Z81.悪沢岳・赤石岳(MAC山行)
(お陰さまで百名山完登)

1.動 機
 『日本百名山は我家だけで登るにはきつい山が多い。百名山完登は眼中になかったが、その後MACに入会してあちこち連れ歩いてもらっているうちに、いつの間にか百名山も残り5座、和子7座になっている。完登が目標になってきた。』と書いたのは去年2011年のMAC会報だった。去年、甲武信ヶ岳、空木岳(MAC)、大朝日岳を歩いて、残った悪沢岳と赤石岳は、お世話になりついで甘えついで、今年2012年のMAC山行計画に入れていただいた。
 悪沢岳と赤石岳の百名山2座を縦走するのに、椹島ロッジ、千枚小屋、荒川小屋、赤石小屋と4泊5日で歩くよう計画した。通常のツアー登山よりも一日長い行程だったので、ゆっくりと展望や高山植物を眺めながら歩くことができ、百名山完登の山をいつもの皆さんと賑やかに祝っていただいて、一生の思い出になる嬉しい山行になった。

2.データ
a)山域:千枚岳(2880m)、悪沢岳(3141m)、荒沢中岳(3083m)、荒沢前岳(3068m)、小赤石岳(3081m)、赤石岳(3120m)
b)登山日:2012/8/4(土)〜8(水)
c)日程:
8/4 アクセス:日立電鉄南営業所 = 水戸IC = 新静岡IC 真富士の里(タクシ乗換) = 畑薙ダム(送迎バス乗換) = 椹島ロッジ(泊)
8/5:椹島ロッジ ---- 千枚小屋(泊)
8/6:千枚小屋 ---- 千枚岳 ---- 荒川三山(悪沢岳・中岳・前岳) ---- 荒川小屋(泊)
8/7:荒沢小屋 ---- 小赤石岳 ---- 赤石岳 ---- 赤石小屋(泊)
8/8:赤石小屋 ---- 椹島
8/8 帰途バス:椹島(送迎バス) = 畑薙ダム(タクシ乗換) = 赤石温泉(入浴・昼食) = 真富士の里(バス乗換) = 新静岡IC = 水戸IC = 日立電鉄南営業所
(悪沢岳赤石岳周回ルート)

(悪沢岳赤石岳周回ルートの標高差)

d)同行者:水戸アルパイン会員10名(男7、女3)、和子
e)地形図:1/25000 「赤石岳」

3.山行記録
1日目(8/4):椹島ロッジまでアクセス
森山自宅 4:20 = 4:30 日立電鉄南営業所 4:40 = 4:45 東海 = 5:00 勝田 5:05= 5:25 水戸駅 = 5:45 水戸IC = 6:30 守谷SA 6:40 = 7:00 八潮料金所= 8:20 大井料金所 = 8:30 大黒PA 8:45= 9:20 横浜町田IC = 10:35 駿河湾沼津SA 10:50= 11:20 新静岡IC= 11:45 真富士の里(タクシ乗換) 12:00 = 13:00 大日峠 = 13:25 井川ダム 13:30 = 14:10 畑薙ダム(送迎バス乗換) 14:35 = 15:35 椹島ロッジ(泊)

 朝も明けきらぬうちに我家を出て、いつものようにバス会社の駐車場に車を置いてバスに一番乗り、東海、勝田、水戸と一行12名が揃って水戸ICから高速に乗った。守谷SAで休憩後7時に首都高に入ったが、夏休みのためか首都高はもう渋滞気味、バスの運転手さんは空いていそうなルートを選びながら走って行く。首都高に疎い私にはどう走っているかさっぱりわからなかったが、都心を外してぐるぐる走って横浜を通って東名高速に乗った。今日は山には登らないので畑薙ダムに15時半に付いてくれればいい、乗客は気楽なもので、朝食を食べながら明日からの山行の話に花が咲く。
 御殿場JCTで新東名に入って新静岡ICで高速を降りて、阿部川沿いの県道27号を北上した。玉機橋で井川に向かって左折せず県道29号を梅ヶ島温泉に向かって北上、12時前に農産物直販所「真富士の里」の駐車場に入った。井川ダムに入る広い道が通行遮断、狭い道を走らなければならないのでバスでは入れずここでタクシに乗換える。
 直販所で昼食の弁当を買い込んで、待っていたジャンボタクシと普通タクシに分乗して畑薙ダムに向かう。狭い県道をくねくねと登って途中の1100m超の大日峠を越えて600mの井川ダムに下る。1時間ほどで井川ダムが見えてきたが、空梅雨のためか、水力発電の負荷増大のためかダムの水位は低く、立ち寄った遊覧船乗り場には「湖水面の低下にため休航」の表示があった。
 井川ダムから更に40分走って、畑薙ダムの臨時駐車場に14時10分に到着した。東海フォレストの送迎バスがここまで迎えに来てくれて椹島ロッジまで送ってくれる。広大な駐車場には多くの車が停まっていたが、係員に訊くと「これでも今は少ない時期だ。盆近くなると駐車場に入れない車も出てくるよ」とのこと。
(水位の低い井川ダム)
(畑薙ダム駐車場)

