Y83.燕岳から餓鬼岳縦走

1.動 機
何とも怖そうな名前の餓鬼岳は燕岳の北にある目立たない山で、燕岳から北へは訪れる人も少なく、どんな山かも殆んど知らなかった。この度、水戸アルパインクラブで燕岳から餓鬼岳へ縦走する2泊3日前夜発の計画が案内され、物珍しさも手伝って参加してみた。花崗岩の岩場が続く難コースの連続で神経を遣ったが、良く言えば変化のある面白いコースだった。1日目の合戦尾根の登りは3大急登として評判なので覚悟していたのだが、2日目の燕岳から餓鬼岳への縦走は岩場が連続して神経をすり減らし、途中に400mの大下りは縦走とは言い難たく1日で2つの山に登ぼった感じがした。3日目の餓鬼岳から白沢三股までも高度差1600mの下り、急坂の上に、ガレ場、鎖場、梯子が続き、沢沿いに下ってからも何度も高巻きが待っていて、これまた疲れはてるコースだった。全体的に、みんなで「疲れたあ」と騒いだ「前々回の中央アルプス縦走よりもきつかった」と言うのが大方の感想だった。
前回の不帰のキレットに続いて平野さんがチーフリーダを務めたが、去年から変身した晴れ男ぶりを発揮して三日間とも好天気にしてしまい、次々出て来た難所も見事な統率力で全員を無傷で歩き通させた。不帰のキレットに続いて新チーフリーダお見事でした。

2.データ
a)山域:燕岳(2763m)、東沢岳(2497m)、餓鬼岳(2647m)、大凪山(2079m)
b)登山日:2011/08/28(日)小雨後曇、29(月)晴、30日(火)晴
c)コースタイム:
アクセス(8/27):日立自宅 20:50 = 日立電鉄南営業所 = 22:30 水戸IC = (8/28)2:30 姥捨SA(仮眠) 7:00 = (チャータバス) = 8:30 中房温泉
1日目(8/28)中房温泉 8:55 ---- 合戦小屋 ---- 14:45 燕山荘(泊)
2日目(8/29)燕山荘 5:50 ---- 燕岳 ---- 北燕岳 ---- 東沢乗越 ---- 東沢岳 ---- (ケンズリ) ---- 餓鬼岳 ---- 14:50 餓鬼岳小屋
3日目(8/30)餓鬼岳小屋 5:50 ---- 大凪山---- 魚止めの滝 ---- 白沢三股
帰途(8/30):白沢三股 12:30 = (タクシ) = 薬師の湯 = 15:50 豊科IC = 20:05 水戸IC = 日立電鉄南営業所 = 21:30 日立自宅
(燕岳−餓鬼岳縦走路)

(燕岳−餓鬼岳縦走路の高低差)

d)同行者:ツアー参加者21名、和子
e)地形図:1/25000 「槍ヶ岳」「烏帽子岳」「大町南部」


3.山行記録
1)アクセス(8/27):日立自宅 20:50 = 21:00 日立電鉄南営業所 21:10 = 21:20 東海駅 =21:40勝田駅 21:45 = 22:00 水戸駅 = 22:30 水戸IC = 22:50 笠間PA 23:00 = (8/28)0:20 波志江PA 0:30 = 2:30 姥捨SA(仮眠) 7:00 = 7:25 豊科IC = 7:30 スイス村 7:40 =(チャータバス) = 8:30 中房温泉

今回は久しぶりの夜行バス、夕食を食べて風呂にも入って我家を出発して21時過ぎにバスに乗った。東海から水戸を回って仲間が乗り込み、22時30分に水戸ICで高速に乗った。個人では登り難い山なので参加者は23名と久しぶりの盛況だったが、バスは大型なので一人2座席を使ってゆったりとしている。
2時半に姥捨SAに到着して仮眠をとり、夜が明けてから身支度、朝食をして7時に出発、豊科IC近くの直販店スイス村に入って、予約してあった小型バスに乗り換えて中房温泉へ向かった。狭いくねくねの道を1時間近く走って中房温泉に到着した。今日は日曜日、途中の駐車場はマイカーで満車状態だった。

