか相模灘の方向に江の島を確認することが出来、富士山はその左に見えるはずだと目を凝らしてみたが、残念ながら富士山の姿を確認することはできなかった。条件が良ければ見えることもあるという、南アルプスなどとんでもない話。
(西方向:富士山が見えない)

 南方向に目立って見える山は、7年前にMACで歩いた三浦富士・砲台山・武山の山並みだろう。その向こうが金田湾、右からは相模湾が入り込んでいる。海の向こうに見えるはずの房総の山々は霞の中。
(南方向:三浦富士-武山、三浦海岸、相模湾)

 北を向けば東京湾と横浜市街が望め、その手前に連なる山並みが、明日歩く予定の三浦アルプスなのだろう。どこからどこまで歩くのかなあ。
(北方向:三浦アルプス)

 展望台を降りて店主さんにお礼を言ってから、ベンチに陣取って弁当を広げた。足元にはオオイヌフグリが青い可憐な花を咲かせており、周りに植栽されて小さな桜の木には、ピンクの花が数輪花開いていて綺麗だった。茨城よりも春が早いようだ。
(サクラ)
(オオイヌフグリ)

 食事を終わって、近くのベンチで一服中の若い男性にお願いして、山名板と二等三角点の前でシャッタを押して貰った。青年はズームを利かせたりしながら何度もシャッタを押してくれた。
(大楠山山名板)
(二等三角点)

 山頂を後にして登ってきた道を下り、分岐点で前田橋方向に曲った。すぐのところにレーダ観測所の通信鉄塔があり、そばにはナノハナが黄色く色付き、サクラの木はピンクの花を三分ほど咲かせていた。
(前田橋コースへ)
(ナノハナとサクラ)

 サクラの花や水仙の花にカメラが向く。
 ここにも展望塔があって、展望図はあったが、高度は低いし、山や土地の名前が入っていないので要領を得なかった。
(サクラ)
(スイセン)

 前田橋コースは始めはなだらかで気持ちの良い道が続いた。こちら側の道沿いにも「ハイキングコースクイズ」板がところどころに立っていた。
(初めは気持ちの良い道)
(クイズ板)

 こっちのコースは歩きやすいコースだと思って嬉しい気持ちで歩いていると、やがて階段道になってきた。阿部倉温泉からの道に負けないほど長い階段道が続く。土質も粘土質、ずるずる滑りやすく、下りなので余計に気を遣う。
 レーダ観測所から1時間ほど下ると、前田川を渡って部落道に出る。分岐すぐ手前には前田川河床の遊歩道に下る分岐があり、橋を渡った分岐点には関東ふれあい道の案内板があって「大楠山へ2.5km」とあった。
(階段が始まる)
(前田川渡って部落道に出る)

 前田川沿いの部落道を歩いていると、部落の人が我が家の足元を見て「今日は道が泥んこで大変だったでしょう。この山の登山道が雨の後ぐちゃぐちゃになるのは、この辺では有名なことなんですよ」と慰めて?くれた。
 前田川沿いの道から別れるところに「遊歩道起点」の立札があって、河床におりる階段があった。このどろんこ靴のままでバスに乗ると嫌われそうなので、数羽のカモが遊んでいる河床に降りて靴の泥を洗い流した。
 上流へ遊歩道が延びていて、関東ふれあい道の案内板のところまで繋がっているようなので、案内板のところでこの遊歩道に降りていたら車道歩きよりももっと気持ちがいいお散歩が出来たのかもしれない。
(部落道)
(前田川遊歩道起点)

 R134に出ると前田橋バス停に丁度逗子駅行きのバスがやってきた。ホテルには海岸まわりのバスが好都合なのだが、時間表を見る暇もなくそのバスに飛び乗った。乗客に「森戸海岸を通りますか」と尋ねたら国道だけを走るとのこと。バス停からホテルまで少し歩くようだが、まあいいか。
 バスの車窓からは左手に相模湾の岩礁帯が続いて綺麗だった。風早橋バス停でバスを降り、街中の道を10分ほど歩いて、インターネットで予約しておいたホテルに4時過ぎに入った。
(バス車窓から相模湾)
(ホテル着)