 15時半発の最終便を予定していたが、1時間早いバスに乗ることができた。待っている登山者は多かったが、臨時便がどんどん出るので、補助席を使わないで発車した。ザックは補助席や通路に置くことができて、1時間ひざの上にザックを抱える拷問状態から解放された。
 発車してすぐにバスは畑薙ダムの堰堤を渡る。現役で水車の仕事をしていた時にはこの畑薙ダムや下の井川ダムに何度も通ったものだが、山には一度も向かった事がなかった。もし当時登山に興味を持っていたら、何度も南アルプスの山へ登った事だろうが、いま思えば勿体ない事をしたものだ。
 椹島までの道路は東海フォレストの専用道路だが、路面がガタガタでバスは揺れる。ダムから10分程で左手の畑薙第一ダムを渡る長い吊橋が見えてくる。茶臼岳への登山口の畑薙大吊橋で、6年前に亀楽会で聖岳から光岳へ縦走した時にここへ下ってきた。この月末にもMACで聖岳から光岳へ縦走してここへ下って来る計画があり、和子も百名山完登になる予定である。
 畑薙ダムを過ぎて道が大井川の右岸に変わると、右手に中の宿吊橋が見え、笊ヶ岳登山口の立札があった。笊ヶ岳は下山さん好みのマニアックな山らしい。赤石沢ダムの左手には、月末に聖岳に登って行く聖岳登山口が見えた。聖沢登山口を通過すると退職直前に開発に苦労した思い出多い水車が回っている赤石沢発電所があった。更に椹島に近くなると「ここから赤石岳が見えますよ」と運転手のアナウンス、狭い谷間の向こうに赤石岳の山頂が見えていた。明後日あそこまで登ってバンザーイするのだ!
 15時半に到着した椹島ロッジは広い敷地に2階建ての宿泊棟が3棟並んでいて、我々12名には4部屋が割り振られた。部屋に入るともう3人分の布団が敷いてあり、トイレもウオッシュレットの水洗、言うことなし。17時からの夕食前に外に出て園内を散策。宿泊棟の奥にコインロッカー棟ができていた。下山も椹島に下りてくるので、不要な着替えはここに入れておけるので助かる。一日の料金は300¥、料金切り替えは0時なので荷物の預けは明日出発前にしよう。
 立っていた立派な看板には、ここの標高は1100mとある。明日の千枚小屋は標高2600m、1500mの登りだ。ガンバロウ。
(畑薙大吊橋)
(椹島ロッジ)

 園地の奥には、東海フォレストの親会社の東海パルプの創設者の大倉喜八郎の記念樹や来歴標のほかに赤石岳登頂記念碑があった。88歳で赤石岳に登ったとあり、みんな「まだまだ弱音を吐いておられる歳ではないよね」とびっくりする。
(大倉喜八郎の来歴標)

その時にも色々な話が飛び交ったが、後でNETで調べたら「遥かなる山旅」さんの記録に下記のような詳しい記載があった。大倉喜八郎さんの登山は、何の事はない駕籠に乗ったり山男に背負われたりの登頂だったらしい。1億8千万円の財力がないとできない話ではあるが。
 大倉喜八郎男爵は明治28年に、徳川幕府の重臣であった酒井氏(雅歌守といわれる)より、大井川上流域の南アルプスの山林を、金35000円也で買い取った。大倉喜八郎は井川山林の資源を利用する東海紙料株式会社を明治40年に設立したが、これが今日の東海パルプ株である。
大正15年喜八郎の88才時、自分の所有地で一番高いところに登りたいとのことで赤石岳登頂する。
大正15年8月1日東京から静岡に着き、同夜は安倍郡但馬という所に泊まる。
8月2日に赤石岳を目指して籠に乗り出発。一行は200人と多勢で、大日峠を越えて井川に泊まる。
8月3日目は田代に泊まる。
8月4日目は、現在の畑薙ダムより少し上流部にあった沼平に泊まる。
8月5日、5日目に椹島に到着。
8月6日、一行は悪天候を押して午前10時半椹島を出発、この夜は途中で1泊した。
8月7日、雨のあがるのを待って午前7時半、赤石岳山頂へ向け出発。
途中は霧が深く、お花畑で花束を作らせて楽しみ、頂上に近いハイマツ地帯で籠を降り、そこから椅子に腰かけたまま山男に背負われて雪渓を通り、午前時半に赤石岳の頂上に着く。そこで羽織袴に改めた大倉喜八郎の音頭で、両陛下と摂政宮殿下の万歳を三唱し、国旗を掲げた。
 その他、東海パルプには逸話として以下の話が残っているという。
この時大倉は供の者に風呂桶を背負わせて登り、赤石岳の山頂で風呂に入ったと伝えられる。
お供の中に、神部満之助(後に井川ダムを建設した株式会社間組社長をつとめた人という人)がいた。その神部は、白木づくりの組立式便所2組と豆腐をつくる石うすを人夫に背負わせて、お供をし、豆腐を持参させ、山頂で大倉に湯豆腐を供したとも伝えられる。
大倉の登山の間、静岡から毎日現地まで飛脚が新聞や通信物をその日のうちに届けたという。