2)合戦尾根(中房温泉から燕山荘まで)
中房温泉 8:55 ---- 9:30 第一ベンチ ---- 10:10 第二ベンチ 10:15 ---- 10;55 第三ベンチ 11:05 ---- 11:55 富士見ベンチ 12;05 ---- 12:40 合戦小屋 13:10 ---- 13:40 合戦の頭 ---- 14:45 燕山荘(泊)

中房温泉の登山口でチャータバスを下りて、トイレを済ませ準備運動をして、9時前に歩き始めた。
樹林帯の中の登り坂は、初めは大したことないなと思いながら歩いて行ったが、流石は三大急登の一つ、段々と急坂になってきた。3週間前の不帰のキレット以来、雨が続いて山歩きを休んでいたので体力が落ちたのだろう、足が重くて皆さんについて歩くのがきつくなってきた。そろそろ休みたいと思っている頃に第一ベンチに到着して休憩になった。
少し下がったところに水場があって、お元気な人は冷たい水を汲みに下って行った。水場は目の前に見えており、いつもの私ならペットボトルの水を冷たい水と交換する所だが、今日の私はそこまででも下るのが辛く思えて家から持ってきた水道の水で我慢することにした。
(中房温泉でバス下車)
(第一ベンチで休憩)

この合戦尾根は、槍ヶ岳や燕岳の表銀座コースに取り付く便利のいい登山道なので、下って来る登山者が多い。山ガールや小さい子供連れの家族登山と何度も出合った。
聞けば、昨日の土曜日は燕山荘でコンサートもあったそうで、山小屋は超満員だったらしい。日曜日の今日は空いていることを願う。
(山ガール)
(家族連れ)

第二、第三ベンチで休憩をとりながら急坂を頑張って富士見ベンチまで来た時に、これまで元気だと思っていた和子が待っていて「足が攣りそう」と訴えて来た。久しぶりの急登で私と同じに辛かったのだ。
リーダに二人で遅れていくことを許してもらって、栄養剤を飲んだり、正座してみたり、知っている痙攣の対処法を試みながら富士見ベンチで二人だけで追加の休み。
10分ほど休んで、夫婦二人の山歩きになった。時々「足が攣りそう」と言われると、足の重い私にもこれ幸いだ、立ち休みしながらゆっくりゆっくりと登って行った。
(足が攣ってきちゃった)
(落ちこぼれ)

合戦小屋に着くと、皆さんもう名物のスイカを召し上がり済み、早速落ちこぼれ隊もほおばって見たが、甘くて冷たくとても美味しかった。
ここで落ちこぼれ隊に増員があった。Taさんも「何となく足が攣りそうなので、ゆっくりと歩きたい」とリーダに申し出て、我家と一緒に歩くことになった。ここまで二人で黙々と歩いてきたが、三人になると色々と話も出て気分も明るく歩くことができるようになった。
(合戦小屋のスイカで元気付け)
(仲間もできた)

何度か休みながら歩いて14時45分に燕山荘に登り着くと、心配していたリーダの平野さんに出迎えられた。しばし山荘前のベンチで休憩、残念ながらガスで展望はないが、コマクサの鑑賞を楽しんだ。一息入れてから寝床のある高台にある別館に案内され、ザックを置いて本館におりた。本館と別館は廊下でつながれているが、曲がりくねった通路は入りくんでいて、私には到底覚えられない。あとで寝床に戻るのに何度も迷うことになった。。
本館のレストランで皆さんと一緒にビールを味わった。ケーキセットを美味しそうに舐めている仲間もいた。ここで思いがけず日立市の山の会グループに出合い、7年前のヨーロッパアルプスで一緒した女性登山家や旧職場の先輩達がおられて奇遇を祝いあった。
(燕山荘到着)
(カンパーイ)

