G11.水木地区の神社・公園

1.動 機 
 和子が買物ウオーキングに出かけた留守の間と思って、泉神社に初詣のお参りに行ったとき生憎カメラを携帯していなかったので、改めて写真を撮りに出かけてきた。(写真はスマホで撮ればよかったのだが、スマホにまだ慣れず、その時はスマホ撮影に思い至らなかった。)泉が森公園と泉神社の写真を撮り終わってから、久しぶりに水木の海を眺めてみたくなって水木の浜まで歩いて、海を眺めたついでに途中にあった神社にもお参りしてきた。今度は財布を忘れたのでお賽銭なし、お参りとは言えないか。

2.データ
a)山域:日立市水木地区
b)登山日:2019/1/5(土)
水木地区地図と写真撮影場所)


3.山行記録
 常磐線の踏切を渡って旧日立電鉄(現BRT)の洞門の手前まで来て、BRT跨線橋方向の工事進捗状況の写真を撮った。跨線橋の北側は去年年末からあまり進展していないように見えた。橋近くの斜面が少し綺麗になり、宅地の区画整理が少し進んでいるか?
(洞門前から見たBRT跨線橋工事進捗状態)
 泉が森公園の入口に「平成の名水百選」の碑が立っている。環境省のリストには、茨城県では「日立市泉が森湧水及びイトヨの里泉が森公園」だけが入っている。
 少し入ったところに「泉のはじまり」と題した丸い球が乗った碑が立っている。曰く「むかしむかしみつきの里は日照りが続き、困った里人は「雨乞の」祈りをしました。皆の祈りが天に通じたか、乾いた大地に天から美しい玉が落ちてきました。すると珠の落ちた大地が裂け、水がこんこんと湧きだしました。泉が森のはじまりです。
(平成の名水百選碑)
(泉のはじまり脾)
 泉が森公園は、隣の泉神社と公園内各所から湧き出す泉を集める池と、流れ出る小川を中心に作られている気持ちのいい公園だ。子供連れの家族も多い。

(泉が森公園)
 その先、池の隅に竹筒の先から流れ落ちる清水で小さな水車が回っていて、その下に排水を受ける竹筒のししおどしが時々コットンと動いていた。これが2組並んでいたが、こんな仕掛けを見るのは初めてだった。
(泉の水で回る水車2台)
 池の水が綺麗なことを説明するために下の写真を撮った。
 池の中央辺りには、以前住んでいたイトヨを眺めるためのデッキがあり、そこから下を見ると池の底が綺麗に見える。水中の小石や水草が、上に30cmぐらいの水があるとは思えないほどすっきりと見えている。近くに飛び石があり、飛び石の間を見ると静かな池にも水が流れているのがわかる。こんな広い池を少しも濁らさないほど豊富な湧水量がある泉がたくさんあるのです。
(水底が素通しの流れ)
 公園を出て、道路向かい柵の扉を開けて泉神社境内に入ると、ここにも綺麗な流れがあり、この流れにカモが遊んでいた。公園入口には親子ガモの井戸があるが、ここで本物のカモを見るのは初めて、イトヨが絶滅してからカモを飼うようにもなったらしい。
(清流で遊ぶカモ)
 流れの奥には周囲50mほどの池があり、その真ん中の小島に弁財天を祀った社が立っている。
(弁財天)
 この池の底から湧水が青白い砂をモクモクと吹き上げながら湧き出している。吹き上げる穴は数多く、一日の湧水量は4000トン以上とあり、泉が森公園の池もこの水が流れているので、いつまでもあのように綺麗でおれるのだ。
(湧水の池)
 湧水の池から斜面を上がっていくと、泉神社の本殿と拝殿がある。正月5日になっても詣でる人は後を絶たない。
(泉神社拝殿)
 参道を入口に向かうと、右上に三峰神社の小さな社があり、その下に立派な戦没者慰霊碑が立っている。
(三峯神社)
(慰霊碑)
 参道を出て振り返ると、鳥居の奥の参道に寄進者の名を記した青い幟旗が林立している。
 左側には聖徳太子堂が建っているが、大震災以後手入れがされておらず、今は屋根に草が生え茂り荒れ放題、入口には立入禁止の鎖が張られている。
(泉神社鳥居)
(聖徳太子堂)
 久しぶりに水木の浜に出て海を眺めてみたくなった。国道245の交差点を渡って、浜への道に入るとすぐの角のところに小さなお宮がある。立派な鳥居の奥の小さなお社には「愛宕神社」の顕額が掛かっていた。
(愛宕神社)
 浜近くまで歩いた角の所で、この辺りの高台にお宮があったはずと思って少し探したがわからず、グーグルの地図にも何も出ていない。近くの高台に上がって太平洋の写真を撮ってお仕舞にした。久しぶりに太平洋を展望するのは気持ちよかった。
(高台からの太平洋展望)
 HPを見直してみると、何かあると記憶の隅に残っていたのは津神社だった。2017年8月の「E83.水木浜お散歩」に写真が載っていた。太平洋の眺めも、ここからの方が良さそうだった。
(津神社(2017/08/20撮影))
 元の道に戻って真っ直ぐ下って浜の通りに出て、堰堤越しに太平洋を望む。写真は何枚か撮ったが、高いところからの方がいい。
 浜沿いを歩いていくと水木海水浴場に突き当たる。
(水木海水浴場)
 整備されたトイレや更衣室の奥に小さなお宮が立っている。グーグルの地図には「水神社」となっている。
(水神社)
 海水浴場奥の石段を登って集落の道に出て左に曲がって歩いていくと、見覚えのある河村さんの豪邸があり、門扉の中の庭に「御番所跡」の石碑が立っている。前と同じに無断で写真に撮らせていただく。cf.「C13.水木文化財巡りと風神山(MAC)」「B53.風神山から水木浜まで
 先の田楽鼻公園には江戸時代の海防施設の説明版があったが、下の写真をクリックすると、大きな字で読むことができます。「B53.風神山から水木浜まで」にも説明文があります。
(御番所跡脾)
 (江戸時代の海防施設説明版:クリックで拡大)