17時の夕食タイムに合わせてロッジに戻ると、3人さんが入浴済、「いい湯だったよ」と。食堂に入ると12人分の席は指定されており、鰆(さわら)の蒸し焼きを含めて数々の美味しそうな料理が弁当パックに盛られている。「これが一皿ずつに盛られていたら料亭料理だよね」の声が聞こえてきた。ご飯とスープはお手盛りでお代わり自由。自動販売機のビールで美味しく頂きました。
 夕食を終えて風呂に入ってもまだ時間はたっぷり、リーダの部屋に入って追加のアルコールで山談議に花が咲いた。


2日目(8/5):椹島から千枚小屋まで
椹島ロッジ 6:00 ---- 6:15 滝見橋 ---- 6:30 吊橋前 6:35 ---- 6:40 (0/7 1100m) ---- 7:25 #22鉄塔 7:35 ---- 7:45 #23鉄塔 ---- 8:20 林道 8:30 ---- 8:45 (2/7 1500m) ---- 9:15 林道 ---- 9:25 休み 9:35 ---- 9:40 (3/7 1700m) ---- 10:10 (4/7 1900m) ---- 10:15 清水平 10:30 ---- 11:10 蕨段 ---- 11:20 (5/7 2100m) ---- 11:25 見晴台(昼食) 12:05 ---- 12:40 休み 12:45 ---- 13:05 駒鳥池 13:20 ---- 13:55 (7/7 2500m) ---- 14:05 千枚小屋 (泊)

 5時からの朝食を美味しく頂いてから、コインロッカーに帰りの着替えなど入れて準備運動をして出発。
 園地の奥の大倉喜八郎記念碑を右に曲がると井川山神社の鳥居があり、今回の登山の安全を願ってお祈りした。
(椹島ロッジで準備運動)
(井川山神社にお参り)

 神社の裏の崖を少し籔漕ぎして林道に出て、しばらく歩くと大井川を渡る滝見橋があり、橋の上に上がると、沢沿いの道を行くツアー客が小滝を渡る姿が見えていた。滝見橋を渡ってこのまま進むと塩見岳・蝙蝠岳縦走時に下ってきた二軒小屋ロッジに着く。今回も二軒小屋から千枚岳に登ることも考えたが、宿泊費が高くつくので止めにした経緯がある。
 滝見橋を降り、その手前から千枚小屋への登山道に入っていく。すぐに小さな滝を渡ることになり、その先いくつかの桟道で補強された道を歩いて行くと、先の方から「次オッケー」の大声が聞こえてきた。ツアーの団体さんが吊橋を几帳面に一人づつ渡っているらしい。20人を超える団体さんが渡り切るには時間がかかりそうなので、オッケーの声が聞こえなくなるまでその場でお休みした。
(滝見橋)
(小滝)

 吊橋に到着すると、20mほどの吊り橋だった。足場板を2枚並べたしっかりとした吊橋で、適当に間隔をあけながら気持よく渡って行った。下のごろ沢を流れる水は綺麗だったが水量は少なかった。
 橋を渡ったところに「0/7 標高1100m」の道標があり、ここからしばらく沢沿いの傾斜のきつい斜面にできた細い道を歩いて行く。この道標は無造作にシャッタを押したが、後から見ると同じような道標が標高200m毎に取り付けてあるようだった。やがてごろ石の登山道になって歩きにくくなったが、すぐにプラスチックの階段で補強された中部電力の鉄塔点検路になった。茨城の山でも東電の鉄塔点検路には助けられている。 
(吊橋)
(鉄塔点検路)

 #21、#22の鉄塔を過ぎるとまた岩っぽい瘠せ尾根の道になり、「岩頭見晴し」の道標があり、先の展望が少し開けた。目の前に見えた山は悪沢岳辺りだっただろうか。説明を聞いたのだが、記録し忘れたので定かでない。
(岩頭見晴し)
(荒川三山?)

