A55.東海村の文化財(6)

1.動 機
 今回の東海村文化財探訪は、19日にガイドさんに案内してもらった虚空蔵尊の霊験木に付いて確認することと、15日に中央公民館で出土品を見た釜付遺跡を訪ねてみることだった。その道すがら、東海12景の細浦青畝、天神山にあるらしい真崎城跡、文化財Kの権現山古墳とその中にあるらしい文化財21のヤマザクラ、その奥にある真崎古墳群を訪れることだった。
(東海村の文化財中東部マップ)


2.データ
a)山域:東海村、天神山(17)
b)撮影日:2013/5/22(水)
c)コースタイム:
自宅12:20 = 12:35仁王門P12:45 = 12:45虚空蔵尊駐車場P1 ---- 12:50細浦青畝 ---- 12:55虚空蔵尊駐車場P1 = 13:05切通P2 ---- 13:10三角点 ---- 13:40切通 = 13:50佐藤邸P3 ---- 14:05石碑 ---- 14:05佐藤邸P3 = 14:35東海ゴルフセンタP4 14:50 = 15:00川崎産業P5 ---- 15:05 釜付遺跡---- 15:15川崎産業P5 = 15:25原研独身寮P6 ---- 15:25真崎古墳群15:45 ---- 15:45権現山古墳15:55 ---- 15:55原研独身寮P6 = 16:50自宅
d)同行者:和子

3.記録写真
 R245の虚空蔵尊交差点から入って虚空蔵尊入口の駐車場に車を停めると、すぐ近くの休憩舎に緑色のユニフォームを着た待機中のガイドさんのお姿が見えた。早速、前回見逃した霊験木に付いてお伺いすると「一般には公開されない。私たちも一回だけ見せて貰っただけです。」と予想通りのご返事だった。ついでに今日歩く予定の文化財についても教えて貰った。
 真崎城跡について「マップでは切り通しの西側になっているが、NETの史跡マニアのブログでは切通しの東側一帯が城址だったという報告もある。マップに表示位置は正しいのでしょうか。」と尋ねると「マップの表示位置でいいですよ。三角点からは藪で入れないので、民家の脇から上がるといいですよ。」との回答が得られた。
 細浦青畝は国道向かいの駐車場下のマップ表示通りのところにあることを確認して頂いたが、その他、釜付遺跡、や安白古墳、阿漕ヶ浦の無名塚については情報を得られなかった。
 早速交差点脇の駐車場に車を移し、トイレを使ってから国道を渡って向かいの駐車場に入ったら、下に天神山の山並みと阿漕ヶ浦の丘に挟まれた「広闊たる稲田の上を鳥影が掠める。宗祗の詠めし天神山をわきに見て、野坂をたどれば、名も知らぬ小さき草の花々。」の風景が広がっていた。
(東海12景・細浦青畝)

 駐車場には東海12景の石碑はなく、下に下りる階段の手すりが見え、ここから降りると下の広場の端に休憩舎が立っていて、その前に唄を彫り込んだ石碑が立っていた。休憩舎からは前の樹木が大きくなっていて展望がないが、広場に出ると木の葉越しに細浦青畝の風景が眺められる。上の駐車場から眺めるよりも手前の木々で少し視界が遮られるが、その木々の緑と調和して風情があるような気がした。
(東海12景の歌碑)
(歌碑の広場からの眺め)

 次は真崎城跡に向かう。ガイドさんの話で切り通しの向こうにあるという民家を目指して車のナビを設定して走っていき、切通しのところに来て三角点を踏んでみたくなった。
 切り通しに入っていくと、左の斜面に黄色い「天神山入口」の道標があって踏み跡が上がっていた。踏み跡をたどるとすぐに見覚えにある三角点標石があった。
(切り通し)
(三角点)

 三角点標石の後ろに「県下一低い山 天神山」の山名板が立っており、裏には「天神山全国13番、天妃山21.2m梵天山29.0m」の説明が付いていた。4年前に来た時にはこんな山名板は立っていなかった。地形図には東の・22mのところを天神山となっているが、県下一の低山を売り物にしようと17.4mの三角点を天神山にしたのだろう。
(天神山山名板)
(山名板の裏)

 ガイドさんの話では、天神山から奥は藪で歩けないよとのことだったが、尾根沿いに刈り払いされたしっかりとした道が続いていた。こんな道で真崎城跡に行ければありがたいと、この道を進んでみることにして歩いて行くと、次々に石の境界杭も現れ、多少のアップダウンを続けながらの登り道がどこまでも続いた。300mも歩いて一向に城跡らしきところが現れないので諦めてひきかえした。途中、可愛いキンランの花が咲いていたのが唯一の収穫だった。
 車に戻って、その先に民家があったらそこで城跡について教えて貰おうと思って、200mばかり走って先まで見通せるところまでみたが、民家は一軒も見えなかった。
(その先にも道が)
(キンラン)