ビールを飲んでも17時の夕食まで時間があった。一人外に出てコマクサの群落がないかと山荘の周りを一回りしたが、めぼしいものは見つからず、そのまま燕岳の方に歩いてみた。
下って来る大勢の登山者と挨拶しながら下って行くと、鞍部のところにイルカが天を向いている大岩があり、その周りにコマクサがあったが、ほとんど終りになっていた。燕岳を見上げるとガスで山頂は隠れている。登っても展望がなければつまらないので、そこから山荘に引き返した。
(コマクサ)
(燕山頂見えず)

夕食は23名の団体に別室が用意されていて、落着いて頂くことができた。昨日ここに泊っていたら混雑でこうはいかなかっただろう。日曜日出発にした効果絶大だ。

3)燕山荘から餓鬼岳小屋まで
燕山荘 5:50 ---- 6:30 燕岳 6:40 ---- 6:55 北燕岳 7:00 ---- 7:45 奥北燕平 ---- 8:50 東沢乗越 9:00 ---- 9:55 東沢岳分岐 ---- 東沢岳 ---- 東沢岳分岐 10:15 ---- 11:10 東沢岳稜線鞍部 11:35 ---- (ケンズリ) ---- 14:15 餓鬼岳小屋 14:25 ---- 14:30 餓鬼岳 14:40 ---- 14:50 餓鬼岳小屋

夜中起きだして外を見ると満天の星空だったが、朝も空は晴れ渡って絶好の登山日和になっていた。日の出時刻には前庭は日の出鑑賞者でいっぱいになった。
日が登ると周りの山々が綺麗に見えるようになり。大天井岳から槍ヶ岳の表銀座の山並みが美しかった。7年前の表銀座縦走の思いで話をしながらしばし見とれていた。
その左手の雲海の彼方には南アルプスや富士山の姿までも見ることができて喜ばせてくれた。
(日の出)
(朝日を受ける表銀座)

朝食をとって準備運動をし、山荘前で集合写真を撮って燕岳に向かって歩き始めた。今日からは、コース中に難所が連続することから、グループを3つに分けて歩くことになった。和子は先頭第一グループに入り、私は第三グループのしんがりで、いつものように最後尾から従軍カメラマンを務める。
砂礫の登山道を歩いて行くと、昨日とは打って変わって好展望、足元の盛りを過ぎたコマクサには目もくれず、周りの山々を眺めながら気分良く歩いて行った。昨日の鞍部まで行くと、イルカ岩の向こうに槍ヶ岳が見えていて、皆さんの絶好の被写体になっていた。
(燕岳へ)
(イルカ岩と槍ヶ岳)

燕山荘から燕岳まで往復して中房温泉に下ったり、大天井に向かう登山者が多い。燕岳への登山道は登山者の行列になる。日立の山の会のグループもこの中にあった。
燕岳の山頂は狭く、23名の集合写真を撮ったらすぐに次のグループに席を譲って、少し下ったところで一休みした。めいめいの記念写真はここで撮った。
(賑やかな登山道)
(燕岳山頂直下)

山頂でゆっくりと山座同定をしている時間はなかったが、南には常念、大天井、槍ヶ岳の表銀座の山々が確認でき、西には三俣蓮華、鷲羽、野口五郎の裏銀座の山々をすぐ近くに見ることができた。
(燕岳山頂から南西方向の展望)

これから進む北方向には北燕岳の向こうに、唐沢岳、餓鬼岳、さらにその向こうに針の木、蓮華、鹿島槍、その左には剱から立山の峰々を確認できた。
(燕岳山頂から北方向の展望)

燕岳からは出合う人もない静かな山歩きになり、展望のいい広々とした砂礫の尾根を気持ちよく歩いて行った。このあたり、時期には一面にコマクサの花が咲いて綺麗だとの話を聞きながら歩くが、既に時期はとっくに過ぎている。代わりに周りの展望が素晴らしい。
北燕岳の登り口から振り返ると、ハイマツの中から数匹のお猿さんが出てきた。カメラを向けたらまた木陰に隠れてしまったが、ハイマツの松ボックリを食べていたんだとか。
(北燕岳へ)
(お猿さん)

