W42.弘昌さんを偲ぶ同期会ハイク
(愛宕山−難台山−吾国山1泊縦走)

1.動 機
我々1962年入社の同期会は活動が活発なことが自慢で、今までゴルフやハイキングを定期的に行ってきた。この同期会を育て盛り上げてきた弘昌さんが去年癌で亡くなられ、告別式の時、一度皆で集まって、弘昌さんと愉しんだ沢山の思い出を蘇えらせたいとの声が多く、昨年末のゴルフ大会を前夜泊にし、今回のハイキングも1泊2日の山行にした。
ハイキングは常磐線岩間駅から水戸線福原駅まで、愛宕山・難台山・吾国山を越えながら縦走するコースで、途中のロッジで一泊してBBQを楽しみ、同期会ハイクの写真を見直ししたりしながら一夜ゆっくりと「弘昌さんを偲ぶ」んだ。ハイキングは登り下りの多い年配者にはきついコースだったが、愛宕山のサクラ、吾国山のカタクリが丁度満開になっており、花を楽しみながらゆっくりと歩くことができた。

2.データ
a)山域:愛宕山(293)、難台山(553)、吾国山(518)
b)登山日:2009/04/08(水)晴、09(木)晴
c)コースタイム:
1日目: 日立自宅 12:15 = 13:30 岩間駅 13:55 = 14:05 スーパ 14:15 ---- 14:50 福祉センタ 15:00 ----15:50 愛宕神社 15:40 ---- 16:00 スカイロッジ(泊)
2日目: スカイロッジ 8:40 ---- 9:15 南山展望台 9:25 ---- 9:45 団子石峠 9:55 ---- 10:10 団子山 10:20 ---- 10:25 大福山 ---- 11:40 獅子ガ鼻 ---- 10:50 屏風岩 ---- 11:00 難台山 11:35 ---- 12:20 道祖神峠 12:35 ---- 13:10 吾国山 13:20 ---- 13:55 林道 ---- 14:05 平野 ---- 14:50 福原駅 14:57 = 15:13 友部駅 15:17 = 15:21 岩間駅 15:30 = 15:40 スカイロッジ 15:50 = 水戸 = 18:30 日立自宅
(愛宕山−難台山−吾国山縦走マップ)
(愛宕山−難台山−吾国山縦走高低差)

d)参加者:男性10:西村、玉造、保坂、大内、浅野、下山、大矢、渡邊、三澤、川本
       女性3:小林、川本、下山(1日目ハイクのみ)
e)地形図:1/25000 「岩間」「加波山」

3.山行記録
アクセス
皆さんは電車だけの行動だが、幹事役の我家は飲物などをロッジに持ち上げるために車で行動する。家で昼食を取ってから出発し、一般道を走って岩間駅に着くと、待つほどもなく上野からの下り電車が到着し、西村、玉造、保坂、大内さんの4人が改札から出てきた。久しぶりの顔合わせの挨拶をしていると、あらぬ方向から「こんにちは」と声が掛かる。早い電車で到着していた浅野さんだった。東京方面の人たちとはゴルフではおなじみだが、ハイキングでは久しぶりの顔ぶれである。何もなければここに川村夫妻のお顔もある予定だったが、この非常時に突然社長の重責を担うことになり欠席になった。10分後に登りの電車が到着して、茨城側のお馴染み、下山夫妻、大矢、渡邊、三澤、小林廣美さんが揃い、ここからは全員下山リーダの引率で行動することにした。廣美さんに持参していただいたノートパソコンと玉造さんの衣装バッグ(翌々日の仕事のための背広)を私の車に預かり、皆さんは明日の昼食を仕入れるためにスーパに向かった。私がしばらく別行動をするので、迷子にならないよう携帯に玉造さんのNoを入れさせてもらったが、慣れない操作で時間がかかり、皆さんの姿はいなくなってしまった。玉造さんを乗せてスーパまで走って、店内に買い物中の皆さんの姿があることを確認して安心し、一人で車に戻ってロッジに向かって発車した。
ロッジに到着して宿泊の手続きをし、まだ清掃中のロッジに入って冷蔵庫に飲物を入れさせてもらってから、歩く身支度をしようと思って車の後部座席を見て驚いた。玉造さんのザックが入っている。携帯で連絡しようとしたが、なぜか圏外である。自分のザックと一緒に担いで歩こうかと思って肩に掛けたが、何が入っているのか私のザックよりもずいぶんと重くて無理だった。今日の歩きは短時間だから玉造さんにはザック無しで我慢してもらおうと決め、私のザックだけ担いで歩き始めた。途中、携帯がかかってきて、「お陰様で身軽で歩けて助かっている」との優しいお言葉を頂いた。