 一旦林道に出て一休みして60mほど右に歩くと「千枚小屋へ」の道標がある階段があった。その鉄製の階段を登ると再び山道となり、ジグザグに登って行くと「(2/7)1500m」の道標があり、近くには「椹島へ1.5hr 千枚小屋へ4.5hr」の道標があった。この時8時55分、我々が14時5分に千枚小屋に着くまで5時間10分かかっている。結構汗をかきながら歩いていたのだが、休憩時間を考えると大体標準ペースで歩いていたのだった。リーダの時間配分に脱帽。
(林道横断)
(樹林帯の登り)

 再び林道を横切り、コメツガ、ダケカンバの中を登って行って「(3/7)1700m」を通過すると
清水平の水場に到着。パイプから流れ出ている水はとても冷たい。椹島で汲んだペットボトルの水は入れ替えた。そこから更に登ると湿った平坦地があり「蕨段」の看板があった。道標では「椹島へ3hr、千枚小屋へ3hr」とあり、丁度中間あたりだった。
 「(5/7) 2100m」の道標を見て樹林帯を抜けるとようやく赤石岳の稜線が見えてくる。右手に少し登ると、そこは林道のすぐ近くで、展望が更に開けて荒川三山と赤石岳がよく見えていた。ここが「見晴台」だった。少し離れたところにトイレのような小屋があったが、用足ししようと行ってみたらトイレではなく倉庫らしかった。この見晴台で展望を楽しみながら、真富士の里で仕入れたおこわご飯の昼食を頂いた。
(清水平)
(見晴台から)

 見晴台からまた登山道に入り込み、平坦な道を歩いて行くと、だんだんと倒木が苔むし、シダが茂る原生林の様相に変わってきた。やがて「駒鳥池」と標識があり、右手に少し降りると、緑に包まれてひっそりとした池があった。一本の古い倒木が倒れた周りに藻がたくさん生えていて、風情のある光景になっていた。かわるがわる倒木の上に上がって記念写真を撮る。
 「駒鳥池」まで来ると千枚小屋は近い。千枚小屋の近くはお花畑のようになっており、ゴゼンタチバナ、ニリンソウ、クルマバソウ、キバナノタカノツメ、カニコウモリ、ミヤマキンバイ、オオサクラソウ、イブキトラノオ、カイタラコウ、エゾシオガマ、カラマツソウなど賑やかだった。小屋の先にはクルマユリやトリカブトも咲いていた。
 千枚小屋は3年前に焼失して、7月に再建されたばかりのピーカピカ。先に入っていた団体さんがいたので2階を指定された。2階のベットに上がるには垂直の梯子を登らなければならないが、夜中の用足しが怖そうだ。
(駒鳥池)
(千枚小屋到着)

 食堂の中で山談議に花を咲かせていると、「富士山が見えてきた」の声が聞こえてきた。小屋の前に出て富士山の撮影に精を出したが、右手の笊ヶ岳の双耳峰も格好が良かった。夕焼の燃える富士山を期待してじっと待っていたが、だんだんと雲が垂れこめて来て、夕焼け時には頭が隠れてしまった。残念。
(富士山が一時全身を現す)
(夕焼け時の富士山)

 

3日目(8/6):千枚小屋から荒川小屋まで(千枚岳と荒川三山)
千枚小屋 5:30 ---- 6:00 二軒小屋分岐 ---- 6:20 千枚岳 6:35 ---- 7:45 丸山 8:00 ---- 8:40 悪沢岳 9:00 ---- 10:30 中岳避難小屋(昼食) 11:05 ---- 11:10 中岳 11:15 ---- 11:20 分岐 ---- 11:25 前岳 11:35 ---- 11:40 分岐 ---- 12:00 防鹿柵通過 12:20 ---- 13:15 荒川小屋 (泊)

 薄明が始まる頃、外に出ると空は曇り気味だが、富士山のシルエットがはっきりと見えていた。朝食直前に日の出になり、綺麗な富士山を眺めながら何度もシャッタを押した。
(日の出と富士山)