大岩を縫うように北燕岳の山頂に登って一休み。狭い山頂には大岩が立ち並び。360°の大展望が広がっていた。大岩の上で剱岳を跨いだポーズをとった写真撮影が人気になった。
北燕岳から下ると、次の岩峰は右に大きく下って巻く道になった。この巻道はすばらしいお花畑で、トリカブト、ハクサンフウロ、トウウチソウ、タカネナデシコ、ミヤマコゴメグサ、ウメバチソウ、ヤマリンドウなどが今が盛りと咲き誇っていてシャッタを押すのが忙しい。
(北燕岳山頂で剱岳を跨ぐ)
(岩稜を巻いて)

岩稜を巻くとまた稜線に戻って広い稜線を少し行くと東沢乗越への道標があり、右斜面を下って行った。
(稜線に戻って)
(奥燕平から東沢乗越へ)

広い斜面をジグザグに下って行くと、目の前に東沢岳から餓鬼岳への稜線が迫ってきた。稜線にはケンズリなどいくつもの岩の突起が見えてわくわくさせるが、その間の谷間が随分と深そうだ。
(東沢乗越へ下る:眼前に東沢岳から餓鬼岳の稜線)

東沢乗越への下りは階段があったりの急坂下り、高度差400mと判っていてもなかなか下り着かない。「これを下ったらバスが待っている気分だ」とボヤキながら長い下り坂を下りきって、鞍部の東沢乗越まで来た時には、「これは縦走ではないよ。今日は二つの山に登るんだ。」の声が高かった。
(400m下る)
(東沢乗越)

東沢乗越からは中房温泉へ下るルートがあるが、ここは登るしかない。クロマメノキの実やグミを口に入れながら樹林帯の中をひたすら登って行った。
東餓鬼岳から有明山への稜線上につながる登山道に出た分岐のところにザックを置いて東沢岳へ登った。
(登り返し)
(空身で東沢岳へ)

東沢岳山頂に登り着いたのは朝ももう10時、周りの山々はガスの中に隠れ始めていた。眼下に高瀬ダムの水面が見えていたのが印象的だった。
登山道に戻って東沢岳を巻いて樹林帯を進んでいくと、花崗岩が立ち並ぶハイマツ帯の稜線に出た。
(高瀬ダムを見下ろす)
(東沢岳稜線;丸山新道)

稜線をすすむと大きな岩の重なる岩稜に突き当る。初めの岩稜は頂上部の岩をへつるように通過した。
(東沢岳稜線;初めの岩頭は巻く)

二つ目の岩稜は頂上近くまで登って行く。行きは良い良い帰りは怖い、岩場の下りに緊張させられた。
(東沢岳稜線;二つめの岩頭は乗越える)

まだまだ続く東沢岳の稜線の鞍部で一休み、稜線から下っていよいよケンズリの難所に向かう。ケンズリの稜線を行く道は避けて左を巻く樹林帯の道を進むが、右の崖の岩が少々気持悪く思いながら歩く。特に途中の大きなガレ場をトラバースする所では、大きな岩が今にもずり落ちてきそうで急いで通過した。
(中沢岳を巻く)

巻道の樹林帯を抜けると、岩場の登りになる。梯子で登ると目の前が開けて、ケンズリの大岩群が目に入ってきた。
(鞍部で休んでケンズリに向かう)

稜線近くまで登ると岩稜の左壁をへつるように上り下りを繰り返すことになった。目を上げると先頭集団がずっと先で梯子や狭い足場に苦労しているのが見えていた。
(ケンズリの巻道)

気持の悪い岩場だが、要所には梯子や橋がつけられていて助かる。ただ、材木が随分と古びていて、今にも壊れそうで気持悪いところもあった。
(材木の梯子)
(へつり)