 切通しの西には民家はないと結論付けて引き換えし、切り通しの東側の民家の門をたたいて真崎城跡のことを尋ねた。「城跡はこの裏の天神山の中にあるが、何もないところですよ」とのお答えに「東海村の文化財マップを出して、マップでは城跡は切通しの向こう側になっているのだが、両方にまたがってお城があったのですか」と確認すると「私は日立から引っ越してきたので、昔のことは良くわからない。損向こうの佐藤さんの家が昔からここの人なので伺ってみてください」と案内された。
 佐藤さんの家に行って同じことを尋ねると「真崎城跡は昔からこの裏の天神山だよ。うちの畑があってそこに天神様がある。そこから天神山までは藪で歩けないが、祠まではいいい道が付いているよ。2年前から切通しの向こう側の地主さんが整備して役場と掛け合って向こうを天神山にしたんだよ」とのこと。天神様までの道を口頭で説明されたが、地図を広げながらまごまごしていると「案内してあげるよ。駐車場所はないからここに車を置いていきなさい。」と言われ先に立って歩き始められた。小柄だがお元気なお婆さんで足取りが早く、付いて歩くのが厳しい。
 色々なお話を伺いながら後についていくと、民家の間を縫いながら天神山の麓まで歩くと、山に入るいい道が見えた。竹藪の中の道を登っていくと間もなく小さな石祠があった。石碑はパイプで囲まれていて大事に守られている様だった。佐藤さんは息子の家に寄って帰ると言ってすぐに違う方向に歩いて行かれた。御親切、ありがとうございました。
(天神様)
(親切な佐藤さん)

 石祠から奥にも道が付いていたので、4年前に切通し側から登った・22mの山頂まで登ってみようと歩き始めた。初めはいい道だったが、少し進むと突然竹藪の中が倒れた竹だらけになって前に進めなくなった。やむなき引き換えし、案内してもらった道を歩いて佐藤さん宅まで引き返して車で次に向かった。
(その先・22mへ)
(行き止まり)

 次は釜付遺跡。先日中央公民館で出土品を見た時の説明書では遺跡は東海ゴルフセンタの一角にあるらしい。まずはゴルフセンタに行ってきいてみようと車を走らせた。平日のこと、ゴルフ場は閑散としていて、プロショップは閉店、レストランが開いていたので「釜付遺跡はどの辺ですか」と聞いてみた。若い女店員と男性のトレーナがいたが「釜付遺跡?聞いたことないよ。ゴルフ場の中にあっても入ることはできないよ。」とにべもない。
 されば外周の道から見ることが出来るかもと、マップの表示位置を車のナビに指定して走った。だんだん細い道になり川崎産業の看板のある作業場に着いた。その先に道はあるが草ぼうぼうで行き止まりの感じ。産業場の一人に「釜付遺跡はこの先にありますか」と尋ねると数人の人が出てきて「そう言えばこの奥に何か大きな看板があったよ」と言う人があり、「道は良くないので歩いて行った方がいい」とすすめられて、邪魔にならないところに車を置かせていただいて歩き始めた。
 道は草藪が繁茂していて、とても車で走れるような道ではなかった。100mも歩いたところで左手にゴルフ場が見えるようになり、そのすぐ手前の境界上に「釜付祭祀遺跡」の説明板があった。直径9m、高さ1.7mと書いてあるが、すっかり笹薮に覆われいてどこが古墳なのかさっぱりわからなかった。
(途中から歩き)
(釜付祭祀遺跡)

 次は真崎古墳群。15日大神宮でいただいた小冊子「とうかい季節マップ」に詳細な説明があり、県道から原研の権現山寮の道に入って独身寮の前の空き地に車を停めた。アパートの間を入っていくと、柵の切れ目から真崎古墳群への道に入ることが出来た。

とうかい季節便りより 
(原研権現山寮入口)
(真崎古墳群マップ)

 8基の小さな古墳が密集して並んでいて、一つ一つの古墳には簡単な説明が付いた看板が立てられ、その間に遊歩道が整備されて休憩用のベンチも置いてある公園のようになっていた。夏には行燈祭りも行われるらしい。ゆっくりと看板を読みながら一回りした。
(3号墳)
(遊歩道とベンチ)

 真崎古墳から戻って県道よりにある権現山古墳に向かった。県道側に回ると、素鵞神社の鳥居の傍に「権現山古墳」の説明板があり、この古墳は直径45m、高さ5.5mの比較的大きな古墳で、老木が茂る目の前の小山全体が一つの前方後円墳になっているらしい。
 並んで樹齢200年の「ヤマザクラ」の平成元年の説明板があり「地上1.4mで3本に枝分かれしていて、樹勢樹姿ともに優れている」と書いてあった。
(K権現山古墳説明板)
(21ヤマザクラ説明板)

 石段を上がると根元に「文化財18号ヤマザクラ」の立札がたっているヤマザクラの老木があり、見上げると、三本に分かれた幹のうち2本は枯れかけているように見えた。
 後円墳の上には素鵞神社の社があって、扉が開かれた中には神輿が置いてあった。
(12ヤマザクラ)
(素鵞神社)

 今日はここまでにして帰ることとし、スーパで買い物をして稀勢の里の相撲に間に合うように家に着いた。




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