 夜中に雨が降っていて、朝になっても空模様が怪しげなのでカッパのズボンをはいて出発準備して千枚小屋の玄関前で集合写真を撮った。5時半に歩き始め、昨日下ってきた小屋の裏手のお花畑の中を登っていくと、やがてダケカンバの中の道に変わって足元にはマルバタケブキ、ウサギギク、タカネヤハズハハコ、ミナウスユキソウ、ヨツバシオガマ、グンナイフウロなど色々と咲いていた。 
(千枚小屋、笊岳を振り返る)
(ザレた登山道)

 二軒小屋からの道と合流すると、道は土から砂礫へと変わり、道ばたの花々もタカネビランジ、イワオウギ、タカネツメクサ、オトコヨモギ、ミヤマコゴメグサ、イブキジャコウソウ、シコタンソウなど砂礫の花へと変わり、写真を撮りまくる。
 「千枚岳まで10分」の道標を過ぎると赤石岳が見えてきて、その沢筋に白いものが見え、まだ雪渓が残っているのがわかる。悪沢岳は雲に隠れているので、富士山から笊ヶ岳、赤石岳を並べたパノラマ写真を撮る。
(富士山・笊ヶ岳・赤石岳)

 千枚小屋から50分でやっと千枚岳(2880m)に到着。山頂は千枚岩の名前が似合いそうな薄い岩の重なりでできており、その上に三角点が乗っている。岩の隙間にはイワギキョウが青い花を咲かせており、富士山と一緒の構図でシャッタを試みる。
(千枚岳山頂)
(千枚岩、イワギキョウ、三角点、富士山)

 視界が少し良くなってきて、赤石岳までのパノラマが目の前に広がってきた。丸山のまるーい頭とは対照的に悪沢岳のゴツゴツとした山頂が気になった。
(千枚岳からのパノラマ(聖岳、赤石岳、中岳、悪沢岳、丸山))

千枚岳から丸山への道の途中には思いがけずも急な岩場があり、タカネビランジやタカネナデシコ、キタダケヨモギなどに慰められながら、少し緊張気味に下る。
(思いがけない岩場)

しかしそれも短時間で、その後は丸山まで花に囲まれたなだらかな道が続いた。タカネナデシコ、イワオウギ、オオカサモチ、オンタデ、ミヤママンネングサなど楽しい。
(丸山への登り)

 丸山のピーク(3032m)に到着したが、残念ながらガスが出てきて展望なし、風も出てきて気温は14℃まで下がっていた。
 少し休んで夫々に記念写真をとって歩き始めると、道の上の方にライチョウの姿が見えた。みんなでカメラを向けていると、近くから子供のライチョウも出てきた。一緒に撮ろうと試みるが、あちこち動きが速くてうまくいかない。
(丸山山頂)
(ライチョウ)

 丸山から下り、悪沢岳へ向かう。ガスが濃くて悪沢岳は見えないが、目の前のピークに向かって道が続いているのが見える。
 瘠せ尾根の道を行き悪沢岳に近づくと風景が一変して、周りは大きな岩だらけになり、岩を乗越えたり縫ったりしながら歩くようになる。途中で出会った男の人が「岩の間に落っこちないように気を付けなさいよ」と言っていたっけ。こんな所にもハクサンイチゲ、シラナニンジン、イワベンケイ、シコタンハコベ、タカネツメクサなど色々な花が咲いていて目を楽しませてくれる。
(悪沢岳へ)
(山頂近くの悪場)

 悪沢岳山頂(3141m)に到着。日本国内で6番目のピークだ。悪沢岳は中岳、前岳と合わせた荒川三山の主峰で、地形図には東岳と表記され悪沢岳はカッコ付きで書き加えられている。
 行動食で元気をつけて、集合写真を撮ってから次に向かう。悪沢岳の南面もゴツゴツの悪路が続くが、花は一層賑やかになってきた。イワギキョウやトリカブト、グンナイフウロ、タカネコウリンカなど彩りが鮮やかな花が増えて華やかだ。
(悪沢岳=荒川岳=東岳)
(下りも悪場)

ガレた斜面を210m下って、いくつか小さな岩のピークを巻いたり越えたりしてから、荒川中岳へ150m登り返す。 中岳避難小屋はチングルマやアオノツガザクラのお花畑の先にあり、眺めの良い場所に建っている。皆さんジュースなど買っていたが、小屋に入ってみると若い男の小屋番さんは、同じように若い登山者と難しい物理現象の話をしていた。暇な時には一人でしっかり勉強しているらしい。
 振り返ると悪沢岳の見事に均整の取れた三角錐の山容が美しかった。ここから見ていてはあのゴツゴツとした岩の山頂の様子は想像もできない。小屋前で千枚小屋謹製の弁当を広げた。小ぶりの3種のおにぎりがとても美味しかった。
(中岳避難小屋)
(三角錐の悪沢岳)