 部屋に入って30分ほど休んで、和子は眠くなったと言ってベットにもぐりこんだので、私一人で森戸海岸のお散歩に出かけた。5分ほど歩いて森戸海岸に出ると、夕焼け空をバックに、森戸神社から千貫松などの岩礁の連なりが素晴らしい景観を作っていた。突堤の先端まで出てみると、遥か沖の岩礁に灯台と赤い鳥居が建っているのが見えてびっくりさせられた(帰宅後ネットで調べたら、裕次郎灯台と森戸神社の鳥居とのこと)。その向こうに微かに見えているのは方向からして伊豆半島の赤城連山だろうか。
(夕焼け:千貫松、裕次郎灯台、海上の森戸神社鳥居)

 葉山海岸にはいくつかの自然石に刻んだ歌碑があり、これらを読んで「みそぎ橋」という赤い欄干の橋を渡ると森戸神社の境内に入る。
 拝殿にお参りし、裏に廻って石原裕次郎記念碑(デビュー作「太陽の季節」は葉山海岸だったのかなあ)や千貫松を眺め、高台に上がって日吉社にもお参りし、拝殿横広場にあったマルチーノ公使ベルツ博士記念碑、堀口大学詩碑、昭和天皇即位御大典記念碑、明治天皇・昭憲皇太后歌碑、高橋是清歌碑、源頼朝別墅址石碑など沢山の石碑群を眺めて回った。
夕景を楽しんで神社を後にするころには石灯篭にも灯が入っていた。明日の朝、和子を案内する価値充分とみた。
(みそぎ橋)
(森戸神社の灯篭に灯が入った)

 ホテルに戻って夕食をとって、風呂で汗を流して広いベッドに入って深い眠りについた。


3.2 2日目三浦アルプス山行記録
    葉山館8:40 ---- 8:51風早橋BS = 9:05逗子駅9:25 ---- 9:35風早橋BS9:46 ---- 10:09教会前広場10:15 ---- 10:23仙元山10:30 ---- 10:55山広場 ---- 11:13葉山小学校分岐 ---- 11:25観音塚11:30 ---- 12:20連結尾根の頭(林道分岐)12:30 ---- 12:55大桜 ---- 13:32鉄塔下(昼食)14:00 ---- 14:25乳頭山14:30 ---- 14:57高速道橋 ---- 15:05田浦梅林15:50 ---- 16:25田浦駅16:27 = 17:30品川駅17:35 = 17:53上野駅18:30 = 20:04大甕駅 ---- 20:20日立自宅
(三浦アルプスの歩行軌跡)

(三浦アルプス歩行軌跡の標高差)

 翌朝、朝食前に和子と一緒にホテルを出て、車道側から森戸神社に入ると、赤い鳥居から拝殿までの参道には総霊社、畜霊社、庚申塔、水天宮、おせき稲荷社と境内社が並んでいて、神社の格式の高さをうかがわせた。咳が続いている和子は特におせき稲荷社に丁寧なお参りをしていた。  
(森戸神社入口)
(森戸神社拝殿)

 拝殿横の広場にある石碑群を眺め、石原裕次郎記念碑の歌を詠みに行くと、相模湾の向こうに富士山の白い峰がスッキリと見えていた。岩礁には鳩?が群れていて、鳩、記念碑、江の島と富士山の組み合わせで撮った写真は珍しい構図だろう。
(神社横の広場には石碑群)
(裕次郎碑と富士山、江の島)

 千貫松の岩と組み合わせた富士山の眺めも美しかった。
 石碑群の端にあった源頼朝別墅址石碑については、別に源頼朝が森戸神社を此の地に勧請したとの「森戸大明神御由緒」の説明板がたっていた。創建が鎌倉時代にさかのぼる歴史のある神社だった。。
(千貫松と富士山)
(源頼朝別墅址石碑)