1日目:岩間駅からスカイロッジまで
途中まで車道を歩き、愛宕神社の石段の先で山道に入って下っていくと桜の花が綺麗に咲いていた。
(桜は満開だった)

その先に、老人福祉センタの上の休憩所があり、皆さんが休んでいるのが見えて無事合流できた。
トイレを使い、桜の写真を取ったりしてから皆さんと一緒に桜の園を登り始めた。
(桜の園駐車場で再会)
(桜の園から登り始め)

途中から車道に出て松毬不動の祠を過ぎると右手に愛宕神社への急な石段が現れる。314段の石段を登るのだろうと覚悟を決めて後に付いて上り始めると、途中から右の巻き道に入った。悪態不動の祠を左上に見て突き当たったところに大きな案内板のある広場があった。その上の駐車場のある展望台から岩間の町を眺めてから愛宕神社に上がった。リーダは表参道の石段を登ろうと言ったが、数人は勝手に裏道から登ってしまった。年取って来ると我が強くなる。
愛宕神社拝殿の前まで上がって、皆さん境内の狛犬さんや拝殿にかかる大きな赤い天狗の面にしばし見入り、立派な建物に感心しながら賽銭を投げ込みながらお参りしていた。参拝客にお願いして全員集合の写真のシャッタを押してもらった。
(愛宕神社の石段を登る)
(愛宕神社前で集合写真)

みんなは拝殿前から裏に回って、飯綱神社とその奥の愛宕山最高点の293mに立つ六角の奥宮のお参りに向かったが、下山リーダは三角点を探しに行ってくると一人グループを離れた。この三角点は弘昌さんが探して見つからず、私も1月の下見の時に探したのだが見つけることができなかったものだ。
そこからリーダ不在で歩いたが、1月に下見した時の記憶を頼りに何とかスカイロッジに到着した。下山リーダがロッジ前で追いついてきて、「三角点は簡単に見つかったよ」と言いながら写真を見せられた。流石下山さんだ。それにしても、こんなにはっきり出っ張っている三角点が、弘昌さんにも私にだって見つけられないはずはない。1月のときに、我々が三角点が見つからなかったとぼやいているのを聞いて、フォレストハウスの主人が「調べておくよ」と言っていたので、その後掘り出してくれたのだと思うことにした。
(愛宕山山頂)
(4等三角点)

16時に到着して、明るいうちにBBQをやってしまおうと相談がまとまり、スカイロッジの事務所に予約しておいたBBQの食材を受け取りに行くと、「予約は受けていないよ」ととんでもない返事。電話で申し込んだだけだったので手違いが出たようで、文句を言っても仕方がない、麓の肉屋さんに大急ぎで準備してもらうことになって、17時半から始められることになった。下山夫人は明日所要があるので、ここで帰宅された。車で駅まで送るよと言ったが、歩いて帰れますと言って一人で下っていった。お元気なものである。
食材が届くまでの間、ロッジに入って懇親会の練習をした。ビールで乾杯をして、小林さんや大内さんから提供いただいたお土産を肴に酒盛りが始まった。弘昌さんの山行の記録を見ながら思い出話が尽きなかった。
(スカイロッジ12B棟)
(BBQまでしばし歓談)

話に熱が入っている間に食材が届けられ、表に出てBBQが始まった。平日のこととて、他のグループはいなくて貸切状態だ。ここで最近料理の勉強にも熱が入っているらしい西村さんの腕前が発揮された。二人の女性も出る幕はない。美味しい焼き上がりで、みんな美味い美味いと食が進んだ。
周りはだんだんと暗くなり、18時ごろから夜間照明が点いてからも宴会は続き、12人前を注文したのだが、焼そばの半分を残しただけであらかた平らげられた。事務所の人は「若者でも十分に満足するほどのボリュームだよ」と言っていたが、皆さん、70にしてまだまだ食欲も十分、元気に長生きできそうだ。
西村さんは最近合唱グループにも入って練習に熱が入っているらしく、発声の健康への効果を熱弁された。最後に合唱曲の一節を熱唱されて西村さん独壇場のBBQは閉幕となった。空には満月前の明るい月が煌々と輝いていた。
(BBQは暗くなるまで続いた)

