X43.22年度62会春の山行

1.動 機
62同期会の山行は去年の春、弘昌さんを偲んで久しぶりに行われ、その席で「これからは春は茨城、秋は県外持ち回りで、毎年二回実施しよう」と決まり、去年の秋は大内さんの尽力で箱根で実施され、今回は茨城の持ち番だった。下山リーダの旗振りで、大矢さん夫妻と我家の三家族で計画、下見などして「一日目竪破山で山菜採り後、横川鉱泉で宿泊宴会、翌日奥久慈男体山に登る」という予定を立てた。参加募集をしたところ、申込者は20名の大人数になり、当日の顔合わせが楽しみになった。毎日雨模様の寒い日が続いてやきもきしたが、当日一日だけ綺麗に晴れ渡り、二日目は朝から雨で現地解散になったが、参加者19名はみんなお元気(私は都合で直前キャンセル)、昼の竪破山ハイキングと山菜パーテイー、夜の宴会と存分に楽しまれた模様。この記録は、玉ちゃん提供の写真や和子のお話をもとに綴りました。

2.データ
a)山域:竪破山(658)
b)登山日:2010/04/21(水)晴、22日(木)雨
c)コースタイム:
常陸太田コンビニ 9:40 = 10:10 竪破山駐車場 10:20 ---- 10:55 山頂 11:20 ---- 12:20 竪破山駐車場(山菜てんぷら会) 14:20 = 15:00 横川鉱泉(宴会、泊)= 翌22日雨のため散会
d)参加者:小林啓夫妻、玉造、大矢夫妻、浪野、大内、西村、小佐野、保坂、小林広、
       佐藤松夫妻、渡邊、安藤夫妻、下山夫妻、和子(19名、一俊は不参加)
e)地形図:1/25000 「竪破山」

3.山行記録
私の外出後、和子一人で幹事分担分の荷物を車に乗せて集合場所の常陸太田のコンビニ駐車場に出かけた。そこからは和子は最近山道の運転を余りやっていないので自信ないと言って、西村さんに最後まで運転をお願いした。平日なので竪破山の駐車場に他の車は少なく、12台の車が全部入ることが出来た。
先ずは通常のハイキングルートを歩いて、不動石、手形石、畳石などの奇岩を眺めながら甲石と舟石のある山頂に登り、黒前神社にお参りし、展望台から茨城の山の展望を楽しんだ。
(登山口でのミーテイング)
(太刀割石の前に全員集合)

胎内岩や太刀割岩を巡って駐車場に戻りながら山菜採取を狙ったが、今年は異常気象で寒い日が多くて山菜の育ちが悪く山菜の収穫はゼロだった。駐車場に戻り、本日収穫皆無につき、幹事が予備として予め採取保存していた山菜が料理された。下山家:ウド、モミジガサ、コゴミ 大矢家:フキノトウ、川本家:タラノメ。それでも、これらがてんぷらや味噌汁に調理されると、遠来の仲間たちはみんな久しぶりの茨城の春の味に大満足だった御様子。
(持ち寄った山菜材料)
(山菜てんぷら)

昼の山菜パーテイーが終わって予約してあった横川鉱泉に入ったが、宴会を始めるにはまだ早い。
男性陣は近くの造り酒屋に酒造見学に出かけてお土産に奥久慈の銘酒を仕入れた。女主人が秘蔵の鳥の剥製を披露して「名前の分かる鳥があるか」と問いかけ、名バーダーの松範さんが沢山並んでいた剥製の鳥の名前を即座に全部言い当ててしまった。感激した女主人が銘酒一本を贈呈、夜の宴会を一層盛り上げることになった。
女性陣7人は桜見物、外大野の名物シダレサクラと沓掛峠のヤマザクラを見に行こうと、車2台に分乗して出かけた。両方とも花は満開だったが、外大野のシダレサクラは数日前の雪にやられたようで、なんとなく色が白っぽくなっていて精気が感じられなかった。
温泉で温まってから宴会が開かれ、ビールで乾杯の後、高齢者には十二分の料理に舌鼓を打ちながら、尽きない思い出話が続いた。
宴会が終わって玉ちゃん作成の「62会思い出のアルバム」が放映されて、生まれ育った時代の世相や、入社当時からの62同期会のエポックの映像が次々と披露され、共に過ごした青春の日々を回想しながら、宴は一層盛り上がった。その後も、たっぷりのアルコールで、夜遅くまで幹事部屋は賑やかだった。
(外大野のシダレザクラ)
(横川鉱泉で宴会)

二日目は朝から雨、ここのところの悪天候続き中で昨日だけ特別に晴天をいただいたことに満足して、今日は横川鉱泉の玄関で散会となった。




inserted by FC2 system