 中岳(3063m)は東岳に続き荒川三山の二峰目だが、中岳避難小屋からすぐの所にある。山頂で集合写真を撮って次に向かう。
 中岳からハイマツの尾根道を歩くと、「荒川小屋・赤石岳へ」の分岐標がある。ツアーなどでは前岳へは寄らないで、ここで曲がって赤石岳へ行ってしまうらしいが、今回の行程ではたっぷり時間がある。荒川三山を踏破すべく前岳へ向かった。
(荒川中岳山頂)
(分岐を通過し前岳へ)

 三峰目の前岳(3068m)は分岐点からすぐだった。南面がスパッと切れ落ちて今も崩壊が続いている山。山頂標のすぐ後ろまで崩落が進んできており、山頂標柱の後ろに標石が横倒しにおいてあり、崩落線に沿っては注意ロープが張ってあった。うっかり落っこちたら命はなさそうだ。
(前岳山頂)
(南面は崩落絶壁)

 分岐点まで引き返して、ここから荒川小屋まで440mの下りになる。始めはトラバース気味の緩やかな道だったが、途中から急斜面をジグザグに下るようになる。
 途中、鹿除けらしい柵が張ってあり、そのゲートを開け閉めして通過する。一回外に出てまた入りなおすことになったが、柵の中は見事なお花畑だった。
(ザレ場を下って)
(防鹿柵内に入る)

 ミヤマキンポウゲやハクサンイチゲが咲き乱れ、中にはクロユリやイワベンケイ、イワカガミ、ハクサンチドリ、タカネシオガマなども見られた。
(一面のお花畑)

(イワベンケイ)
(クロユリ)

 お花畑を過ぎてもまだまだ下る。目の前の赤石岳がだんだんと高くなってきて、緩やかなトラバース道になるとやっと荒川小屋が見えてきてホッとする。
 荒川小屋に到着したのは13時過ぎ、一番乗りに近く、ベットは一階を指定されて今日は梯子を登リ下りしなくてもいい。明日の昼までの行程に必要な水を汲みに水場へ向かう。水場は小屋から数分下ったテントサイトの脇にあり、ホースから冷たくて美味しい水が流れ出ていた。トイレは千枚小屋と同じく便槽をヘリコプターで運び出す方式で臭いがなくて快適だが、母屋から少し離れているのだ難点と言えば難点。
 
(荒川小屋が見えてきた)
(荒川小屋到着)

 夕食は「荒川カレー」と名売ったカレーライスだった。辛口でとても美味しいカレーで、お代わり自由も嬉しかった。
 夕食後、小屋前で夕焼けの富士山の撮影会。夕方の富士山も綺麗だったが、翌朝の日の出時の富士山がもっと綺麗だった。南アルプスでは富士山が近くに大きく見えるのが嬉しい。
(夕焼けの富士山)
(朝焼けの富士山)



4日目(8/7):荒川小屋から赤石小屋まで(赤石岳登頂して百名山完登)
荒川小屋 5:30 ---- 6:05 大聖寺平 6:10 ---- 6:30 休み 6:35 --- 7:20 (・3030) ---- 7:45 小赤石岳 8:10 ---- 8:20 分岐 ---- 8:40 赤石岳 9:00 ---- 9:05 赤石避難小屋 10:00 ---- 10:20 分岐 ---- 11:00 北沢源頭(昼食) 11:45 ---- 12:20 冬道分岐 ---- 12:40 富士見平 12:55 ---- 13:25 赤石小屋 (泊)

朝起きると空は青空、朝食を食べて朝焼けの富士山を拝む。日の出は山の斜面から出てくるので今一つ。朝空に残る満月が印象的だった。
 5時半に出発して大聖寺平に向けて緩やかな道を登る。始めは樹林の中の登り道だったが、やがてハイマツ帯の砂礫のトラバース道になる。荒川小屋までのお花畑とは様変わりで、高山歩きの感がある。わずかに地味なバイケイソウやアオノツガザクラの花やチングルマの果穂が見られた。
 右手には赤石岳の稜線があり今夜の赤石小屋も見えていた。振り返ると荒川小屋の上に荒川三山がそびえている。あそこから下りて来たのだ。行く手の赤石も高いなあ!
(赤石へ)
(荒川小屋と荒川三山)