部屋に入って懇親会の続きが始まった。小林さんに持参してもらったノートパソコンで、下山さんが編集した山行記録の写真集が披露された。次々映し出される弘昌さんの姿に、廣美夫人からのエピソード話も加わって、思い出話が次々と繋がった。
テレビを使って玉造さんの入社当時の同期会の写真が披露されて、40年も前の若かった頃の顔と今の顔とを重ねるのも楽しかった。
川村さんの社長就任の話にもなったが、個人の才覚ではどうしようもなさそうなこの時期の就任に、お祝いする話よりもこれからの大変さを思う話のほうが多かった。
お風呂を沸かして汗を流して床に就いたのは22時を過ぎていた。「こんな早い時間には眠りつけないよ」の声もあったが、いびきも聞こえず静かな夜が過ぎていった。
(BBQあとも歓談は続いた)


2日目:難台山、吾国山を越えて福原駅へ
朝5時過ぎに目覚めると、洗面所に朝日が射し込んでいた。外に出ると朝もやの中に朝日が昇って、桜の花も光り始めていた。ロッジ平日サービスの朝食は7時半に用意される。布団の片付けや会費の徴収をしてから、朝食までの長い時間、ダベリングの続きをしたり、散歩したり思い思いに過ごした。
食材が届いてから、サラダを小皿に分け、オーブンやトースタを使って食パンを温めて朝食を整え、コーヒを飲みながら、賑やかな話が飛び交いながらの朝食を取った。三澤さんの健康食談義が熱を帯びた。
(朝日)
(朝食準備)

朝食を終わって、ごみの分別、清掃をしてから事務所に鍵を返しながらロッジの使用料を支払った。事務員の対応も気持ちが良かった。
年とったら準備運動が大事だと、下山リーダの合図でストレッチを行ってから歩き始めた。事務員のお奨めで小人数ロッジの下の道を歩くとすぐに大きな看板が立ち並ぶ乗越峠に着き、その先でハイキングコースに入った。ところどころヤマザクラが咲いたハイキング道を歩いて行くと、足元にはスミレの花が賑やかだった。
(準備運動)
(ヤマザクラの下を歩く)

気持ちの良い尾根道を辿り、丸太の階段を急登すると目の前に立派な南山展望台が現れる。西村さんが下で控えて集合写真のシャッタを押してくれた。展望台の上からは、360度の展望が開けており、先ほど登った愛宕山、これから登る難台山、南には筑波山の双耳峰が見渡せた。望遠鏡で覗くとスカイロッジの脇に残しておいた我が愛車も確認できた。
ゆっくり展望を楽しみながら休憩してから次に向かって急坂を下るとコブシの大木があって、広い道一面に白い花弁が散り敷いて綺麗だった。一つ急坂のこぶがあり、ロープに掴まりながら登り下りした先が団子石峠で、広い舗装された車道が横断していた。加賀田山からU字山行した時にここに車をデポしたことがあるのを思い出した。
峠で一休みして一登りすると、団子石がある。何を持って団子石の名前が付けられたか私には皆目検討がつかないので、皆さんのご意見を伺ったが、納得のいく回答はなかった。
(南山展望台)
(団子石)

団子石から急坂を頑張って登り切ったピークには三角点があり、始めてみる「団子山」の山名板が取り付けてあった。一休みして一回下って大きく登り返したピークにも「大福山」の山名板が取り付けてあった。ハイカーの気を引き立てるために新しい山名板を取り付けたのだろうか。
(団子山)
(何度も登ったり下ったり)

大福山から少し下ると「鼻の下」という板があり、また急坂の登りになる。登ったところの左に獅子ヶ鼻という大岩があり、順番に狭い岩の上に上がって見ると筑波山からの山並みが綺麗に見えていた。
更に進むと左に屏風岩と言う岩壁がある。上に上がる時間も元気も今日はない。その前からしばらく眺めただけで通過した。
(屏風岩)