 みそぎ橋を渡って森戸海岸に出て振り返ると、森戸神社と江の島の間に富士山が綺麗に見えていて、なかなかの絶景だった。富士山の左に薄く見えているのは箱根の山、右は丹沢の山並みだろう。
(森戸海岸から森戸神社、富士山、江の島)

 朝食を済ませてホテルをチェックアウトし、すぐ近くの森戸海岸バス停からバスに乗って集合場所の逗子駅に向かう。集合時間の30分近く前に到着したが、幹事さんと二人の会員さんが既にバス停付近に到着して人待ち顔だった
 今日の参加者は18名とのこと、10日前にメール連絡があった15名よりも増えている。あらかた集まったところで、幹事さんを残して先発のバスに乗り込んで登山口の風早橋バス停に向かった。一台のバスに全員が乗りこんだら混雑するだろうとの配慮、バス停で待つ間もなく次のバスで残りの人がやって来た。バス停近くのトンネル手前で国道を横断して海側に向かって歩いていった。
(逗子駅集合)
(R134横断)

 少し歩いたところで、左のV字に引き返すようについた広い坂道を登って行く。道標には葉山教会とあった。
 教会の前に広場があり、ここで全員の自己紹介。自己紹介といっても、氏名と現住所を言うだけ。現状を語り出すと話好きな皆さん、いつ終わるかわからなくなる。現状報告は歩きながらのおしゃべりの中でということ。
(分岐標)
(葉山教会前広場)

 準備運動をしてから教会左の「仙元山ハイキングコース入口」の道標が立つ山道に入って行った。緩やかな尾根筋の登山道を進んでいくと、桜の木が沢山植えられた斜面に階段道が現れた。
 短い階段を登り切ると仙元山の頂上、古木に仙元山と書いた小さな札が取り付けてあった。古木の後の大きな石碑は鎮魂碑、その後ろには「不二仙元大菩薩」と刻まれた自然石の石碑も立っていた。
(教会裏を登る)
(仙元山頂の古木と石碑)

 仙元山山頂からは葉山の街並みや相模湾の眺めが広がっていて、江の島の左に富士山がくっきりと見えていて皆さんもご機嫌上々。伊豆半島、箱根、丹沢もうっすらと見えていた。目を凝らしてよく見ると、森戸神社の沖に、裕次郎灯台や赤い鳥居を見つけることが出来た。
(仙元山から相模湾展望)

 仙元山山頂で展望を楽しみながら少し休んでから次に向かう。登山道は尾根筋を辿り、小さなピークも階段道で上り下りを繰り返す。
(下ったり)
(登ったり)

 喘ぎながら大きく登って行ったところにタブノキの大木が立つ189m峰(和子のメモでは山広場)に登りつく。ここには葉山町の一級標準点の標石が埋め込まれていた。何の為の基準点なのか、同じものをこの先何カ所かで見かけた。
 一息ついて大きく下ったところに葉山小バス停への分岐があり、この先にも実教寺、森戸川林道などへの分岐標が次々に現れる。駅前で幹事さんからもらった「三浦アルプス地図」を見ると、三浦アルプスには網の目状にハイキングコースが作られているようだ。
(一級基準点)
(次々と分岐標)

 急登を登ったところがタブノキの古木が立っている観音塚というところ、根元に二つの石祠が祀ってあった。道標には「仙元山2.0km、乳頭山3.4km」とあり、まだゴールの田浦梅林までの1/3ほどしか来ていない。
(観音塚に登って一休み)
(観音塚)

 観音塚で一息入れて、また大きく下り、又上り下りを繰り返す。周りは広葉常緑樹の林なので展望がなく、九大の方々のおしゃべりに励まされながら歩いて行く。会員の中にも足の遅い人もいて、ペースが遅めなのも助かった。
(根っ子道)
(常緑樹林帯)