 30分程で大聖寺平に到着。視界が広がって中央アルプスが見えており、木曾駒から空木への長かった山行を思い出しながらのよもやま話が色々と出てくる。北アルプス方向は雲が出ているが、中央アルプスの左に恵那山、後ろに御嶽山が見えていた。
(恵那山−中央アルプス・御嶽山)

 大聖寺平の平坦地から小赤石まではガレた急斜面をジグザグに登っていく。途中一回休憩が入り、荒川三山のパノラマを見ながら一休み。
(大聖寺平)
(小赤石岳の肩へ)

 小赤石の肩(3030m)まで上がると展望が広がり、小赤石岳の向こうに赤石岳も見えてきた。荒川三山も見えるし、雲海の上に浮かぶ富士山も最高。荒川三山の間の間ノ岳・農鳥岳の右に鳳凰三山のオベリスクまでも見えていた。
(荒沢三山、千枚岳、その向こうに南アルプス北部・富士山)

小赤石の肩から赤石岳までの稜線はすばらしいパノラマと色々な花を眺めながらの稜線漫歩だった。チシマギキョウや、イワツメクサ、タカネツメクサ、ヨツバシオガマ、チングルマ、ハクサンイチゲ、ミネウスユキソウ、ナナカマド、ハハコグサなどいろいろ。
 小赤石岳(3081m)の山頂まで登って、展望を楽しみながら一休みした。次はいよいよ目の前に見えている百名山完登の山赤石岳の山頂だ。胸が高鳴る。
(小赤石岳へ、向こうに赤石岳)
(小赤石岳)

 小赤石岳を下りきった鞍部が赤石小屋への分岐、ここにザックをデポして赤石岳ピストンすることが多いらしいが、リーダはそのまま登って行く。山頂近くまでくると、リーダから「川本さん、先頭へ」と声がかかった。百名山完登の山にトップで登らせてやろうとの親心、嬉しい。喜び勇んで赤石岳山頂(3120m)に登って一等三角点にタッチ、バンザーイ!
(分岐点からの赤石岳)
(赤石岳山頂でバンザーイ!)

 山頂でバンザイして皆さんに拍手して貰ったのでこれで十分と思っていたら、平野さんのザックの中から完登祝いの垂れ幕が出てきた。これを二人で持って完登祝いの集合写真、素晴らしい想い出写真ができました。いつもの平野さんの心遣いには頭が下がります。
(赤石岳山頂にて「オメデトウ!」)

 赤石岳の先の鞍部に赤石岳避難小屋が見え、記念の品を買うためにそこまで足を伸ばした。荒川小屋では赤石岳の記念品は飾ってはあったが売っていなかったのだ。
 小屋前にみんなが揃うと、小屋の奥さんがお祝いにと言ってハーモニカ演奏を始めてくれた。2曲の演奏を気持よく聴いてから、全員でジュースで乾杯。
 今年は雨不足で「水が不足しています。あまった水カンパして下さい」の張り紙があり、皆で余分に持っていた水をやかんに入れたら、お礼にと言って2曲のハーモニカ曲が追加演奏された。
 小屋の横には酒が好きとおっしゃる小屋主人の望遠レンズが用意されて、聖岳などにいる登山者の姿を見せて貰った。そろって暖かい感じのご夫婦、居心地良さそうな山小屋に一度泊ってみたいと思ったが、もう無理だろうな。お陰さまで思い出深い百名山祝いができました。
(ハーモニカ演奏)
(カンパーイ!)

 平野さんがサインペンまで持ってきて来てくれていたので、手ぬぐいを買って小屋前のテーブルで皆さんに寄せ書きをして貰った。素晴らしい記念品ができました。
(寄せ書き)

 小屋の御夫婦に見送られて、後ろ髪を引かれつつ下山開始。一旦赤石岳に登り返して分岐点まで下り、ここから東向き斜面のお花畑の中をジグザクに急降下していった。踏み外したらどこまで転がって行くか心配になるような急斜面、花ばかり見ていては危ない。
(ザレた急斜面の下り)

 途中水場があって、「最後の水場、水不足により、頂上避難小屋に飲料水はありません。'12.8.7」の看板があり、大きな水タンク(35L?)を担いだ若者が避難小屋へ向かって登り始めるところ、しっかりとした足取りで登って行った。冷たい流れに直接口をつけて喉を潤し、ペットボトルの水も入れ替える。顔を洗うとこれまた爽快。
 そこからちょっと下ったところに北沢源頭の砲台型休憩所があり、荒川小屋謹製の小ぶりのおにぎりを頂いた。ここまで運んでいただいた貴重なオレンジが振舞われたり、我家が今回新調したザックの調整の仕方を教わったりしながら、ゆっくりと休みをとった。周りには大株のハクサンチドリやエゾシオガマ、イワオウギがあって綺麗だった。
(北沢源頭の水場)
(砲台型休憩所)

