U41 アンナプルナ・ダウラギリ展望の12日間

8日目;4月18日 ゴレバニ−バンタンテイ−ウレリ−ヒレ 


標高 2895m、モーニングコール 6:00、 気温10℃
ゴレバニ 8:00 ---- 9:00 ナンゲテンテイ 9:15 ---- 9:55 ガントバンタンテイ 10:00 ---- 10:40 ウレリバンタンテイ 10:40 ---- 11:30 ウレリ上 12:15 ---- 13:05 ウレリ下 13:15 ---- 14:35 テイルケドンガ 14:45 ---- 15:00 ヒレ(泊)

早起きして朝食前に、昨日夕焼けを眺めに出かけた展望台に、朝焼けを期待して出かけてみた。東の空が段々と赤くなってきて期待させたが、陽が登る頃になると雲が沸き立ってきて残念でした。

(朝焼けを眺めたくて展望台まで出かけました)

(朝焼け前に雲が出てきて、残念ダウラギリが隠れる!)

食事を終えて、素晴らしい展望をくれたゴラバニを後にして、石段道を下りました。こちらから登ってくると、プーンヒル展望を2泊3日で出来るので出会う登山者も多い。また、ゴレバニに食材などを運ぶラバの列とも多く、たびたび出あった。ラバの落し物を踏まないように気をつけるが、どこまで行っても強烈な匂いが立ち込めているのには閉口した。

(歓迎の横断幕?をくぐってゴレバニよ、さようなら)

(多くのラバに出会う。、道中の糞の匂いは強烈でした)

朝プーンヒルを往復してからその日のうちに下ってくるのが普通のペースのようだが、我々はホテルからすぐに下り始めた。それだけ楽ちんなわけだが、それでも1400mを下るので、途中のロッジごとに休みを取りながらゆっくりと下った。トレッキング中、シェルパ達がよく歌っていた”レッサムフィリリ”が気に入って、和子はその歌詞を休憩時間に教わって書き写していた。(我家の居間でもカトマンズのスーパで買ったCDから時折この歌が流れている)

(何回も休憩しながら下りました)

(シェルパからレッサムフィリリを教わりました)

ウレリの集落からは700mを一気に下ります。どこまでも石段道が続き、これを登ってくる人にご苦労さん”faight!"と声をかけてしまった。途中、一度休んでゆっくりと下ったので、私の膝も無事でした。

(ウレリからは急な石段の下りでした)

(どこまでも下りました)

川の近くに斜面ががけ崩れしたように大きな岩がごろごろしていた。国内での案内ではここのテイルケドウインガのロッジで泊まる予定だったのだが、サーダの機転で20分余計に歩いたヒレで泊まるように予定が変更されていた。吊橋を渡ったロッジで一休みしながら、下ってきた断崖を見上げると、良くもこんな急斜面を降りてきたもんだと感慨ひとしおだった。

(当初宿泊予定地の近くは地滑りにあっていました)

(立派な吊橋で川を渡りました)

すこし歩くとヒレのロッジに到着した。吊橋の近くにも水力発電所があったりして、ここまで下ると電力事情も良好だ。じゃんけんで順番を決めて、一人づつ頭から熱いシャワーを浴びて全身を綺麗に洗い、すっきりとした気分になった。
今夜がシェルパさん達と過ごす最後の夜なので、サヨナラパーテイが開かれた。乾杯の後に出された料理にも焼き鳥シシカブと鶏肉のテンプラが加えられていた。

(やっとヒレのロッジに到着)

(今夜は最後の晩餐、シシカブやテンプラもつきました)

鍋で焼いたお手製の大きなケーキが持ち込まれ、サーダが入刀して、コック長が上手に切り分けて、みんなで美味しく頂いた。

(手作りのお祝いのケーキに入刀式)

(コック長も入刀して均等に切り分けた)

食事の後には、シェルパたちの打ち鳴らす楽器に合わせて、ポータたちのレッサムフィリリなどネパールの歌が流れ、踊りが得意なポータの踊りが披露された。段々と興に乗ってくると、日本人も踊りの輪に入って全員で賑やかに踊り始めた。何時までも終わりなく続きそうな雰囲気だったが、器用なSiさんが飛び出して音頭をとって、みんなで日本の三々七拍子を披露してお開きにした。

(はじめはネパールの踊りで始まり)

(やがて全員参加の賑やかな踊りになりました)


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