この辺りから岩っぽい登山道になり、足元を選びながら上りきったら難台山の広い山頂に着いた。山頂で昼食になったが、今日は昨日までとは打って変わった暑さで、みんな日蔭を探して陣取った。
昼食後集合写真を撮るために玉造さんが重い三脚を持ち出した。私は今日のコースはきついと思ったのでザックを軽くしたくてミニ三脚を持ったのだが、恥ずかしくて出る幕ではない。
難台山から道祖神峠までの落差250mの下りは、途中に凄い急坂の下りと登り返しのある二つの大きなピークがあり、何度歩いても疲れるところだ。登り坂で保坂さんが時々立ち止まっては一息入れるようになったが、下山リーダの巧みなペースとりで全員無事道祖神峠まで歩き通した。
(難台山山頂)
(急坂をジグザグに下る)

道祖神峠まで下って、保坂さんが大事をとってここでタクシーを呼んで駅に向かうことになった。一休みして保坂さんに見送られながら広い道を登っていくと、洗心館の狭き門がある。「ほろびにいたる門は大きくその道は広い 狭き門より入れ 試練の道は細くけわしくともそこに真理が開かれる」の名文句の句碑が立っている。
洗心館の広場に入ると、洗心館は3月末で閉館しており、水を補給しようと水道栓をひねったが、元栓が閉じられていて水は出てこなかった。
(道祖神峠)
(休止になっていた洗心館)

洗心館から見上げる吾国山の山頂は大して高くはないように見えたが、ここまで何回も登り下りを繰り返してきた後だけに、林道を横切ってからの急坂の登りはきつかった。ちらほら咲き始めている山桜の並木が気持ちを励ましてくれるが、ペースは上がらない。それでもこれが最後の登りだと自分に言い聞かせながら一歩一歩ゆっくりと登っていった。
登りついた山頂には石積みの上に一等三角点と田神神社の祠があり、祠の後ろ側からの展望が素晴らしい。加賀田山から難台山、愛宕山への馬蹄形ルートが綺麗に見え、加波山の山の連なりや筑波山から宝鏡山、さらに閑居山や剣が峰竜が峰にかけての山並みが綺麗に広がっていた。
(吾国山へ最後の登り)
(吾国山山頂の田神神社)

(山頂からの大展望を楽しむ)

山頂でお八つを口に入れて元気を付けてから歩き始め、少し下ると、カタクリの花園が待っていた。数年前に見たときよりも面積も広くなり花数もずっと多くなっているように思えた。一面紫の絨毯みたいにカタクリが花開いており、日の光を受けて反り返っていた。歩道を歩き回りながら何回もシャッタを押し捲った。
(カタクリ)

色の濃いのや濃いもの、中には珍しい真っ白な花もあった。
(紫のカタクリ)
(白いカタクリ)

後ろ髪を引かれる思いでカタクリの園を後にして山道を20分も下ると林道に出た。もう後は大したことはないだろうと思ったが、駅まではまだ1時間はかかりそうだった。林道から10分ばかり山道を下ると畑地のある平野に出た。田圃の畔の道や街中の田舎道を歩き、鳥居を通り、北関東道の下を潜って広い車道を歩いて水戸線の線路に出たときは、これでお仕舞いだと思ったのだが、踏み切りまで駅の反対方向に200mも歩いてから300m引き返さなければならなかった。これがとても長く感じられたが、やっとの思いで駅にたどり着くと電車の発車時間の2分前だった。
(田舎道に出る)
(鳥居をくぐって街にでる)

ここから小山方向に向かう浅野さんと別れて電車に飛び乗り、友部駅で下りてそのまま水戸に向かう茨城の仲間と別れた。丁度やってきた常磐線登りの電車に岩間駅まで乗り、西村さん、大内さんと分かれて玉造さんと電車を下りた。駅の売店で買った良く冷えたコーラが美味しかった。
タクシーでスカイロッジまで上がって、ここに駐車しておいた愛車に乗って帰途についた。途中福祉センタの桜は一段と見事になっているように見えたが、車窓から眺めるだけで通過した。水戸駅近くのホテルに玉造さんを下ろし、千波湖畔の小林邸に立ち寄ってノートパソコンをお返しし、お線香を上げさせていただいてから日立に帰った。




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