岩稜を通過するとハイマツ帯の道になって一安心。目の前にはガスの隙間に餓鬼岳も見えるようになってきた。鞍部に下って少し登ったらすぐに赤い屋根の餓鬼岳小屋に到着した。
(ケンズリ通過して一安心)
(餓鬼岳小屋到着)

餓鬼岳小屋にザックを置いてみんな揃って餓鬼岳に登った。
10分ほどで餓鬼岳の山頂に登り着いたが、展望は全く効かず、三角点にタッチして祠にお参りしてから、全員の集合写真を撮って下山した。
(空身で餓鬼岳へ)
(餓鬼岳山頂)

小屋の泊まりは我々23名以外は丹沢からの3人の男性グループだけ、この3人さんは我々と同じく白沢に下って行くとのこと。ここまで来るまでにも北燕岳や東沢岳で顔を合わせ、夕食時にもすっかり話があって山談議に花が咲かせた。3人は離れの小屋に入り、我々は母屋を貸切になった。夕食は評判のちらし寿司ではなかったが、五目御飯に暖かいおでん鍋がついてグレープフルーツのデザートも付いていた。
母屋の部屋も23人の布団を敷くと足の踏み場もない。ザックは外に作られた棚に置く。食堂兼用で、食事が終わると片付けと布団敷きを若い小屋番の人が全部やってくれる。
その間、小屋裏の高台に上がってみるとガスが晴れてきていて、眼下に大町の街並みがみえていた。苦労して通過したケンズリの岩稜とそのはるか向こうに、今日歩き始めた燕山荘の灯りも見えていた。よくも歩いてきたもんだと感慨を持ってしばし眺めていた。
裏銀座の稜線に沈む夕日を期待したが、雲が湧いてきて期待した赤く焼ける日没の情景にはならなかった。残念。

4)餓鬼岳小屋から白沢三股まで
餓鬼岳小屋 5:50 ---- 6:50 百曲り登り口 ---- 8:15 大凪山 8:25 ---- 9:55 最終水場 10:15 ---- 10:50 魚止めの滝 ---- 11:25 紅葉の滝 ---- 12:15 林道出合い ---- 12:25 白沢三股

朝起きる今日も空は快晴だ。5時からの朝食を急いで食べて日の出の撮影会。雲海に登る日の出が綺麗だった。
昨夕眺めたケンズリの稜線が朝日を受けて一段と映えて見えていた。燕岳の向こうの槍の穂先もしっかりと確認できた。
(日の出と雲海)
(朝日を受けたケンズリ)

5時50分まで時間があるので、皆さん10分で登れる餓鬼岳の山頂に登って行った。素晴らしい展望が広がっているはずだが、私は3日間頂いた食事をおなかに溜めたままだったので、何とか押し出したくて一人トイレで頑張っていた。和子もカメラを持たずに登ったので、後で深谷さんから送っていただいた綺麗な写真をじっくりと眺めて実景を想像した。
(餓鬼岳山頂からの展望:深谷さん撮影)

今日は高度差1600mを下る。準備運動をして小屋裏から歩き始めると、すぐに急坂の下りになった。百曲がりという名前が付いているが、樹林帯の中にジグザグの下りが続く。数え切れないが100回曲がったかなあ。ここで3人さんが我々を追い越して行った。
トリカブトやハハコグサなどを愛で、樹間の眼下に有明山を眺めたりしながら百曲がりを下り切ると崩落地の上に出て、ここからは緩やかな尾根道になった。
(百曲りを下る)
(樹林帯の尾根歩き)

尾根道は深い樹林の中で展望は殆んどないが、時々剱岳や針の木蓮華、鹿島槍等の峰々が見えてきて気を紛らわせてくれた。
反対側には有明山がいつの間にか目よりも高いところに見えていて、随分下って来たんだと実感させてくれた。
(剱、針の木)
(鹿島槍)