 階段道を登ったところで左手に富士山が見えるところが一か所だけあった。ちょっと元気が出る。林道終点への分岐を過ぎたピーク「連結尾根の頭」で休憩。時間もとっくに昼を過ぎており、お腹もすいてきたが、まだまだ先が長いからと昼食は無しで再出発。
 大きく下って小さな上り下りを繰り返したところに大桜の休憩所があったが、ここには他のグループがお休み中だったので、そのまま通過。乳頭山まで1.7kmとあった。
(一か所だけで富士山)
(大桜)

 続く辛い長い登りをこなして・207mピークを越え、少し下って登り返したところに鉄塔があった。その下が広い広場になっていて、ここでやっと昼食休憩。時間は13時30分、適当に陣取って東京湾などを遠望しながら弁当を広げた。
 鉄塔から乳頭山までは0.8kmとあり、ここからの階段はこれまでの横木の階段ではなく、金属製になっていた。鉄塔点検路なのかもしれない。
(鉄塔下で昼食休憩)
(金属製階段)

 今回の最高点.211m峰を越えて、もう一つ先の小さなピークが乳頭山だった。乳頭山には山名板がなく、保安林の表示板にマジックで乳頭山と書き足してあるだけだった。
 200mほどの山頂には四等三角点標石があったので写真も撮ったのだが、後で国土地理院の地形図を開いてみたら、この地点には三角点表示がない。狐に包まれた感じである。
(乳頭山山頂)
(四等三角点?)

 東京湾方向の展望が開けていて、横須賀から横浜まで良く見える。横須賀港に停泊中の原子力空母ジョージワシントンも見え、その向こうには木更津辺りの工場群も見えていた。
(乳頭山から東京湾展望)

 乳頭山から少し下った中尾根分岐から田浦梅林方向に向かうと、急坂下りが始まった。ロープも張られた崖のような急坂下りが何度も続き、ペースは急ダウン。
(ロープ場下り)
(ロープ場下り)

 急坂を下り切ると車の走行音が聞こえてきて、やがて高速道横浜横須賀道路を橋で渡る。
 そして山を一つ越えてやっと田浦梅林が見えてきた。5分咲きといったところか、ところによっては満開の梅の木が集まっているところもあって結構な眺めだった。梅林に近づくと新鮮な梅の花の香りも漂ってきた。
(横浜横須賀道路)
(田浦梅林到着)

 梅林の頂上には展望台があり、ここまでで充分に疲れた感じがしていたのに、展望台と言われれば登りたくなる。展望台の階段を重い足を引きずりながら登って、360度の大展望を楽しんだ。
 すぐ下の梅林には白い花が咲いており、東には横須賀の海、房総の山並み、東には横浜横須賀道路の上に鉄塔や乳頭山の尖った頂が見えていた。
(梅林展望台)
(展望台から東京湾)

 展望台から下ったところにある管理小屋脇の広場で、眼下の梅の花を眺めながら梅見の宴が始まった。色々な料理やお酒が廻ってきて賑やか。
 ゆっくりと花見の宴を楽しんでから、ここで解散、行き先ごとに集まって下って行った。我家はJR田浦駅へ向かうグループにくっ付いて歩いて、道迷いしなくて済んで助かった。
(花見の酒宴)
(梅林下り)

 下るにしたがって満開の梅が多くなったが、「横須賀風物百選碑田浦梅林」の標柱を見ると舗装の階段道を下るようになる。
(横須賀風物百選碑)
(階段道)

 やがて土産物屋も並ぶ街に出て、小学校脇を歩いて行くと広い国道横須賀街道に出る。トンネルを潜って田浦駅に着いたのは東京行き電車の発車間際、切符を探したりまごまごしたが、何とか他の人たちと一緒の電車に飛び乗ることが出来た。色々な情報が流れて賑やかだったが、皆さん鎌倉、大船、戸塚と降りて行き、横浜からは我が家だけになった。道案内が居なくなって少し心細かったが、なんとか品川、上野で乗り換えることが出来て、20時過ぎに無事大甕駅に帰り着くことが出来た。
 皆さんのお蔭で賑やかで楽しいハイキングが出来て嬉しい一日になりました。
(横須賀街道田浦)
(JR田浦駅)



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