 河村邸の前には荒れ放題の広場があり、ここに御番所跡があったらしい。
(御番所跡はこの辺り)
 その先に田楽鼻公園があり、大祭礼記念碑など数多くの碑が立っており、海際に土盛りの展望台があった。
(大祭礼記念碑)
(田楽鼻展望台)
 展望台に上がると、北は伊師浜から南は日立港までの太平洋を広く見渡すことができた。江戸時代、御番所のお役人が日通し遠眼鏡で監視していたのだろう。
(田楽鼻展望台からの太平洋展望)
 関係ないが山手の展望写真も撮っておいた。目の前の民家に邪魔されて、高鈴山も見えない。
(田楽鼻展望台からの山側展望)
 帰りは国道近くにお寺があったような気がしてR245に向けて歩き始めたが、グーグルの地図をいくらチェックしてもお寺のマークは見つからない。代わりに「蹴上不動尊」の文字を見つけて、スマホを頼りに歩いていくと、交差点角に石柱が立っていて、石段の上に板塀瓦屋根のお宮が立っていた。格子越しに中を覗くがよく見えなかった。
(蹴上不動明王)
 蹴上不動尊の通りをまっすぐ歩いてR245を渡っていくと水木交流センタ前に出た。前庭に飾ってある案山子の写真を撮った。チコちゃんなどの案山子はさとみ案山子祭りに水木小学校など、水木学区から出品した作品を持ち帰って展示してあるもの。
(水木交流センタ前庭の案山子@:チコちゃん)
(水木交流センタ前庭の案山子A:復興五輪フラガール)
 水木交流センタの先の踏切を渡ったC点から撮った、BRT跨線橋方向の工事進捗状態を撮った写真を見ると、12月24日には砂地だったバス道路が黒くアスファルト舗装されていた。
(C点からBRT跨線橋へ)
 途中で気が変わって水木浜まで足を伸ばしたので、家に帰るのが随分遅くなり、心配した和子から電話があった。無事我が家にたどり着いて、本日の歩数12,521歩、今年の新記録だった。


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