小さなアップダウンを繰り返しながら稜線を緩やかに下った先に「大凪山」の標柱があった。ここで一休みしていると単独行の男性が上がってきた。5時に白沢三股を出たとのことだったが、今はまだ8時過ぎ、3時間少々でここまで登って来たのだ。我々が白沢三股に下りつくまで4時間がかかったことを思うと凄いタフマンだ。更に驚いたことに、これから餓鬼岳に登って今日の内に下って来るのだいう。
今日、登って来る人に出合ったのはこのほかには数人だけ、珍しかった。餓鬼岳は200名山とはいえ、やはり玄人好みの静かな山のようだった。
標柱は山とは思えないとこに立っていたが、歩き始めるとすぐに急坂の下りになったので、確かに一つのピークではあったらしい。この下り坂はただの急坂ではない。「落石注意」の看板がいっぱい立っていたが、ガレて大きな石がゴロゴロ転がっている急坂をジグザグに下るので、うっかり落石を落としたら只では済みそうにない。自分が落下しないかと心配したケンズリとは違う意味で神経を擦り減らす危なっかしい道だった。
(大凪山)
(ガレ場の急坂)

ガレ場を過ぎても急坂下りが続き、梯子や鎖場にも助けられながら下って行くと「最終水場1500m」の標柱があった。沢に下りて滝のように流れてくる水を汲むようになっている。冷たい水でペットボトルの水をそっくり入れ替えた。
水場からは沢沿いを下ったが、しばらくは右岸の急坂下りが続いた。
(最終水場)
(沢沿いを下る)

橋で白沢を渡り枝沢の滝を眺めながら左岸を下って行くと、豪快に流れ下る滑滝があった。この滑滝の横を木の階段で下るのだが、濡れていて滑りそうで怖かった。
階段の途中に初めて見るシラヒゲソウが咲いているのが目について、危なっかしい格好でシャッタを押した。
(滑滝の脇の階段)
(シラヒゲソウ)

滑滝を下ってから橋で右岸に渡り返しすと、大きな高巻きになった。鉄梯子で登り返して次の下りが鎖場、梯子の連続で大渋滞。下り切って枝沢を渡り、崖を木の板の足場に乗ってへつると魚止ノ滝の上に出た。岩壁を豪快に流れ下るこの滝はなかなか見ごたえがあった。
(枝沢の滝)
(魚止の滝)

ここからはなだらかな道になるかと期待したが、なかなかどうして、度々の徒渉、頼りない足場での崖のへつり、大きな高巻きを何度も繰り返すことになった。
(右岸をへつって)
(沢を渡って)

(左岸をへつって)
(沢を渡って)

(登ったり)
(下ったり)

最後の橋を渡ると樹林帯の中の平坦な道になり、しばらく歩くと林道に出て、「登山者のみなさんへ」の大きな注意看板と一緒に「200m先でお待ちしています」のタクシ会社の看板が立っていて、やっと終点に辿り着いてホッとした。
200mと思って林道を歩き始めたがなかなか登山口には着かない。10分歩いてやっとタクシーの姿を見ることができた。500mはゆうにあった。
(林道に出て)
(登山口でタクシ)


5)帰路
白沢三股 12:30 = (タクシ) = 12:45 薬師の湯(入浴・昼食) 14:35 = 15:10 スイス村 15:45 = 15:50 豊科IC = 17:05 横川SA(夕食) 17:40 = 19:00 壬生PA 19:10= 19:45 笠間PA 19:50 = 20:05 水戸IC = 20:30 水戸駅 = 20:45 勝田駅 = 21:05 東海駅 = 21:15 日立電鉄南営業所 = 21:30 日立自宅

白沢三股で6台のタクシーに分乗して大町温泉郷の薬師の湯に出た。ここで3日分の汗を流し、美味しいビールと食事を頂いて、常陸電鉄の大型バスに乗り換え、直販店スイス村に立ち寄ってお土産を買いこんで帰途についた。バスの中は予想以上の難コースをこなした達成感で満ち溢れていた。





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