展望台からはガレた斜面をトラバースする悪路が続き、要所には板の桟道が作られていた。
(ガレ場のトラバース)
(桟道連続)

 細かいアップダウンを繰り返し、少しの登り返しがあってぱっと視界が開けた。標柱に「富士見平」とあった。生憎富士山は雲の中だったが、赤石岳、小赤石岳、荒川三山と歩いてきた山々が見えていた。どの山もいい山だった。
(富士見平から:赤石岳を挟んで兎岳、荒川岳)

 樹林帯を下って13時半ごろ赤石小屋に到着。一階のベットを割り当てられて寝場所を確保してから、前庭に出てビールで乾杯。テーブルごとに置いてあった立派なメニューを見ると、女性支配人の小屋らしく色々なものが揃っており、お腹が空いたと言ってざるそばやおでんを注文する人もいた。
(赤石小屋到着)
(前庭で乾杯)

 小屋前の案内図に「三角点」まで10分という表示があったので、17時からの焼肉定食の夕食を頂いてから、Mさんと連れだってサンダルで出かけてみた。立枯れの木の中を歩いて片道10分足らずだったが、シャクナゲの木の多い山で咲き残りの花も数輪咲いていた。
(焼肉定食)
(奥槇沢三角点)


4日目(8/8):赤石小屋から椹島まで
赤石小屋 5:40 = 6:30 (4/5) 6:45 ---- 7:10 (3/5) 7:15 ---- 7:40 休み 7:50 ---- 7:55 (2/5) ---- 8:25 (1/5) 8:35 ---- 9:10 登山口 ---- 9:20 椹島
 
 今日も晴れ、日の出を拝みに5時の朝食前に小屋の裏手に回ってみた。待っていると、空に光芒が立ちあがり、雲間から太陽が顔を覗かせて素晴らしい光景になった。
(日の出と光芒)

 今日は椹島10時30分発の送迎バスに間違いなく間に合わせようと早めの出発、朝食後小屋前の給水栓から水を貰って歩き始めた。
 赤石小屋からは展望も花もなく、樹林帯の中をひたすら単調に下って行った。千枚小屋への道よりも、木の根や岩による段差が大きく、結構疲れる道だった。それでも下半分の杉林は枝払いの手入れがしてあって見通しが利くので救われた。
 30分下ったところで後ろから転げ落ちるように若者が駈け下りてきた。Uさんが小屋に置き忘れていたストックを届けて下さったのだった。ニッコリ笑って何事もなかったように引き返して行ったが、赤石小屋は素晴らしいスタッフが揃った山小屋で昨日も居心地が良かった。
(急坂下り)
(植林隊も急坂)

 9時10分、最後に急な鉄階段を下って林道に出たところが赤石岳の登山口、赤石小屋から1,400m程下ってきたことになるが、今回の山行は目出度くこれでTHE END。井川山神社にお参りをして厚くお礼を申し上げた。
(登山口)
(神社にお礼参り)


帰路
椹島 10:25 =(送迎バス)= 11:25 畑薙ダムP (タクシ乗換) 11:30 = 11:40 赤石温泉 13:00 = 14:50 真富士の里(バス乗換) 15:05 = 15:20 コンビニ 15:35 = 15:40 新静岡IC = 16:20 駿河湾沼津SA 16:45 = 17:50 海老名SA 18:00 = 東京湾アクアライン = 20:20 守谷SA 20:50 = 21:30 水戸IC = 21:50 水戸駅 = 22:10 勝田 = 22:20 東海駅 = 22:25 日立電鉄 22:30 = 22:40 森山自宅

 コインロッカーから預けた着替えを取り出して、靴も履き替えて準備完了。ビールを飲んだりしながらバスを待ち、10時半発の送迎バスに乗って畑薙ダムまでおり、タクシに乗り換えて赤石温泉の白樺荘で久しぶりに汗を流した。温泉の湯で気持よくなって、中のレストランで美味しい昼ご飯を腹いっぱい食べて、またタクシで真富士の里まで走った。ここから茨城のバスに乗り換えて、後は白河夜船、大渋滞の首都高も運転手さん任せ、スカイツリーを眺めて水戸には21時半到着、我家にもその日のうちに帰り着くことができた。
(赤石温泉白樺荘)
(スカイツリー)

 

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